第10話 孤独は群れの中にある




 舞阪まいさかかえでの朝は、悪夢からの目覚めで始まる。


「──……ッ、ぅぁ、はッ!!」


 血。血。血。

 裂けた服に、自分の血肉。

 流れる鉄の匂いに、耳につんざく自分の悲鳴。


 真っ赤に染まった悪夢の中で縋るのは、毎朝六時に鳴り響くスマホのアラーム音。

 それが、身体と心に傷を負った制圧者コントローラー・カエデを絶望の夢の淵から引き揚げてくれる蜘蛛の糸だった。


「ぅうっ、……ううぅぅっ」


 跳ね起きたのは、ワンルームの六畳間。

 ベッドの上で、楓はスマホのアラームを止めることもなく両手で膝を抱えた。

 誰もいない、ひとりぼっちの家。


 不意にフラッシュバックする。

 思い出すのは迫りくる黒雷。

 焼ける自分の血肉の匂いが記憶の海から這い上がり、吐き気が一緒にこみ上げてくる。


「う……っ」


 楓はベッドから弾けるように飛び出すと、トイレへと駆け込む。

 そして、胃の中身をひっくり返した。

 しかし、出てくるのは胃液のみ。昨日は意識が朦朧としたまま自宅へと戻ってきたため、何も口にしていなかったのだ。


 吐く。泣きながら吐く。

 この時期のトイレは冷える。

 それがまた心までも冷たくした。

 恐怖と惨めさと虚しさがいっぺんにやってきて、楓の心を蝕んだ。


 楓が新品の制服の袖に手を通してスクバを掴んだのは、起床してから実に二時間後のことだった。


 ★ ★ ★


 久しぶりの登校。

 年末は配信ばかりしていた上、そのまま冬休みに突入したため、しばらく学校に来ていなかったのだ。


 そうして廊下を歩いていると、頼んでもいないのに視線を集める。


「おい、見ろよ。あれ、舞阪先輩じゃね?」

「ほんとだ……っ、相っ変わらずかわいいな~。俺、あの人フォローしてるぜ」

「その辺のアイドルより、明らか可愛いよな。巨乳だし」

「配信見たけどさ、正直えろいよね」


 雑音だ。


「ねえ、あれって舞阪楓じゃん?」

「えー、あいつ今日登校日かよ。いらないんだけど。年明けから見たくねー顔」

「身体痛めつけて承認欲求みたしてよく頑張るよねー。とんだドMっしょ。ファンに身体売ってそー」


 雑音だ。


 全部全部、雑音だ。


 学校はキライだ。

 勝手に期待して寄ってきて、勝手に落胆して離れて行く。

 世の中の人間は、口を揃えて〝顔が良ければ人生イージーモード〟と言う。

 馬鹿を言うな、と叫びたい。

 そんなものは、それこそエアプというものだろう。あなたたちも美男美女になってみたらいい。そしたらこの苦しみも分かるだろう。


 顔の造形が整っていたことで良かったことなんて、一度もない。

 異性からは顔がいいとか体つきがいいというたったそれだけの理由で薄っぺらい愛の告白を受け。

 同性からは異性の方から勝手に言い寄ってきているのにビッチだとかヤリマンだとか適当な誹謗中傷を投げつけてくる。

 この世界は出る杭が打たれるように出来ている。


 自分は一人だ。一人ぼっちだ。


 だから、インターネットの世界へ縋った。

 頑張れば誰かが見てくれると、誰かが分かってくれると、誰かが助けてくれると、そう信じて。


 でも──


:あーあ。この子もそろそろ死んじゃうのか


 現実世界こっち仮想世界あっちもも大差なんてなかった。

 自分はただのコンテンツにすぎなかった。

 ただの消費されるだけのモノにすぎなかった。

 みんなが求めているのはただの刺激で。

 そこにある想いはただ彼らの欲求を満たしたいだけの行為だった。


「今日はテキスト56ページから始めるぞ~。丁度、魔界が地球側に重界するところからだな──」


 窓際の日向の席に座って、一人外を見る。

 授業なんて興味ない。

 こんなものを受けたって、上手く生きていく方法は誰も教えてくれないのだ。


 もう誰も信じることができない。


 ──そう、たった一人の青年を除いて。


「……ラウラ、君。だっけ」


 不思議な青年だ。

 何よりも──圧倒的な強さを見せた存在。

 楓が一切歯が立たなかったあの魔女を、いともたやすく凌駕して手玉にとっていた。

 一体、何者。

 分かっているのは、楓に毎度重課金してくれる信者だということだけ。

 もっと別の人物像をイメージしていたが──まさか同年代ほどの男子だったとは。


 ──もっとも、かなり気持ち悪い……いや、衝撃的な言動も見え隠れはしていたが。


 たった一人、彼一人。

 初めて助けてくれた、名実ともに救世主の男の子。

 そらが、ラウラという青年だった。


「──変わった子、だったな」


 楓は教室の中を見渡す。

 つまらない、灰色の世界。

 ここにいる人たちに比べれば、あの青年との出会いは刺激的だった。


「……♪」


 いつの間にか、楓の口元には久方ぶりの微笑が浮かんでいた。




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