第5話 誰しも推しの前では格好つけたくなる


 光が去り、音が去り、熱が去った。

 そう知覚したのも一瞬の出来事。

 やがて五感が戻り、時間が経つと、砂煙に塗れた巨大クレーターの内部も、風によって空の蒼が見え始めた。


「────⋯⋯⋯⋯相も変わらず甘いですわね」


 煙が晴れた先。

 エリアーナは変わらず泰然と佇んでいた。

 ラウラもまた、数刻前と寸分たがわぬ場所に立っていた。


 両者について何も変化はない

 変化があったのは、地形・・だった。


 エリアーナの立つ足場を除き、彼女を中心とした半径きっちり五メートルが、深淵まで円柱状に抉り取られていた。

 ただ一瞬。ただ刹那。

 たったその合間に、ラウラの魔力はそれだけの大質量を消し飛ばしていた。


 エリアーナは溜息をつく。


「その力があれば、魔界のみならず地球をも統一するのは容易いでしょうに」

「我は隠居中であるが?」

「封印中、のお間違いではありませんの?」

「違いない。そうであったな」


 穏やかな風が、不敵に笑う二人の髪を撫でていく。

 不意に訪れた静寂。

 それを、破る声があった。


「い、一体、なにがおこったの……? あなたたちは、何者?」


 声の主はカエデだった。

 彼女は破れたセーラー服を両手で掻き抱きながら、恐怖に顔を強張らせていた。


 エリアーナはそんなカエデを一瞥したのちラウラに向きなおると、つまらなそうに鼻を鳴らす。


「先代。なぜ、よりにもよってあんな生娘ですの?」

「エリアには関係ないことであるな」

「わたしという女を振り続けておいて、関係ないとはひどい人」


 ラウラは肩を竦めた。どんな言葉も、今のエリアーナには響かないと分かっていたからだ。


 すると、ラウラの背後で空間が歪むにぶい音が鳴った。

 振り返る。

 中空に現れたのは水面を平面に立てたような次元の狭間。

 そこから、身長が150センチにも満たないであろう童顔で細身の少女が血相を飛び出してきた。

 シロである。


「ラ、ラウラ様ッ! ご無事ですか!?」

「シロ……っ、なぜついてきた!」

「私はラウラ様の専属秘書で懐刀で、未来のお嫁さんだからです……っ!」


 シロの言葉に、エリアーナの額に青筋が走る。


 シロは身体にぴったりと張り付いたまた別の白銀色の戦闘服に身を包んで、両手に彼女の身長よりも大振りなスタッフを抱えていた。

 シロはラウラ越しにエリアーナの姿をきっ、と睨みつけると、ラウラの身を庇うように前に立つ。


「エリアーナッ! 貴女、よりにもよってラウラ様に術を向けましたねッ!! その愚行、万死に値します!!」

「あら、シロではありませんの。子猫がにゃーにゃーとうるさいですわね。今わたくしは先代と話しておりますの。──そんなことより」


 エリアーナはぞっとするほど美しい笑みを浮かべた。


「あなたこそ、やはり裏切っておりましたの」

「……っ、わ、私は、その……っ!」

「これは問題ですわねえ。魔王軍でも特別な遊軍、第七師団の長を務めるあなたが、実は今も先代の手駒とあっては──」

「エリア。それが条件だ」

「は……?」


 エリアーナは眉をひそめて首を傾げた。

 ラウラは今度はシロを庇うように、一歩前に出る。


「カエデたんとシロのことを見逃せ。シロについては我とともにあること、それ自体について秘匿せよ。それが、ここでエリアを生きて返す条件だ」

「はっ。わたくしを殺せないのは先代の甘えたお気持ちが理由ではありませんの?」


 ラウラは目を細めた。


「エリア。我は、伝えたぞ。選ぶのはお前だ」

「────」


 息を呑むエリア。

 ラウラを振り返るシロ。

 それもそのはず。

 ラウラは今、この瞬間だけ、殺気を向けていたから。

 二人とも共通して、その目が恐怖に揺れていた。


 数刻の後。

 エリアーナが嘆息とともに、両手を上げた。


「……わかりましたわ。ええ、わかりましたとも。この場は大人しく引き下がります。その娘にも、ちんちくりんの雌猫についてもわたくしは認知しない──そういうことにしておきますわ」


 ラウラは殺気を引っ込め、頭を下げる。


「恩に着る」

「……やめてくださいまし。敵であるわたくしに、そんな、感謝の言葉など」


 エリアーナは顔を伏せ、踵を返した。

 そして振り返る。


「……それでは、ご機嫌よう」


 最後にカエデとシロを、少し羨ましそうに見て。

 そして、エリアーナの身体はどこからともなく現れた黒い煙に包まれて消えた。


「⋯⋯たす、かった?」


 へにゃり、と座り込むカエデ。

 シロもまた地面に立てたスタッフに体重を預けながら大きく息を吐いた。


「やばっ、配信っ」


 すると、カエデが慌てて声を上げ、投影魔術で画面を操作する。

 しかし、ラウラの魔術が発した膨大な魔力の波に、カエデの魔術が掻き消えてしまっていたらしく、配信はいつの間にか切断されていた。


「⋯⋯あとで謝罪配信しなきゃ」


 カエデは呟いたあと、震える足で立ち上がる。

 そして、ラウラ達を見やった。


「⋯⋯⋯⋯」


 無言で身構えるシロ。

 その後ろで泰然と直立するラウラ。その実、推しの視界に入ってしまったことで極度の緊張から身体が動かなくなってしまっていた。


 カエデはがばり、と大きく腰を折って頭を下げた。

 その拍子に、破れたセーラー服の隙間から彼女のたわわすぎる胸が大きく揺れる。

 桃色の先端が一瞬見えたのは気のせいだ。そういう事にしておかなければ理性が吹き飛ぶ。


「あの⋯⋯、ありがとう。助けてくれて」


 彼女の礼を前にラウラはそのままキザに笑って颯爽と立ち去った──なんてことができる訳もなく。


 ラウラは、ずざぁっ、とカエデの前までスライディング正座を決めると、


「お、ぉおおおおお、生カエデたん……っ!!」

「……………………」


 両手を組んで拝みながら、額で地面にキスをした。


 空気から分かる、ドン引きするカエデ。

 おかしい。

 いつもの配信中のカエデからしたから、いつも応援してくれてありがとう♡ くらい言ってくれそうなものなのに。


「ら、ラウラ様、地球人相手にみっともございません、おやめくださいっ!」


 ラウラはシロに強引に引き起こされた。

 そしてシロにズルズルと次元門まで引き摺られる。


「ま、まてシロっ、何をする! せっかく女神の御前に我らは在るのに!」

「何を寝ぼけらっしゃるんですか! 女神リアスティ様はラウラ様に振られた挙句、魔力だけ持ってかれて傷心の末、天界に引きこもり中でしょう!?」

「皆まで言わせるなシロ! 女神とはリアスのことでは無い、カエデたんのことである!」

「あれはただの地球人ですっ! というかリアスティ様、また泣いちゃいますよ!?」


 ぐいぐい、と次元門に押し込まれるラウラ。

 そしていよいよ頭部までも門をくぐりそうになった、その時。


「あの⋯⋯っ、君の名前、教えてくれない!?」


 カエデが駆け寄りながら叫んだ。

 ラウラは震える喉に鞭打って、言葉を作る。


「我の名は──ラウラである」


 瞬間、ラウラは次元門を超え、その姿は渋谷の都市まちから消失した。


 そんな場所に一人取り残されたカエデは、爽やかに吹く風の中で呟く。


「⋯⋯またね、ラウラ君」





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