おじいちゃん探偵譲三郎 ――老夫絢永極道街流憩奇譚――

柿月籠野(カキヅキコモノ)

龍の巻

第1話 友人

 ぼやけた、白い天井。

 枕元にある眼鏡をかければ、クロスの細かな凹凸おうとつが何とか見えるだろうが、それでも、白い天井に変わりない。枕元に手を伸ばすのは、もう少し後にしてもいいだろう。

 長谷川はせがわ恵太けいたはぬくぬくの布団の中でただ天井を眺め、冬の休日の朝の、幸せな時間を享受きょうじゅしていた。

 昨日は、楽しかったな。

 何の用事も無かったけれど、仕事帰りにまもるに連絡をして、二人でふらっと飲みに行った。

 いつもの居酒屋さんでの話は、盛り上がりも、しらけもしなかった。

 小学校からの友人なのだから、当然だろう。

 衛は中学を卒業すると、徐々にへと足を踏み入れ、三十代も目前となった今では、立派な極道ごくどうだ。それでも、そして衛の組では恵太のような一般人――カタギの人間とつるむことは禁じられているのに、衛はいつまでも恵太の友人でいてくれる。

 どうして? と聞くと衛はいつも、お前が頼りないからだ、と笑って恵太のおでこを小突こづく。

 衛に比べれば平凡な人生だとは思うが、頼りないとは心外な。

 全く別の道を選んだけれど、こうして、立派に生きているのに。

 恵太は一人でふふ、と笑って、ぬくぬくの掛け布団を目の下まで引き上げ、寝返りを打つ。

 なんてったって、今日は休日。あったかいお布団で、いつまででもぬくぬくしていていいのだ。

 ――しかし、お腹がいてきた。

 ぬくぬくの布団は惜しいが、そろそろ起きようかな。でも、寒いしな……。

 しかし、掛け布団を握ってうだうだしているところに、呼び鈴が鳴る。

 呼び鈴?

 何か注文した覚えはないが、この土曜日に忙しく働いてくれている配達員を待たせるわけにもいかない。おそらく実家の母親が、レトルト食品やら野菜ジュースやらを予告無しで送ってきたのだろう。いつものことだ。

 恵太は急いで布団から出て、立ち上がりながら掴んだ眼鏡をかけ、寝間着の袖を両手でさすりながらインターホンへと走る。急に動いたからか、頭がにぶく痛む。

 ああ、配達員は汗の染みた制服を着て働いているのに、自分だけ柔らかな寝間着だなんて、申し訳ない。だが待たせるのはもっと申し訳ないので、そのままインターホンで「はーい」と返事をして、「シマヤ急便でーす」の返答を聞いて、玄関を開ける――はずだったが、インターホンのスピーカーから返ってきた言葉は、予想だにしないものだった。

『警察の者です』

「は、は……?」

 恵太は自分の腕を抱いたまま、寒さからか困惑からか震える口で、何とか疑問の声を絞り出す。

 インターホンの画面に映るのは確かに、警察官らしい制服を着た二人の男だ。二人とも警察手帳のようなものをカメラに向けているが、恵太は刑事ドラマや推理小説にはうといし、まして本物など見たことがないので、そんなものを見せられても何も分からない。

『朝早くにすみません。昨晩の件で、お話を伺いたく参りました』

 最初に『警察の者です』と言った男が、威圧感を与えないためかカメラから少し視線を外したまま、丁寧に言う。

「すっ、昨晩……?」

 昨晩――。

 このアパートで変死体が出た、とかだろうか。しかしそんなことがあれば、いくら近所付き合いが無いからといって、異変に気付かないはずがない。恵太は夜に帰ってきたのだから、何か作業をしたり、それこそ警察が来たりしているのが見えるか、聞こえるかするはずだ――。

 夜……。

 あれ……?

『昨晩、紀城きじょうまもるさんが亡くなりました』

「そんなわけない!」

 恵太は理解できないままに、叫んでいた。

 衛が、死ぬ訳がない。

 あんなに元気で、いつもみたいに楽しく話して、笑って、それで、それで――。

 恵太は昨晩の記憶を辿たどるうちに、あることに気が付く。

 衛と一緒に居酒屋を出て、それから、どうしたっけ。

 駅まで歩いて、電車に乗って、家に帰った――のは、一昨日おとといの記憶か、それか先月、昨日と同じように衛と飲んだ時の記憶かもしれなかった。

 昨晩の記憶だと確かに言えるものは、恵太の中には見付からなかった。

『詳しい事情は署でお話しします。捜査にご協力いただけませんか』

 警察官の口調は柔らかかったが、それでも恵太は、衛が死んだのは殺人事件にったためで、自分がその犯人として疑われているのだということが分かった。

「はい」

 恵太に、迷いは無かった。

 衛がいなくなったことは、まだ受け入れられない。

 だが衛のためならば、疑われてもいい。自分ができることを、全てやろう。

 それは、衛が死んでいようが生きていようが、恵太の中で変わることのないものだった。

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