菅野さんの秘密3
ボクのスマホは、パスワードを設定していない。
無用心だと思うが、友達が高島しかいないボクにとって、プライベートはあってないようなものだった。
菅野さんは、大胆にもボクの首に腕を回し、頭に胸を押し付けてきた。
これには理由がある。――逃げられないように、だ。
「おい」
「はい」
菅野さんの今日の匂いは、ココナッツだった。
甘ったるくて、汗の臭いが混じったことで、鼻の奥を蜜か何かで溶かされている気分だ。
匂いに集中することで現実逃避を試みたが、失敗。
「なにこれ?」
菅野さんがボクのチャットを開き、高島とのやり取りを確認。
内容は、以下の通りである。
『あー、菅野の爆乳揉みしだいて、無茶苦茶にしてぇ』
「お前の顔面、メチャクチャにしてやろうか?」
『絶対に乳首デカいよな! うわ、弄りてぇ!』
「ほらよ」
ぎりぃっ。
「いででで!」
乳首を爪で挟まれ、ボクは悶える。
その後も、猥談は続く。
ボクは、さんざん菅野さんを嫌がっておきながら、実のところ本当にオカズにしているわけであった。
絶対、女子に見せるべきはない内容だった。
菅野さんは、こめかみに青筋を浮かばせ、ボクに冷たい眼差しを送る。
「これ、なに?」
「猥談です」
「お前、陰でこんな事言ってんの?」
「……すいませんでした」
「いや、謝罪とかいいから」
結構、ガチめに怒られて、ボクは素直に謝る。
「あー、なんか、もう。ショックだわ」
絶対に嘘だ。
並みの女子だったら、そりゃ泣くだろうし、気持ち悪がって不登校になるだろう。
でも、菅野さんは違う。
「脱げよ」
ほら。こういうタイプだ。
復讐は必ず自分の手で、直接的にやるタイプだ。
腕から解放されたボクは、そのまま石のように固まった。
「離れろって」
「ここで、……脱ぐんスか?」
「当たり前だろ」
さっきまでボクのペースに持ち込んでいたのに。
いつの間にか、主導権が移ってしまった。
仕方なく、ボクは制服に手を掛けた。
何てことない。
いつものことだ。
制服は下着ごと脱ぐ。
下はズボンごと、下までずり下ろし、ボクは一糸まとわぬ姿になった。
「脱ぎました」
「んー、何やらせよっかなぁ」
クソ。
追い詰めすぎたか。
一方的にボクが推理して終わるかと思いきや、反転攻勢されてしまった。
「よし。四つん這いになれ」
「……くそぉ。良い所だったのに」
「何か言ったか⁉」
「い、いえ」
冷たい床の上で、ボクは四つん這いになる。
菅野さんは、ボクの前にしゃがみ込み、スマホのレンズを向けた。
信じられないかもしれないけど、これは普段と全く同じ様子だ。
自分で言うのもなんだが、ここまでされて、全くシリアスな空気にならないのだ。
その理由は、ボクがどこまでも生き恥のアホで、菅野さんが少年のようにキラキラとした目で写真を撮るからだろう。
邪悪な事をしているのに、邪気がないという矛盾がそこにあった。
「オラ。犬がションベンするみたいに、片足上げろ!」
「よっしゃぁ!」
ボクは片足を上げた。
バランス感覚が悪いので、机の端に踵を乗せる。
「あっは。きっも。生きてて恥ずかしくないわけ?」
「はは。生きてるだけで恥なんで。今さらですな」
パシャ、パシャ。
シャッター音が何度か鳴り、菅野さんがスマホを弄る。
ボクは黙って菅野さんの横顔を眺めた。
まるで、花を慈しむ乙女の顔だった。
乱暴な所が目立つ菅野さんだが、改めて見ると、普段意識しないだけで、意外な表情をしている事に気づく。
ふと、ボクは思いついてしまった。
――この状況。カメラを撮られてる時と同じだよな。
そう考えると、今しか見れない瞬間があるはずだ。
探せ。
ノリに乗って、菅野さんを観察するんだ。
「……ぷっ。……きも」
言葉だけ聞けば、心の底から蔑んでいる。
でも、想像してみてほしい。
このセリフをどこか、うっとりとする顔で口にしているのだ。
――おかしくねえか?
ずっとイジメられてきたのに、気づかなかった。
いじめられっ子は、恐怖で相手の顔を見る事なんてできやしないだろう。ボクの場合、見た途端に「きめぇんだよ!」と腹を蹴られてきたので、物理的に見れなかったことが多い。
「あ? きめぇんだよ!」
ドスっ。
「んぐえぇ!」
「見んな。きしょいわ」
こんな風に、ジッと見てると、すぐに殴ってくる。
普段なら、ボクは家畜の豚でいよう。
しかし、今は違う。
「あの、菅野さん」
「んだよ」
「今、……保存しましたよね?」
間を空けて、菅野さんは言った。
「それが?」
「どうして、保存したんです?」
「うるせぇ。オラ。次は仰向けになれよ!」
「ぎゃいんっ!」
つま先でひっくり返され、ボクは両手両足を上げた。
「手、邪魔」
「あ、はい」
仰向けになったボクの上に、菅野さんが跨った。
胸の上には、生温かい感触が密着する。
あと、ずっしりとした重さが圧し掛かり、ボクはちょっとだけ苦しくなった。
「あっはっは! きめぇ!」
パシャ、パシャ、パシャ。
連続でシャッター音がなり、レンズが近づいたり、遠くなったりする。
菅野さんは、それはそれは楽しそうだった。
一通りシャッターを下ろすと、今度はボクの上から退き、黒板を指した。
「次はあっち」
目じりを持ち上げ、にっとして笑う。
意地悪な笑みを浮かべている菅野さん。
よく見れば、親に何かをねだる子供のように見えてしまう。
ボクがジッとして動かないでいると、菅野さんは眉間に皺を寄せた。
「早く行けよ」
「菅野さん」
「あ?」
「今、めっちゃ楽しいですか?」
「楽しいに決まってんだろ」
いじめられっ子としては、前代未聞の質問だろう。
ボクは菅野さんの心の内を覗き続ける。
「教えてほしいんですが、どうして楽しいんですか? 知りたいんですよ」
「どうして、って。……きめぇし、可愛いじゃん」
「なんだって?」
「や、気持ち悪いし」
なんだ。
今、一瞬、聞き逃しちゃいけないワードが聞こえた気がする。
およそ、この状況に相応しくないワードが、飛び出た気がする。
「早く行けや!」
「おうん!」
尻を蹴られたボクは、小走りで黒板に向かい、手を突くポーズを取った。
シャッター音を聞きながら、ボクは思い出す。
『ははは! 尻の穴見えてるよ! ははは!』
『やだぁ! きったな~いっ!』
『この先の人生イジメ抜いてやるからな。絶対に明日も来いよ。オラ』
過去に取り巻きを含めて、写真を撮られまくった記憶だ。
思えば、な~~~~~んか、みんなの様子がおかしかった気がする。
そりゃ、普通の人からすれば、ドン引きする光景だろう。
だから、ボクら特有の関係というか、特殊なイジメというか。
他にはない反応だった気がするのだ。
――みんな、黄色い声上げてたよなぁ。
あの状況で、嬉しがるのがボクには理解できなかった。
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