舞踏戦騎

 暴虐なあるじが去った後、ルルは廊下を拭き清めた。

 使用人たちが憐れみと蔑みのこもった眼で彼女の脇を通り過ぎてゆく。

 誰も手伝ってはくれない。もちろんヒンドリーに言い含められているからだ。なにより、ルルさえ苦境に立たされていれば自分たちの身は安泰なのだ。だから、使用人の中には率先してルルにつらく当たる者も少なからず存在していた。


「相変わらずグズな奴だな、お前さんはよ。もうちっと上手うまく立ち回れねぇモンなのか」


 そう言いながらやってきたのは老爺ろうや――庭師のシゴルヒだった。使用人の中でも古株の彼は、仕方のないやつだとでも言いたげな冷たいまなざしを送っている。


「霊素の資質がわずかでもありゃあ、こんな身分に甘んじることもねぇだろうに……」


 そう言って水浸しの床を一瞥いちべつした。


(霊素か――)


 この世界を循環する神の恩恵をそう呼ぶ。

 あらゆる術式や武具、エネルギーの源であり、万物を構成する因子でもある。ゆえに、強い霊素を持つ者はそれだけ力を誇示することが可能だ。戦力にもなる。社会的な影響力に比例するからだった。


「でも私にはその能力がないんですよ」


 その通りだった。

 霊素を体内に蓄え、術式として活用できる人間が大多数のこの世界において、ルルにはその資質が完全に欠落していた。理由は不明。強い霊素を持つ者ほど、高い社会的地位が約束されるなかで、ルルという少女は一般的な使用人よりも低い立場とみられていたのだ。


(もっとも、それはこのむすめが辿った「これまでの人生」だがね)


 今のルルには強い霊素が宿っている。異世界召喚の恩恵だろう。おそらくは屋敷の誰にも負けない術式を行使できるはず――に思えた。


(しかし、己にはそのための知識も記憶もない)


 当然だった。

 だからこそ、まずはその理屈を習得する必要があるとルルは思った。


「ねぇ、ちょっと教えてほしいのだけれど」

「なんだやぶからぼうに」

「シゴルヒはどうやって術式を学んだの」

「……学校に決まっているだろ。ああ、そうかお前さんは霊素を持たねぇからそんなことも知らなかったんだな。ハハッ、とんだ間抜け話だぜ」


 そう言って馬鹿にしたような冷笑を浮かべて見せる。他人の無知を喜ぶ、実に不愉快な笑みだった。


「――私も学校に行けるかしら」

「ハッ! 何を馬鹿なことを! 霊素の資質を持たねぇお前さんが行ってどうにかなるような場所じゃねぇよ。そもそもヒンドリーさまが許さねえさ。寝ぼけたことばかり言ってねぇで、さっさと掃除しろ。またどやされっぞ」


 言うだけ言うと去ってゆく。行く先はおそらく酒蔵だろう。ルルはシゴルヒがそこからくすねた酒を売りさばいては、小遣いを稼いでいるのを知っている。ヒンドリーに告げるぞとおどせば何かの手札になりそうだと思う。もっとも――かつての少女であれば、シゴルヒからの報復を恐れるあまり告げ口など考えもしなかっただろうが。


(このむすめ……無能ゆえに屋敷内では軽んじられているようだが、それだけ彼女の前ではどいつも無防備な姿をさらしていたということか)


 それはそうだろう。仮にルルに弱みを握られたところで、霊素を持たず術式を扱えぬ小娘など脅威ではない。侮られるとは、つまりそういうことでもあるのだ。



 ***



 もちろん掃除などする気はなかった。

 主の言いつけは絶対である使用人にあるまじき行為だったが、そもそもルルは召使ではない。代わりに向かったのは屋敷の書庫だった。


「ここならば霊素に関する文献もあるに違いない」


 先代の伯爵は蔵書家だったのだろう。ところせましと古びた書物が陳列されている。その大半はほこりをかぶって放置されたままだ。掃除が行き届いていないことは間違いないが、そもそもヒンドリーが命じていないのだろうとも推察する。彼にとっては書物など財産のうちにも入らないのだ。


「超越学……永劫心理学……なんだこの学問は」


 それらはみな古き時代の術式に関する学問をまとめた文献だった。

 本を開けば茶色く変色した紙に、びっしりと手書きのメモが書き込まれている。よほど使い込まれたもののようだ。その多くが、難解な本の記述を分かりやすく嚙み砕いた伯爵の手によるものだった。


「神人進化論に考霊学か。訳が分からないが、とりあえず読んでいくとしよう」


 はっきり言って、どれも難解なものには違いなかった。

 初歩的な記述のある本が見つかればよかったのだが、そう都合よくはいかない。だが一つだけ良いものを見つける。それはかぜを媒介とする術式の応用学で、大気中の霊素密度を凝縮させ、自らを守る盾を構築するというものだった。


「なるほど防御術式か。攻撃術よりも今はこちらを優先すべきかな……」


 手がかりは一つ分かれば後は芋づる式だ。解読には伯爵の残したメモが大いに役に立つ。一冊、また一冊と読みふけるうちに夜は明け、やがて日が昇った。



 ***



 ヒンドリーが帰ったのは翌日の昼前になってからだった。

 主の帰宅は使用人一同で出迎えるのがしきたりだ。よってルルも仕方なく玄関に向かう。


 屋敷前に降り立ったのは褐色の巨人だった。

 いや、ただの巨人ではない。目視で全高十二メートルはある、機械仕掛けの巨人だとわかった。


(この世界、こんなものまであるのか――)


 少し呆気あっけにとられて、瞠目どうもくする。

 舞踏戦騎ぶとうせんきと呼ばれる人型機動兵器の雄姿がそこにはあった。

 どこか有機的な外観をもっている二足双腕の巨大騎士だ。全く継ぎ目のない外殻を見るに、生体部品が多く使用されていることがなんとなくわかった。


 不思議なものだと思う。シゴルヒに言わせれば、これでも軽級なのだという。名門貴族の屋敷には最低でも一機、これが配備されている。通常ならば操るのは主だが、見たところ別の者が操っているらしい。その技術もまた未知のものだった。


(ゆくゆくは舞踏戦騎こいつのことも学ばねば)


 巨人の胸部装甲が跳ね上がると、ヒンドリーが地面に降り立つ。酔っているのだろうか、その足取りはややおぼつかない。夜会とはおっしゃっていたけどきっと賭け事よ――と使用人の女がこそっと話すのをルルは聞き逃さなかった。


「お兄さま! おかえりなさい!」


 可憐な声がした。

 駆け寄るのは少女だった。派手なフリルのついた赤と黒のドレスを着こなしている小柄なむすめだ。森の色をした髪の毛は豪華なウェーブがかかっており、極彩色の大きな花が飾られてもいた。


(悪趣味だな……)


 ルルは心の中で毒づくが、顔に出すことはしない。

 少女はヒンドリーの妹である、マリリン・イジチュールだった。


「おお、マリリン。我が愛しの妹よ」

「いやだお兄さまったら、またお酒をたしなまれたのね?」

「これも大人の務めというものだ。お前もじきにわかるさ」


 無邪気にじゃれあう兄妹。茶番だな、とシゴルヒが小さくつぶやいた。


「おう、おめぇら――仕事はきちっとやってたんだろうな?」


 ヒンドリーに続いて現れたのは、大きな鼻を持つ巨漢だった。全身これ筋肉といったいでたちであり、その顔立ちはお世辞にも美男子とはいいがたい。アルゴス・イジチュールというのが彼の名であり、ヒンドリーの弟でもあった。どうやら彼が操演を任されていたらしい。


「ヒンドリーさま、アルゴスさま、お疲れさまでした」


 侍従長の女がうやうしくお辞儀じぎをした。一同もそれに倣う。だが、儀礼的なものに過ぎない。心のこもった言葉は聞こえてこなかった。


 考えてみればイジチュール屋敷には人の温かみがほとんど感じられない。使用人はどいつもこいつも神経をささくれ立てているし、率先してやることといえば足の引っぱりあいだ。鬱屈した日常ではそれが一番の快楽なのだろう。かれらイジチュール兄妹にしても、仲が良く見えるのは表向きだけで、その実態は先代伯爵の遺産を巡っての火花を散らしているともっぱらの噂だった。


(陰湿極まりない、針のむしろかな……)


 シゴルヒの言う茶番を見つめながら、ルルはそう思った。


「おい役立たず。ぼさっとしてねえで旦那様のために道を開けねえか!」


 老爺からの叱責が飛んだ。

 気がつけば皆一様に玄関前の道を開け、頭を垂れている。取り残されているのはルル一人だった。あらかじめ教えてくれていてもよさそうなものだが、ここではそういうしきたりなのだろうと理解する。


「まあ! 本当に使えない娘だこと。亡くなった父上も、どうしてこんな犬畜生にも劣る気の利かないノロマを屋敷に入れたのかしら。さあ、おどきなさい。お兄さまのお帰りなのよ」


「マリリン、口汚いぞ」とヒンドリーがたしなめるも、その目は笑っている。まるで波風が立つことを期待していたかのようにだ。


 もちろんルルにそんな義理はなかった。

 だからあえて思うままを言葉にする。


「そんなことよりもヒンドリーよ、私は学校に行きたいんだが……」

 

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