遼来~猛虎食む青嵐~

焔コブラ

第1話 襲来(曹操軍)

 生温かい風が肌を撫でる。集中している意識を逸らそうとしているように感じられるも張遼ちょうりょうの意識は逸れることはない。だが、弓を握り、引き絞る手には余計な力が入る。


 黄昏の空に木に括りつけた的。幾本も矢が突き刺さっている。


 目の前にあるのは、自分がいる場所は合肥がっぴの城だと自分に言い聞かせる。それでも、拭おうとしても少し熱を持った風はあの日の、赤壁せきへきの戦いでの敗北を忘れるなと言わんばかりに思い出させる。


 目の前に広がるのは、燃え盛る長江。目前にした中華の統一という大事業が音を立てて崩れたあの日。


 弦を張った手を離すと「バシュッ‼」と的をぶち抜いた。近くで見ていた兵卒が感嘆の声を上げるも張遼の耳には届かない。


「ふぅ…」と息を吐くと張遼は持っていた弓を柱に立てかけ、汗を拭く布と竹筒がある場所へ近づいていく。直後に見ていた兵卒が駆けだして布と水を手に取って張遼へ差し出す。


「将軍‼お見事でした‼」


「ありがとう」


 礼を言って張遼は顔と首の汗を拭き、水を飲む。自分で思っていたよりも体は水を求めていたようで体に染み渡る。一息つくと的に目を向ける。


「これならば孫権そんけんが進行してきたとしても大丈夫ですね‼」


「おい‼」と小さな声でもう1人の兵卒が制す。その言葉は張遼にとっては言ってはいけない言葉だ。尤もそれは悪意がある場合で意図したものではないのなら怒る理由はない。


「少しばかり羽目を外しすぎたな…」


 独りごちると張遼は兵士に弓を預けて城内へ戻るべく足を向ける。まだ少し仕事が残っているからだ。


 一歩目を踏み出すとしたところで、目の前から慌ただしくというよりも戦場から命辛々逃げてきたという表現が的確といえるほどの勢いで走り込んで来る兵卒の姿が見えた。今にも倒れそうになった姿を目の当たりにした張遼は咄嗟に前へ出て受け止めた。手に汗の生暖かさが伝わってくる。


「水を」と持っていた竹筒を今にも倒れそうになっている兵士の口に当てて傾ける。喉を鳴らしながら飲む姿はあと少しでも遅れていたらと思わせるには十分だった。


「しょ…将軍…。ありがとうございます」


「少し休め。話はそれからでも…」


 息も絶え絶え、前が見えているのかすら怪しい状態だったため張遼は少し休むように勧めるも拒否するように兵士は衣の袖を掴んだ。


「孫権軍が…巣湖に接近。そのまま…合肥に北進するかと」


 心臓が飛び跳ねるのを感じた。動揺が顔に出てしまいそうになるも持ち前の理性で強引に抑え込んだ。


「数は?」


「確認できただけでも…万は下らないかと」


 ドクンと心臓が再び跳ねた。これまでに幾度も死地と思わせる戦いはあったが、張遼を戦慄させるには十分だった。


「この者を頼む。それと楽進がくしん殿、李典りてん殿、薛梯せつてい殿をすぐに」

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