第20話 悪魔の晩餐会
悪魔の晩餐会が確定してから二日が経った。金曜日の放課後。
この日は朝から憂鬱だった。
心は沈み、体は鉛のように重く気怠い。
病気とかではない。ワンちゃん熱とかないかなと朝に体温を測ってみたが、平熱だった。
ただただ、今日の夜を思うと億劫なのだ。
水曜日の夜。親に泣きつき、なんとか姉さんへの報告は阻止した。
だが、クラスメイトを両親のいる店に連れて来た以上、家でも話題に上がる。否、上げられる。
その場に俺がいれば誤魔化しきれる自信はある。けれど、茅野の依頼を受けて普段より家にいる時間が少ない今、確実に姉さんにバレる。
そして、いらぬ誤解が姉さんの脳内によって生み出されるわけだ。
つまり死へのカウントダウンである。
「くそ、麻倉許すまじ」
こうして、勉強をしている現在も隕石落ちてこないかなとか考えている始末だ。
「呼んだ?」
悩みの種を蒔いた張本人である麻倉が首を傾げる。
「いや……てか、今更だけど麻倉さんこんなとこ来てていいの? 一条との件のが大事なんじゃ」
「そう思うなら丸口くんももっと協力してほしいよね」
「いや、今は茅野さんの依頼があるから」
「冗談だよ。昂輝とは昨日二人きりで勉強会したし、かなり順調だよ」
「もう俺が協力とかしなくてもいいんじゃないか」
チッチッチッと指を左右に振る麻倉。
「分かってないな。恋愛にはね緩急が大事なんだよ。いつもいつも二人きりだとマンネリ化しちゃうの、幼馴染みだと特にね。だからこそのカンフル剤である丸口くんが必要なんだよ」
そうなんだ。恋愛ってめんどくさいな。
……何気なく入口の方へ顔を向けると、外は暗くなり始めていた。
時計を見れば、時刻は18時を指している。
勉強会を開始してから、いつの間にか二時間が経過していた。
そろそろ店も午後営業が始まる。丸口屋は昼と夜とで客層が変わるため、夜は居酒屋みたいな雰囲気になるのだ。
その中で勉強をするわけにもいかない。
「勉強は終わりにして、ご飯にしようか」
「やった、待ってました!」
「メニューは上に掛けてあるから好きなの頼んでいいよ」
「私は断然、刺身定食だね」
「ボクはから揚げ定食」
「…………」
メニューを見つめたまま微動だにしない茅野。
「茅野さんは?」
「ま、待ってください。今、どっちにするか悩んでるので」
「何と何で迷ってるんだ?」
「チキンカツかとんかつです。どっちも捨てがたいです」
どっちもカツじゃん。
「なら、片方は俺が頼むから半分食べていいよ」
「そんな……いいんですか?」
「いいよ。その代わりそっちのも半分貰うけど」
肯定すると茅野は花開くような笑顔を浮かべる。
「ありがとうございます」
「ずるーい。私のお刺身も一切れあげるから半分ちょうだい」
「麻倉さん等価交換って言葉知ってる? 全然、釣り合ってないから」
「でも、お刺身あげたくないしな」
じゃあ諦めてくれ。
「むっ、よく見たら甘味がないじゃないか」
ギクリ。麻倉の肩が跳ねる。今、気づいたのか。
「あれ~? おかしいな前はあったんだけどな」
わざとらしく指を顎に当て小首を傾げる麻倉。前もないぞ。
「甘味が食べられるって言うから来たのに、騙したのか」
ふくれっ面で怒りを露にする吉野。やっぱ怖くないな。
麻倉の自業自得だが、仕方ない助け舟でも出すか。
そう思い、母さんに何か甘いものでもないか尋ねたところ運よくケーキがあった。
それも、ホールで。何故だ?
「──だってさ、よかったな吉野」
「全部くれるんだろうな?」
やれるか!
それから十数分程度で、全員分の料理が出揃った。
誰からともなく手を揃え合掌。
「「「「いただきます」」」」
食事の開始だ。
「はい、丸口さん。半分あげます」
「ありがとう。お返しに半分どうぞ」
「ありがとうございます」
「じゃあ私にも半分ちょうだい」
じゃあってなんだよ。
「あげないからね」
「ケチだな~」
強欲な奴に言われたくないな。
「思ったより美味しいな。ボクの親より料理の腕は上か」
そりゃ当然だろ。テレビなんかに取り上げられる程ではないけど、そこそこ人気なんだぞ。
「ところでさ、前から聞きたかったんだけど茅野ちゃんの好きな人って誰なの?」
⁉ また急にとんでもない話題をぶっこんできたな。
思わず口に入れたばかりのトンカツを吹きそうになったが、何とかこらえる。
「な……麻倉さんいきなり何聞いてんの」
「何って……ただの恋バナだよ。ほら茅野ちゃんが依頼に来た日に言ってたでしょ、好きな人がいるって……ずっと気になってたんだよね」
確かに、茅野の心を射止めた相手が誰なのか気にならないと言えば嘘になる。
けど、何か背徳感というか罪悪感があるんだよな。
「やっぱやめ──」
「で、で、誰なの? どんな人なの?」
やめようよ、言いかけた言葉を麻倉の高揚した声音が塗りつぶす。
麻倉の乙女心に完全に火が付いたのだ。
仮に乙女モードとでも名付けようか。この状態の麻倉を止められるのは一条くらいだが、その一条もいない今、誰にもなす術はない。
「あはは……困りましたね」
「ボクも気になるな」
苦笑交じりに人差し指で頬を掻く茅野。そこに追い打ちをかけるように吉野も加わる。
「私の好きな人も教えるからさ。お願い!」
「いのりが好きなのは昂輝だろ。一組で知らない奴なんていないぞ」
「うそっ⁉ そんなにわかりやすいかな?」
分かりやすいというか、そうとしか見えないんだよな。実際、中学の時なんて付き合ってるんだと思ってたし。
「えー、じゃあお刺身一切れ……で、どうかな?」
麻倉は嫌そうに眉根を寄せめながら、自分の皿を茅野へ押し出す。
「そこまでしなくても教えますよ。だからお皿を戻してください」
「いいの?」
「知られて困るものでもないですから、大丈夫です」
「俺もいるけどいいのか?」
なんなら席でも外そうかと考えていたが、予想に反して茅野は俺の問いに快活な返事で応える。
そして、茅野は少し恐縮そうに口を開いた。
「あのですね、教えると言った手前申し訳ないんですが……私、相手の名前を知らないんです」
「どゆこと?」
「……実は、私が好きな人なんですが、小学一年生の時に観に行った○ケモンの映画で出会った人なんです。だから、どこの誰なのか分からないんですよ」
「あーなるほど」
ふーん。茅野さんも○ケモンとか観に行くんだ。意外だな。
俺も昔は特典欲しさに連れていってもらったけな。
「馴れ初めは? どうして好きになったの?」
「あはは、えっと映画が始まる直前って、頭がカメラの人のCMが入るじゃないですか」
「映画泥棒のやつだ」
「そうです、そうです。今はマイルドになったんですけど昔は音楽とかが暗さと相まって怖くてですね、泣いちゃったんです」
「分かる! 怖かったよねー。私もあのCMの時だけは昂輝の腕にしがみついてたもん」
うんうんと頷き同意を示す麻倉。
茅野や麻倉の言う映画泥棒は、映画本編が上映する直前に流れる映画を観る際の禁止事項を伝える映像なのだが、俺の世代では怖い事で有名だ。
特に終わりにつれてサイレンの音が徐々に大きくなるのが不快だったのを覚えてる。
まあ、俺は当時から姉さんのが怖かったから何ともなかったけど。
「その時に、隣に座っていた男の子がハンカチで涙を拭ってくれて変顔までしてくれて見ず知らずの私の事を元気づけてくれたんです」
当時を懐かしむように胸に手を当てて語る茅野は、恋する乙女の顔だ。
にしても、知らない人に声をかけるとか、子供の特権だな。この年齢でやれば不審者扱いだし。じゃなくても、勇気のいる行動なのに子供ってのは凄いな。
「それは惚れるよね。不安な時に寄り添ってもらえるのは嬉しいからね。名前とか聞かなかったの?」
「聞こうと思ったんですけど、映画が終わって隣を見たら、その子お姉さんと楽しそうにお話ししてて話しかけられる雰囲気じゃなかったんです」
「じゃあ手掛かり無しか」
残念そうに肩を落とす麻倉。
「でもですね、全くゼロというわけじゃないんです。映画を観たのが駅前のイヲンだったので、この辺に住んでると思うんです」
「とはいえ、名前を知らないんじゃ探し出すのは難しいだろ」
難しいなんてもんじゃない、不可能に近いだろう。その子も当時と違って成長しているし、助けられた茅野と違って記憶に残っていない可能性だってある。
事実、俺は小学一年、つまり九年前のことなんてほとんど覚えていない。遠足なり学校行事に関してなら薄ぼんやり覚えてはいるけど。
「やっぱり、そう……ですよね。いつかその子に逢えたら、借りたままのハンカチを返したかったんですけど」
「そんな昔の物を今も持ってるの?」
麻倉の問いにこくりと頷いた茅野は懐から一枚のハンカチを取り出した。
いや、何で持って来てるんだよ。
「へー、茅野ちゃん物持ちいいんだね。ん? 何か書いてあるけど……えっ、ナニコレ?」
よく見ると、デフォルメされたポケモンが描かれたハンカチの隅に、濃い文字でこう書かれていた。『愛しの弟の』と。
これにはさすがの麻倉も引き気味だ。
いや怖いな。こういうのって普通は持ち主の名前を書くだろ。
「今、どこにいるんでしょうか」
大切そうに両手でハンカチを包む茅野。
「案外近くにいたりしてな」
「世間は狭いって言うし、見つかるといいね」
「はい、会いたいです」
その後は終始麻倉が聞いてもいないことをペラペラと話すばかりだった。
他に特筆すべき事と言えば、吉野が俺の分含めて四切れものケーキをぺろりと食べ上げたことくらいだろう。
それでも茅野も吉野も楽しそうにしていたし、いい息抜きになったのではないだろうか。
「──駅まで送るよ」
食事を終えて店を出た俺は、三人にそう告げる。正直ここでさよならしてもよかったのだが、俺なりの優しさだ。
そんな俺を見て、何かを閃いたように麻倉がポンっと手を叩く。
「そうだ茅野ちゃん、丸口くんに家まで送ってもらいなよ」
「そんな、悪いですよ。私は一人でも平気ですから気にしないで下さい」
「ダメだよ、夜道を女の子一人なんて危ないでしょ。丸口くんもいいよね?」
めんどくさいな。わざわざ電車に乗って家まで送り届けるなんて冗談じゃないぞ。
俺は打開策を見出すべく思考を巡らせる。
「えー、その、あれだ。それで言ったら吉野も危ないだろ、俺が吉野を送るから麻倉さんが茅野さんを送るのはどうかな?」
我ながらいい案だとは思う。この状況だと俺だけ帰宅するのは無理だ。ならばより負担の少ない選択肢を選ぶ。吉野なら大山から一駅の中板橋だからな、とても都合がいい。
「ボクは佑助に迎えに来てもらうから大丈夫だ」
なん、だと。そうか、その手があったか。でかした吉野。
「なら、茅野さんもお姉さんか、松岡にでも迎えに来てもらえば解決だ」
話はまとまったと親指を立てる俺に、麻倉はやれやれと首を振る。
「その二人を心配させない為に今、頑張ってるんでしょ。こういう細かいとこでもアピールしていかなきゃだよ」
「茅野さんはどうなんだ?」
くそ、手強いな。こうなりゃ後は茅野頼みだ。頼む断ってくれ。
俺の内心の祈りなど露ほども知らない、茅野は少し迷ったあげく、
「じゃあ、お願いしてもいいですか?」
と、照れたように頬を染めた。こんなの断れるわけないだろ。
「……分かったよ」
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