熱が溜まらない

終始

第1話

チェッ...月末まで一文無しかよ...。

男はそうぼやきながら爪先を振り上げた。が、その足は小石にすら当たらず、微かに揺れる空気の重さを感じるだけであった。

サッカー部だった中学時代を思い出して体の奥がムカムカと気持ちが悪く、思い切り走り出してしまった。速度を増す風が何とも生ぬるかった。

間もなく踏切の前で立ち止まった。丁度、男を鎮めるかのように黄色いバーが降りてきた。


...こんな機械にまで僕の行動を制限されるのか......

指先を動かすだけの気力も残っていなかったために、もう腹を立てることすらできそうになかった。踏み切りの音の無機質さが、やけに煩く聞こえた。早く動けと捲し立てられているかの様であった。

...おい、僕の歩みを止めているのはお前だろう!

目の前の点滅する赤色に対して小言を言って、男はそのまま仰向けに倒れてしまった。

嫌でも目に飛び込んでくるのは澄んだ黒色の空と実に小さな白色だけだった。

突然彼の身体は震えだした。今が冬だからか? 上着にファスナーをグイと一番上まで上げた。それでもますます冷え込んでいくばかり。

...僕にはもう逃げ場がない。僕はあんな小さな星にすらなれない。米粒以下の点にすらなれない。誰かに依存して輝く月にすらなれない。

土まみれの背中を見せて立ち上がる。踏切注意の文字が光る。恐る恐る顔を線路にちらつかせる。少し、足を出してみる。


ゴーと、大きな音と共に鉄の塊が物凄い勢いでやって来た。

わっ。死ぬところだったじゃないか。

そう思ってハッと気がついた。なんだ、この意気地無しが。こんな一瞬の恐怖にすら克つことができないなんて。


帰ろう。帰ったらとっておきの高い酒を飲んで寝よう。

歓迎されてない客を招き入れるかのようにゆっくりとバーが上がる。踏切を渡り終えたその時、奥の方にいつぞやに乗ったバスが止まっていたのを発見した。男はまるで親友がいるかのように嬉しい顔をして駆け寄った。ヤア、このバスも流石に古くなったなあ。最後に乗ったのは何年前だったか。少なくとも僕がまだ酒の味を知らなかった頃だ。あの頃は、仕事がやりたくてやりたくて仕方がなかったんだっけ...。

また顔色を悪くさせて、機嫌が悪くなりかけていた。ふと、運転手の女が映った。

ああ、あの時の!

さっきまでの心のつっかえが一気にに消し飛び、吸い込まれるように車内に入ってしまった。

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