第12話 仮面の熱狂、夜の夢

その名の通り輝く宝石のように磨き上げられた琥珀を連れ、片山は仮面舞踏会へと向かった。

 だがいざ水仙ホールに着いたものの、舞踏会らしきものが開催されている様子はどこにもなかった。扉は施錠されていないものの広間は暗くがらんとしていて、人気が全くなかった。もしや日付を間違ったか、と招待状を取り出して確認していると、奥から仮面を付けた男がやってきた。


 男は無言のまま一礼し、付いて来いと手で示す。案内された先は以前漫談を披露したメインホールではなく、裏にある厨房だった。タキシードが汚れないように気を付けながら、忙しく調理をしているシェフたちの間を通り過ぎると奥には扉があって、地下の階段へと続いていた。男の案内はここまでのようで、手荷物を受け取った後2人を階段に立たせて扉を閉めた。途端に視界が闇に染まり、心もとない燭台の明かりを頼りに琥珀の手を引いて階下へと足を進める。なんとか辿り着いた先には扉があり、脇に立っている男に招待状を渡して開けてもらう。その途端、音が洪水のようになだれ込んできた。


 水仙ホールの地下を丸ごと使っているのか、扉の先には巨大な広間が広がっていた。空間の中心は立派な演台がおかれ、オーケストラ達が狂ったように音を奏でている。会場は薄暗く、低い天井から吊り下げられたシャンデリアはほのかな光を放っていた。地下に漂う雰囲気が開放的にさせるのか、会場にいる誰もが普通の舞踏会では考えられないほど大胆に身を寄せ合っていた。この様子だと、もし知り合いとすれ違ってもお互いは認識できないだろう。懸念がなくなった片山は、琥珀の腰に手を回して抱き寄せた。琥珀は一瞬身体を固くしたが、戸惑いながらもぎこちなく身体を預けてきた。あたりを見回せば、激しい演奏に合わせて体を揺らす男女や、お互いの世界に没頭してゆったりと目を閉じている男女など、各々が自由に舞踏会を楽しんでいるようだった。


「洗朱の仮面舞踏会もこんな感じなん?」音楽に負けないよう、琥珀の耳元で話す。

「向こうにいたころはまだ子供だったから、参加したことはないんです。ちょっと大人な催しだとは聞いてて、いつか参加するのを楽しみにしてたんです」

「ほんま、思ったよりなんか…怪しい感じやな」2人で微笑み合っていると、曲がいったん途切れ、また新しいメロディーが始まった。


「ああ、ワルプルギスの夜の夢。これ好きなんです」琥珀が小さな歓声を上げ、身体をオーケストラの方へひねった。


「踊りましょう!」

「ちょ、俺いきなりは踊られへん」

「大丈夫です!私から手を離さないでくださいね!」


 琥珀は片山の手を取り、地面を滑るようなステップで軽やかに回転し始めた。片山も紳士のたしなみ程度にダンスはできるが、彼女のステップはこれまで一度も見たことが無い動きだった。琥珀は彼の手を握ったまま身体を大きく反らせると、反対の手を天へと伸ばした。彼女の軽やかなダンスに、段々と周囲がざわつき始める。シャンデリアのほのかな光を浴びて、彼女の身体を包む金糸が光り輝く。演台でコントラバスを弾いていた女が琥珀を見て、弦を高らかにかき鳴らした。他の団員達も次々に同調し、琥珀の動きに合わせて音を紡ぎ始めた。


 会場にある全ての目が琥珀に集中し、会場も、オーケストラも、いつのまにか彼女だけのものになっていた。鳴り響く音楽が片山の三半規管を揺らす。会場に充満する甘い香水の香り、激しいステップに上がる息、触れているのに遠い気がする、目の前の琥珀。辺りを取り巻く景色がすべてが夢のように感じて、片山の脳は霞がかかったようにぼんやりしてきた。


 不意に彼女の指が唇に触れた。私だけを見て。声は聞こえないはずなのに、唇の動きではっきり伝わった。音楽がクライマックスに差し掛かると彼女の踊りもますます激しさを帯び、観客の熱気は片山のうなじを焦がさんばかりに燃え盛る。琥珀は彼の手を自分の腰に誘い、そこに全てを預けて弓のように仰け反った。その一瞬、彼を信頼しきってすべてを預けたクライマックス、音楽が終わった瞬間に割れんばかりの拍手が会場を包んだ。琥珀は上がった息を整えながら辺りを見回し、恥ずかしそうに一礼をした。いつまでも鳴りやまぬ拍手の中、2人は手をつないで観衆の輪に戻り、そしてすぐに薄ら闇に溶け込んだ。



 暗黙のルールでもあるのか、すれ違ったのが先程踊っていた2人だと気づいても誰も声を掛けて来なかった。会場の壁沿いには天蓋のカーテンで仕切られて個室のようになった場所があり、片山達はそこに腰を下ろした。途中で取ってきた炭酸水を琥珀に手渡しながら、片山は仮面を外して微笑んだ。


「お疲れさん。ほんまにすごい踊りやったわ。やっぱ海外仕込みはちゃうね」

「今日は呪いのために来たのに、つい夢中になっちゃいました」

「たまには楽しむのも大事やで。今日の仕事は?」

「不倫の暴露です。呂色国新聞はご存じですか?」

「もちろん。うちも取ってんで」

「そこの編集長が、新劇の有名女優、成瀬と不倫してるんですよ」琥珀がこっそりと耳打ちした。

「ホンマに!?」

「この前成瀬の特集を紙面でやってましたからね。国で一番大きい新聞社が、紙面を割いて愛人の宣伝するなんて公私混同、いい話題になりますよ」

「あの新聞でインタビューされるのなんか、表舞台に立つもんの夢みたいなもんやからなぁ。編集長と寝てその枠ぶん取ったのがバレるんはどっちにとっても大打撃やで」

「輝石家が廃家にされた時、あることないこと散々書いてくれましたからね。報いを受けるべきです」

「でも、どうやって?」

「もう終わりました」琥珀はにやりと笑った。


「招待客の中に、ライバル社の記者が数人潜入してるんです。入り口でバレないように、スーツやドレスの裾にカメラの部品を隠して、私が踊って注目を集めている間に組み立てて。きっと今頃、記者の1人が彼らの仮面を剥いでいるところでしょう」


 琥珀が言い終わらぬうちから、カーテンの向こうからざわめきが広がってきた。


「あれ、女優の成瀬じゃない?」

「隣の男も見覚えあんねんけど」

「新聞に載ってる人だよ、ほら、編集長!」


 漏れ聞こえる声が計画の成功を知らせ、琥珀は満足げに頷いた。だが彼女とは反対に、片山の顔は暗かった。2人で踊ったあの瞬間、確かに彼女と一つになれた気がした。相手の瞳に吸い込まれて全身全霊を捧げるような、あの脳がとろけるような気持ちを彼女も感じていると思っていた。だが彼女の頭は陶酔の中でも冷たく冴え、復讐のために燃えていたのだ。


 カーテンの隙間から覗くと、広間を急いで出ていく編集長の後を記者らしき数人が追いかけていくのが見えた。明日の紙面は彼らの醜聞で飾られることだろう。

 自分が年甲斐もなく舞い上がっていた時、彼女はしっかりと役目を果たしていたのだ。恥ずかしさで冷や水を浴びせられたような気になった片山は居心地悪そうに身をよじった。


「今、楽しい?」そんな質問が、思わず口をついて出た。

「もちろんです。復讐もうまくいったし、片山さんと一緒にいるし!」一瞬不思議そうな顔をした後、琥珀が笑った。

「そんなら良かった」その言葉はきっと嘘ではないだろう。だが片山は、彼女に復讐など忘れて楽しんでほしかった。まだ若い彼女の小さな肩に、千年の歴史を絶たれた恨みが全てのしかかっているのはあまりにも哀れで、自分といる時くらいはその重荷を下ろして楽しんで欲しかった。だがやはり彼女の生きる軸は復讐であり、自分の力ではどうしようもできないことを痛感して無力感に襲われた。


「仕事も終わったし、そろそろ外に出ませんか?」先ほどの騒ぎで興ざめしたのか、舞踏会には厭きたようなムードが漂っておりもはや盛り上がることはなさそうだった。片山達も立ち上がり、この後どうするかと思案を巡らせながら外へと向かう。案内をした男から荷物を受け取って、琥珀が口を開いた。


「ぜひ見ていただきたい場所があるんです。ちょっとお服が汚れるかもしれないですが、大丈夫ですか?」

「琥珀ちゃんのおすすめの場所?ぜひ知りたいわ」

「じゃあ、ちょっとお待ちいただけますか?」琥珀は手洗い場へ行き、ドレスを脱いで元の粗末な着物に着替えて出てきた。


「何や、せっかくおめかししたのに」

「まだやることがありますから。10分ほどで戻りますので、裏口で待っていてください」琥珀はそのまま厨房へ向かって行った。

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