第18話 愛する者の価値

片山が罪を犯したその夜。氷冠は自分の計画が上手くいった愉悦に浸りながら、いつもの洋館で一人杯を傾けていた。

 隠し場所の正確な場所を探すよりも、片山の跡を付けさせた方が早い。そう考えた氷冠は、奥御殿での会話の後使いの者に片山の後を尾行させていた。案の定彼は水晶の館に向かい、その後質屋に向かった。自分のたくらみ通りに動く片山の愚かさに、思わず笑いが止まらなかった。


 ただ一つ誤算だったのが、質屋の口の堅さだ。店主の老婆はなかなかの曲者で、片山から売られた品について頑として口を割らなかったらしい。王家の名前を出してようやく少しだけ話を引き出すことができたが、なんでも持ち込まれたのは小さな宝石ばかりで、それを元に出所を特定するのは無理らしく、何の役にも立たない情報だった。財宝をそのまま売ってしまえばすぐに輝石家のものだとバレてしまうから、きっと小さいかけらを少しずつ盗んだのだろう。浅ましい平民だけあって、汚い知恵だけはよく回るのだ。


 多少想定外ではあったが、これはこれで面白い展開だった。憧れの片山伯爵がそんなせこい真似をしたと知ったら、きっと琥珀は大きなショックを受けるだろう。初恋が破れ、男に幻滅した後の琥珀なら、きっと自暴自棄になって俺に身を任せるに違いない。琥珀の失望を見るその日が待ちきれなかった。 


その時、電話が鳴り響いた。


「夜分遅くに申し訳ありません。質屋の老婆から電話がありました」使いの男からだった。

「何ですって?」あれほど口の堅かった老婆が自分から電話をかけてくるなんて、何事だろう。

「売られた宝石の中に、輝石家を象徴する石が混じっていたそうです」


 知らせを聞き、氷冠は思わず受話器を取り落としかけた。

 輝石の石が見つかった。それは予想を超えた朗報だった。逞灼家のルビー、賢泉家のサファイア…各家に代々受け継がれてきた石は、もちろんその金銭的価値も計り知れないが、何より象徴として大きな意味がある。特に輝石家の石は「全ての石の上に立つ」と言われており、厳重に保管されたそれは他王家ですら手に取ることは叶わぬ品だった。その石を売り飛ばすなんてことは、千年続いてきた王家の歴史に泥を塗る絶対に許されない行為だった。

 うまくすれば、琥珀の初恋を引き裂くよりもっと致命的な一撃を与えられるかもしれない。


 氷冠は居ても立っても居られず、夜の遅い時間にも関わらず馬車に乗って質屋に向かった。店の前で待機していた使いの男と一緒に、質屋へと踏み込む。店の中で、老婆がこちらに背を向けて座っていた。


「早いじゃないか。あたしゃ現王家は嫌いだけどさ、輝石家は好きだったんだ。その石がらみの話とあっちゃ、黙ってられないよ」老婆が笑いながら振り向いた。そして自分の店に来たのが誰かを知って、その表情が凍りついた。


「こちらにおわすのは呂色国第一王子、賢泉氷冠様であるぞ。言葉に気をつけよ」

「申し訳ありません、あたしは何てことを。まさか王子が直々にいらっしゃるとは」老婆は五体を投げ出して許しを乞う。

「大丈夫、私は気にしていませんよ。あなたは宝石の鑑定士でしょう?輝石家に縁深い職業ですから、今の王家を嫌うのも無理はない」

「あぁ、王子…こんな卑しい老婆に、なんとお優しいお言葉でしょうか」

「どうか顔を上げてください。私が直接ここまで来たのは、その輝石家の末裔に問題が起こっているからなんです。ご協力をお願いできますか?」

「お姫様は生きてらっしゃるんですかい」老婆が驚きで目を見開いた。世間的に琥珀は行方不明になっているのだと気が付き、氷冠は言いつくろう。

「輝石家が廃された後、彼女は賢泉家が保護したんです。今は元気に奥御殿で暮らしていますよ」

「なんと嬉しいことだろうねえ…」老婆は手を合わせ、もごもごと祈りの言葉をつぶやいた。そして意を決したように、氷冠をしっかりと見据えた。


「お姫様のためとあらば、この老いぼれは何でもやりましょう。何をすればいいんですかい」

「今日、この宝石を売りに来た男がいるでしょう。どんな男でした?」

「年のころは40くらいで、上品そうな男でしたよ。情報屋の捨杢という男の馴染みだとかで、西の訛りがありました」  


 間違いなく片山だ。氷冠は満足そうにうなずいた。


「実は、彼は名うての詐欺師でして。輝石の姫をたぶらかして財宝のありかを聞き出し、盗みを働いたんです」

「何とまあ罰当たりな男だろう!」老婆は顔を真っ赤にして天を仰いだ。

「輝石家の石がここに売られたそうですが、確かですか?」

「そうだ、石だよ。こちらをご覧くださいな」


 老婆が差し出したのは、小さい透明な球だった。目の前にあるのは何の変哲もない水晶のようで、値打があるとはとても思えない代物だった。


「これが…?」

「炎に翳してみてください」


 老婆の言葉に従い、卓上にあった蝋燭に球をかざす。炎に照らされた球はきらりと輝き、天井に7色の光線を投げかけた。


「輝石の石は、全ての石の上に立つ…」氷冠は言葉の意味を理解して息を呑んだ。


ルビーの赤、サファイアの青、エメラルドの緑…透明な球が炎を受けて、宝石が輝く海を天井に描き出していた。平凡なものに、美が隠されている。確かに輝石家が好みそうな石だ。愚かな片山は、この価値を見抜けずに売り払ってしまったのだ。


「宝石は全て、城に持ち帰らせていただきます。もちろん対価は後で届けさせますから」

「もう金なんか構いませんよ。それよりどうか、輝石の姫様を救ってあげてください」


 もちろんです。氷冠は天使のような微笑みを浮かべた。




 そうして次の日。片山は衝撃的なニュースを伝える新聞と向き合っていた。

 まだ信じられないが、あの質屋から話が漏れたのだ。自分が犯した罪が、全国民にバレてしまった。これでは大臣の座はおろか、もう舞台に立つことも難しいだろう。琥珀はいったいどれだけ失望しただろうか。絶望で目がくらみ、心の中が引っ搔き回されたようにざわつく。いったいどこまで報道されているのだろうかと、恐る恐るニュースに目を通す。


 読み進めるごとに、片山の手がだんだんと震えてきた。そこに書かれていたのは、彼の予想とは全く異なる文章だった。


『輝石家の秘宝、発見される


 輝石家の廃家以来姿を消していた秘宝「輝石の石」がついに発見された。なんと失踪していた輝石家長女、輝石琥珀によって質に出されたとのことだ。輝石家は既に廃されてはいるが、王家の国宝をみだりに売ることは不敬罪にあたり、決して許されない行為だ。また彼女は「輝石の呪い」として噂になっていた犯罪行為にも関与していたことが明らかになっており、元王族であっても実刑は免れないと見られる』


 新聞には琥珀の写真も載っていた。いつ撮られたのだろうか、片手にナイフを持った無表情の彼女はゾッとするような美しさで、写真を見たものに強烈な印象を与えたことは疑いようがなかった。記事はひたすら琥珀の悪行を並べ立て、堕ちた姫、美の復讐者などと言いたい放題だった。記事を書いたのはかつて琥珀が陥れた呂色国新聞の編集長で、紙面からは彼女への恨みが滲んでいた。


 記事を隅々まで読んだが、片山の名前はどこにも出てこなかった。自分の犯した罪がなぜか琥珀になすりつけられている。片山はしばし考えたのち、一つの考えに思い至った。

 

 氷冠だ。そんなことができるのは、王子しかいない。タイミングを合わせたかのように電話が鳴った。


「おはようございます、片山さん」氷冠だった。

「新聞、読みました?」いつになく上機嫌な声で笑う。

「王子の仕業ですか」怒りと恐れがないまぜになった胸から、なんとか言葉を搾り出す。

「嫌だなぁ、証拠も無いのに。でも片山さんには感謝してるんですよ。私の思い通りに動いてくださって」片山は思わず言葉を失った。彼はいったいどこから仕組んでいたのだろう。まさか。

「海外渡航の話はあなたを釣るための餌ではありましたが、いい働きをしてくれた褒美として大臣の座を差し上げましょう。貴方のような人間が駒にいるのも悪くはない」


 氷冠は片山の考えを先回りして、電話の向こうから勝ち誇って笑った。欲に目が曇り、氷冠の掌の上でまんまと踊らされた羞恥心と、愛する人を傷つけてしまった後悔が片山の心を蝕んでいく。


「なぜそこまで琥珀を傷つけるのです」震える声で尋ねた。彼女の「呪い」は、現王家のためにもなっていたではないか。片山には、氷冠がそこまで深い恨みを抱く理由がわからなかった。


「好きだからです」

「…は?」

「好きなんです。琥珀のことが」まるで秘密を打ち明ける少女のような、笑いを含んだ囁き声だった。

「きっと呂色国中探しても、彼女ほど気高く美しい女性はいないでしょう。彼女の価値をあなたが理解していないようで、安心しましたよ。もし彼女のすばらしさが少しでもわかっていれば、大臣の座ごときと引き換えになんてしないでしょうから」

「好きなんやったら、尚更何でこんなひどいことを」

「だからさっきも言ったでしょう。好きだからですよ。あの気高さは、手間をかけて手折る価値がある」氷冠はため息をついた。

「貴方のせいで深く傷ついた琥珀は、きっと私を受け入れるでしょう。そうして彼女が私を愛し始めたとき、娼館にでも売り飛ばしてやるんです。彼女はきっと素晴らしい顔を見せてくれるでしょう」

「…あんたは悪魔や」

「今の暴言は聞かなかったことにしてさし上げます。それに、琥珀を哀れに思うならどうぞ自首なさってください。私は止めませんよ。裁判まであと一週間ありますから、ゆっくり考えてください」氷冠は自分の言いたいことだけ言い放って受話器を下ろした。


 切れた電話を握りしめ、片山は呆然と立ち尽くした。

 彼の心は、今すぐ自首して琥珀を救うべきだと叫んでいた。だが同時に、自分が罪を逃れたことに安堵もしているのも確かだった。

 家宝の件に関しては冤罪だが、輝石の呪いのために琥珀が数々の犯罪行為をしてきたのは紛れもない事実だ。例え自分が自首したとしても、決して無罪にはならないだろう。2人仲良く牢屋に入っても得られるものはないし、何より氷冠の手から逃れることができない。

 それならば、ここは彼に従うふりをして琥珀を見捨てるべきなのではないか。大臣になって金を貯めてから彼女を釈放し、2人で遠い遠い国へと逃げるのだ。琥珀は絶対に氷冠に靡くことはないだろうし、自分を信じて牢の中で待っていてくれるはず…


 片山は琥珀を愛している。その気持ちは本物だったが、今まで苦労の上に築いた地位を考えると、今ここで愛のために全てを投げ出すなど出来そうもなかった。

 許してくれ。誰に聞かせるでもなくそう呟き、片山は顔を覆った。

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