くノ一DH

焔 雁行

プロローグ 前編

「すいません。あの……、ここの野球部の監督さんですよね?」

 

 練習のメニューをひと通り終え、最後のミーティング残し、教員用駐車場すぐ横の喫煙所へ一服しにきた明智成恭あけちせいきょうは、大柄の高校球児二人組に声をかけられた。

  

 急いでタバコの火を消し、さりげなく彼らの胸元に目をやる。荒城こうじょうと大きくローマ字でプリントされていた。

 

 荒城と言ったら、富山の甲子園常連校で、去年も全国ベスト8の強豪校だ。

 

 なんでまた彼らのような強豪がうちのような神奈川の中堅校にいるんだと呆気に取られていたが、土で汚れた彼らのユニフォームを見て、神奈川県内の強豪を練習相手に、夏の大会前の調整を兼ねた遠征合宿と言ったところであろうなと察しがついた。


 今日が、5月20日の土曜なので、どこか近くのホテルで一泊し、明日の夕方あたりに学校バスを使って帰るのかもしれない。

 

 やはり、自分達程度のチームには話が来ないのかと、ため息が出た。


「はい、そうですけど。何か御用ですか?」

 

 話しかけてきた方は、緊張と不安で顔を歪めている。

 

もう一方は、そっぽを向いていた。


「あの、春野は……、春野夏穂はるのかほは野球部に所属していますか?」


 ——突拍子もない質問だな。明智は眉をひそめた。

 

「地元が同じ愛知で、中学一緒だったんです」

 

 おそらく、彼らは遠征中にも関わらず、集団行動から抜け出してきたのだろう。


 彼本人にとって、特別な想いを寄せている人物に違いない。


まるで愛の告白をした想い人の返事を待っているかのような面持ちをしている。

 

 ——しかし、春野夏穂……。聞いたことのない名前だった。

 

「女子生徒ですよね? うちのマネージャーにはいませんよ」


「マネージャーではなくて……」と彼が間髪入れずに捲し立てようとすると、「もうええやろ」と今まで沈黙を貫いてきた片方が止めに入った。


「すいません、監督さん。ご存じないんですよね?」


「申し訳ないけど、聞いたことないですね。一年生かな? 私、授業は二、三年の社会科を担当しているので」


「はい、同じ一年です。」 

 一年生なのか君は……。明智は動揺が顔に出ないよう務めた。高校一年生がしていいフィジカルではない。


「うちには女子の硬式野球部はなくて、あるのはソフトボール部だけなんです。なので、もしかしたらソフトボール部にいるのかもしれないですね。というか、中学の同級生だったらSNSとかでやりとりはしてないんですか?」

 

 明智が聞くと、彼はバツが悪そうにした。痛いところを突かれたようで、目線も定まっていない。


「LINEをブロックされているんです……。でも、春野は入学する時に、ソフト部か野球部で迷ってるって話を中学の友達にしていたと又聞きしてるので、ソフト部にいると思います」


「そうですか……。残念ながら、ソフトボール部は午前中で帰っちゃったんですよ。午後から入れ替わりで私たちがグラウンドを使っていたので。うちの一年に聞いてみますか?」


「いや、直接会えないんだったら、自分がここに来たって気づかれたくないんです」


「深入りするつもりはないけど、揉め事を持ち込みに来た訳ではないんですよね?」


「いいえ、違います」 彼はぶんぶんと頭を振った。


「ならいいんですけど。うーん、でもソフト部の顧問の先生も帰っちゃってるだろうし……。明日なら、ソフト部は一日中グラウンドにいると思うんですけどね。明日、うちの野球部は校外で試合をするのに一日グラウンドを使わないから、ソフト部にグラウンドを貸出するんです」

 

 二人は目配せした。


「無理やで。そんな時間ない」

「でも、もう機会がないんすよ。なんとかできないですか?」

「知らんわ。監督に聞け。何回も意味わからん後輩のわがままに付き合いたないわ」

 

 もう一方の彼は先輩らしい。わがままに付き合わせた当本人は、先輩に諭されて借りてきた猫のようになっている。


「まあ、とりあえず明日また来るかもしれないんですね。さっきも言った通り、明日自分らはいないので、代わりに自分からソフト部の顧問に話を通しといてあげますよ。そうだ、お名前は?」


「ああ、そうですよね。申し訳ないです。最初に名乗るべきでした。荒城高校の前田創志まえだそうしです」


 ——前田創志……。


「じゃあ、前田くんが来るかもしれないって、顧問の柏木かしわぎ先生に伝えておきますね。いつも目立つ青色の服着てて、スタイルのいい美人の先生なのですぐわかると思います」


「ありがとうございます。よろしくお願いします」

「すいません、ほんと。わざわざこんな奴のために」

 

 明智がそう告げると、二人は深く頭を下げた。


「すいません、監督さん。最後にひとついいですか?」

 

 明智は、前田の声色が若干攻撃的なものになったように感じた。先輩の彼もそれを感じ取ったらしく、三人の間に妙な緊張感が漂っている。


「なんですか?」


「自分は、春野が入部する部活をソフト部か野球部かで迷わないと思うんですよ。多分、春野は野球から退くことを友達に言いづらくて、あんな言い方をしたんじゃないかって。あいつなら野球部一択、それ以外なんてありえないんです。監督さん……、もしかしてあいつのことを、女って理由だけで突っぱねたんじゃないですか?しかも、一度も会わずに」


 明智は唾を飲んだ。


「よく分かりましたね」 この一言で前田の眼差しが鋭いものになった。


「確かに、今年一人だけ女子生徒の入部希望者がいましたね。彼女が春野さんだったんですね。うちのマネージャーに部員として入部したがってる女の子がいると伝えられた時、代わりに断らせたんですよ。理由が言いずらい内容なので」


「どうせ、女がいると空気が緩くなるとか、試合に出られないのに他の選手の練習を邪魔されたら困るとかでしょう?」


「ほんと鋭いな、君。プロに行くんだったらそれぐらいの気概がないとなぁ」


 他所行きの顔が崩れ出した二人を見て、先輩の方は以外にも楽しんでいるようだ。笑っている。


「春野は男の世界で野球をやるべきなんですよ。鋭い変化球も豪速球も高いレベルで経験を積まないと勿体無いんです。あれでしょ? 春野が野球部にいないってことは、一度もあいつの打席を見たことがないんだ? 見たことあったら、入部認めたくなるだろうから」

 

 明智は眉をひそめ、言葉に詰まった。


 ——何を言いたいのだろうか。


「監督さん、春野は本物ですよ。あなたが春野を門前払いした結果、あいつが野球を今後プレーしなくなるとしたら、多分日本から貴重な才能をひとつ潰したことになるでしょうね」

 

 そう言い残すと、何か言おうとした明智をお構いなしに、前田は失礼しますと言い残し、二人は去っていった。

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