黄金の海を目指して

益巣ハリ

第1話 愚か者の金

その男、片山天雄かたやま かみおは人生に倦んでいた。


 華やかな舞台に立ち、聴衆から喝采を浴びながらも、彼の心は満たされていなかった。


 片山はここ呂色国で今、最も勢いがある漫談師だ。まさにこの瞬間も、政府高官、大病院の院長、そして最上位の華族たちが、彼が次に放つ言葉を固唾を飲んで見守っている。


「紳士淑女の皆様、今宵も御機嫌よう!わたくし片山がお話させていただきます。昔ある男が田舎道を通りかかると、小さい子が石使って火を起こしてましてん。でもそれ、どう見てもキンキラキンの金塊やってん!」


 片山は大げさな動きをしながらネタのさわりを披露した。一瞬の静寂の後、1人のマダムを皮切りに爆笑の渦が広がった。


 何で今笑うねん。まだ笑いどころやないやろ。


 お辞儀をして聴衆の歓声に答えながら、片山は冷え切った心で彼らをあざ笑う。


 彼らの中に今、ネタで笑っている奴なんて一人もいない。さっき話した部分に笑いどころなど入れていないのだから。ただ“教養のある”マダムが笑うタイミングを真似しているだけだ。こっちが頭を振り絞って考えてきたネタが、ただ教養のアピールとして使われている。


 そんな奴らの前で道化を演じている自分が堪らなく惨めになって、片山は笑顔のまま奥歯を食いしばった。


 誰か一人だけ。誰か一人だけでいいから、どうか俺の笑ってほしい場面で笑ってくれ。


「ボクなんでそれで火ぃ起こしてんの、と男が聞くと、子供はこう言う。これは“ふるご”っていう石で、火ぃつけるのに使うもんや、と。男は無知な子供から二束三文で金塊を買い上げると、意気揚々と町まで向かって…」


 ネタを続ける彼の視界の端で、なにかがちら、と動いた。


 それは銀のトレイだった。女中が抱えたトレイが、彼の言葉に合わせてかすかに揺れてシャンデリアの光を反射しているのだ。彼女はうつむいていたが、その口元は笑いを堪えるようにへの字に曲げられていた。気のせいだろうかと思い、彼はネタを続ける。


「男は宝石屋に入ると、この金塊、いくらで売れる?と得意顔。すると宝石店のおっちゃん、あんたこれは金やない、“ふるご”や、と笑って返す。金やないって?さっきからその“ふるご”って何やねん。男が聞くと、おっちゃんはにやりと笑って答えましてん。これは金とよく似た黄鉄鋼、別名は“フールズゴールド”(愚か者の金)……さすが皆さん、ここで大爆笑!今日いらっしゃる方々はバッタもんなんか絶対持たへんもんねえ。この話を別の会場でやった時、皆一斉になんやごそごそし始めて、自分の“金”製品を確かめてはったのに!それではどうも、ありがとうございました!」


 笑う聴衆の端で、先ほどの女中もまた皆と同じようにうつむいて控えめに笑っている。しかし彼の漫談師としての直感が、彼女が他とは違う理由で…自分の意図を理解して笑っていると告げていた。


 片山の目がその女中にくぎ付けになっていると、彼女がふと顔を上げた。意志の強そうな漆黒の瞳と目が合う。笑いや拍手の音が遠くなり、この場で息をしているのが2人だけのような錯覚に陥る。彼女の瞳は少しもたじろぐことなく、片山をまっすぐに見据えていた。


 それが、片山と女中…琥珀の出会いだった。





「片山様、今夜の漫談も最高でしたわ。さすが呂色国一番の漫談師!」


 漫談が終わり舞台を降りると、聴衆の中で一番に笑ったマダムが取り巻きと共に近づいてきた。彼女はここ呂色国の大蔵大臣を務めるかすみ氏の夫人で、 国中のインテリが集まるサロンを主宰している。悪い人ではないが笑いのツボがズレており、妙なタイミングで吹き出すのが玉に瑕だ。


「あの王妃さまがお気に召したというのも納得です。こんなに笑ったん、生まれて初めてかもしれませんわ」

「うち殿方の前であんなに口を開けて笑ってしもて…マダム、今度から片山様がいらっしゃるときは事前に教えてくださいな。お扇子もってきますからぁ」


 頬を上気させた取り巻きたちも、口々に片山を誉めそやす。名前こそ憶えていないが、確か彼女たちも地位ある夫を持っていたはずだ。


「奥様方のお褒めに預かり光栄です。楽しんでもらえたみたいで、漫談師冥利につきますわ」


 片山はおどけたような笑みを浮かべ、軽くお辞儀をした。汗で崩れた前髪に彼女たちの熱い視線が注がれていることに気づき、さりげなく髪を撫でつける。彼はもう若いとは言えない年だが、そのすっきりとした顔立ちは年を経るごとに魅力的を増しており、本人もそれを自覚していた。


「片山君、お疲れ様。うちの妻のお相手は疲れるだろう」


 マダムの夫、霞大蔵大臣が笑いながら会話に入ってきた。霞氏は一見どこにでもいる小太りの男だが、実はこの国の財政を握っている権力者だ。


「いつもパーティーに呼んでもらって、マダムにはほんまいくら感謝しても足りませんわ。今日もこない豪華な館で舞台に立たせてもらって。水晶の館、でしたっけ?ほんまにものすごいお屋敷ですねえ」

「綺麗なところでしょう?ここの所有者が女中さんたちの派遣業をやっていらして、お屋敷自体が事務所になっているらしいの」

「館の説明はそこまでにして。私も片山君と喋りたいからね」

「はいはい、わかりました。それでは私は退散いたしますわ。男同士の会話をどうぞ楽しんでください」おどけたように口をとがらせながら、マダムとその取り巻きたちは去っていった。


「ようやくうるさいご婦人方が退散なさったか。実はね、今晩は彼の補佐官就任祝いも兼ねているんだ。正式発表はまだだから、秘密にしてくれよ」


 霞大臣が腹を揺らしながら笑うと、隣にいた割りばしのように細い男が頭を掻きながら会釈をした。


「それはめでたい!お若いのにご立派なことで」

「いえ、自分なんかただの穴埋めです。前の補佐官が病気で急に辞任してしまって…」

「病気ですか。前の方には何度かお会いしたことありますけど、お元気そうやったのに」

「キセキの呪い、だよ」


 大臣がにやりと笑った。呪い。華やかな場に似つかわしくないその言葉に、片山は眉をひそめた。


「先の革命で断絶させられた悲劇の王家、輝石きせき家…かつて栄華を誇った姿は見る影もなく、当主は惨めに野垂れ死に、一族は海外で消息を絶ち、唯一残された姫は行方不明」怪談を語るようなおどろおどろしい口調で、大臣が説明を始めた。


 先の革命は数年前に起こったもので、まだ片山の記憶にも新しかった。呂色国が建国されてから千年近く、この国は逞灼ていしゃく賢泉けんせい、輝石の3王家が100年ごとに交代で政治を行っていくのが決まりだった。だが数年前、当時政権を握っていた逞灼家に対して賢泉家が反乱を起こし、勝利した賢泉家がこの国唯一の王家として君臨するようになった。輝石家は確か、それに巻き込まれて断絶させられたはず…


 片山はおぼろげな記憶を掘り起こした。革命がおこった当時彼はまだ売れっ子の中の一人という程度で、政府高官と親しく話すほどの地位ではなかったため、あまり政府の内情には詳しくないのだ。


「ところが革命の後から、輝石家の断絶に関わった人たちに恐ろしい不幸が降りかかるようになったんだ。汚職で罷免されたり、妻の不貞で爵位を剥奪されたりね。今回も、病気ってのは建前で、本当は予算の横領がバレたのさ」驚きでたじろぐ割りばし男に目をやりながら、大臣は笑った。


「そしてなんと、ここ水晶の館は昔輝石家のものだったんだ。輝石家はずっと海外に住んでいたから、王家関係者でもない限り誰も顔は知らないし、もしかしたら今もこの館のどこかに潜んで復讐の日を待っているかも…」

「もうそろそろ止めて下さい、背筋が冷たくなりました」

「さすが大臣、話がめっちゃ上手いですなあ。本業のボクも聞き入ってもうた」

「それはどうも。ま、呪いを受けたのは後ろ暗いことをしていた奴らばかりだから、誠実に仕事していれば何も恐れることは無いよ。それに君の仕事はあの王子のお付きだからね、彼の傍に居れば何の心配ないよ」

「男前な上に頭もいいって評判の、氷冠ひょうかん王子でしたっけ。そんな人のお付きなんてすごいやないですか。いやあ呂色国の未来は明るいなあ」


 大臣はすっかり青ざめてしまった割りばし男の背中を笑いながらバンバンと叩き、シャンパンを運んでいる女中を呼んだ。

 「昇進と、素晴らしい漫談に」グラスを目の高さまで掲げ、3人は黄金色の液体を一気に飲み干した。


 その後も取り留めのない雑談がだらだら進んだが、酔いが回ってくるにつれ熱を帯びていく彼の脳は、ある一つの事柄でいっぱいになっていた。


 片山を真っすぐ見据えた、あの女中。冷静になって考えてみると、高等教育を受けた上流階級でさえ理解できない自分のネタをいち女中がわかるはずもなかった。そう頭では理解していても、彼の直感がそれを強く否定する。理解者に飢えすぎて直感が鈍っているのかもしれないが、とにかくあの女中と話をしてみたい。


 熱を帯びた瞳で会場をぐるりと見渡したが、彼女の姿は見つからなかった。酔いのせいか必要以上に強く落胆を感じてしまい、この場で笑顔を取り繕っているのが急に嫌になってきた。


「すみません、ちょっと飲みすぎましたわ。外で頭冷やしてきます」

「輝石の呪いに気を付けて」


 大臣の言葉にあいまいな笑みを返しながら、片山は席を立った。

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