第16話 交流戦 ③

 球場にカンと響く、何度も繰り返し聞きたくなるような心地の良い音。


 その音が耳に届いた瞬間、春野の左側、1塁線の外を人を殺せるぐらいのスピードで打球が走った。


 実際、彼のスイングには殺気ともとれるような恐ろしさがある。


 時空を切り裂くスイングスピード、百獣の王と形容したくなる気迫、すべてを見透かしているようなまなざし。


 競技こそ違うが、若かりし頃のレブロンジェームスもこのような感じだったのかもしれないと春野は思った。


 ふと、普段教室で自分の前の席に座っている細身の卓球部男子を思い出す。


 彼と比べて、とても同い年の人間とは思えない。というか、同じ人としてカテゴライズすることが間違っている気がする。


 生物としての格が違うというか。


「タイミング合ってないよー」


 試しに煽ってみても気にしていない様子で一切表情を変えようとしない。


 自分が発したやじに対する態度だけでも、彼が行う練習の質の高さがうかがえる。


 よくある練習の一部としてではなく、技術向上の為の大切な機会としてこの打席と向き合っているに違いない。


 さて、ウェッショーの狙い球は何だろうか。


 ど真ん中へ放り込まれた大胆なカーブボールに泳がされた後の2球目、外へ逃げていくスライダーにウェッショーは持ち前の長いリーチを生かし、うまく合わせた。


 春野も急いで2塁に向かう。

 

 踏み出し始めた3歩目、軸足にした左の足首に激しい痛みを感じた。


 右足で着地し、春野は回転しながら地面に倒れこむ。


 ウェッショーの放った打球がファーストの方向へ反射し、結果的に春野は守備妨害、ウェッショーはファーストゴロでのアウトとなった。


「なに打球から目切ってんだ、お前?」


 ウェッショーが歩いて近づいてくる。


「立てるか?」


 差し出された手を取って起き上がり、春野は自分が怪我を負っていないか確かめるように歩いた。


 ――大丈夫だ、じんじんするけど。


「お前体でかいし、ホームランか長打打ってるとこしか見たことなかったから、勝手に打球浮くもんだと思ってたわ」

 

「意味わからんって。馬鹿だろ」


 2人は歩いて1塁線を跨ぎ、少し離れた芝生の上に座り込んだ。


「てか、打球に当たったランナーってアウトになるんだね。知らなかった」


「野球のルール知らないやつに打たれたくないってピッチャーも思ってるだろうな」


 ウェッショーの至極まっとうな意見に春野は吹き出してしまった。


「ちなみに、今の公式戦だったらお前A級戦犯だからな。ノーアウト1、2塁がツーアウトランナーなしとかマジで笑えん」


 自分のヒットを凡打という結果に変えられたことに関して特に気にしていなさそうではあるが、ウェッショーの口ぶりからは哀愁が漂っている。


「何が面白くてそんな笑ってんだ?」


「なんか、頼むわーみたいな雰囲気出してるのがおかしくて、ふふ、ツボ入った」


 大声を上げ腹を抱える春野の横で、ウェッショーは深いため息をついた。


「それより、よく打てたな。俺は打てないと思ってた」


「たまたまだよ。高めをヒットにしたのは確かにうちの実力だけど。正直、力の壁感じたね。初見でこれは打てないって思ったのは初めて」


「そんなもんだろ。高1の女が打てていい相手じゃないからな」


「男、女じゃなくて、高1が打てていい相手じゃないだろあの人。お前普通に戦えてんじゃん」

 

「まあ、俺は例外だからな。体格にも恵まれてる」


 台詞だけ聞けば、うぬぼれや自慢話と解釈されそうな内容だが、不思議と嫌味な印象を受けないのは、彼が表情を変えずに淡々と語っているからかもしれない。


「マジでパワー。パワーが足りてない。バットも全然振れてないし」


「全然バット振れてないやつが150の真っすぐを打つな」


 

          *


 

 試合の中盤で参加したため、最終回に2回目の打席をむかえることになった。


 結局、春野は懸念していた力不足がそのまま結果に直結した。


 外低めのストレートに力負けしゴロを打たされる。


 彼女自身、多少立ち遅れをして詰まっても、大抵のピッチャー相手なら狙った場所へ打球を運ぶことができていたが、ついに頭打ちになった。


 この結果を受け、春野は自身の課題が体重の増量と筋肥大であるとはっきりさせられる。


 続くウェッショーは、引っ張りの意識を相手に悟られ、それを利用された。


 アウトコースに落ちながら逃げていくスライダーにつられ三振となる。


 自分のチームが勝ったか負けたかもわからないまま試合が終わり、2人の元へ相手ピッチャーが近づいてきた。


 「あんた凄いな。打たれるとは思わなかったよ」


 春野は差し出された手を取り、「ありがとう。あなたよりすごいピッチャーに会ったことないよ」と笑顔で返した。


 「悪いけどもう一度名前を聞いてもいい?」


 「春野だよ。そっちは?」


 「クリスって呼んで。今年いくつになるの?」


 「今15。来月で16になる」


 春野の答えを聞いて、クリスは大げさなリアクションをとった。


 「まじかよ。態度も堂々としてるし、成人してるのかと思ってた」


 隣でウェッショーが笑っている。


 「いや、ただ生意気なだけだよ」


 ウェッショー物言いに腹を立てた春野は「うるせーな。黙っとけ」と日本語で返す。


 「ウェッショー、ここに来るときは毎回彼女も連れてきな。なんなら、試合無い時でも連絡くれたら実戦形式で相手してあげるよ。俺以上の練習相手はいないだろ?」


 「ありがとう。助かるよ」と今度はウェッショーから手を差し伸べ、2人が握手を交わしていると、駐車場の方向から「hey,son(おい、息子)」と野太い大声が響いた。


 

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