本能
——最悪の状況になった。
人よりはるかにデカいグロウハウンド相手に、村の乱雑なマテリアルの防壁が通用するとは思えないが、無いよりは確実に良い。
—— だが、無い物は無い。村を守るには、正面からグロウハウンドと殺り合うしかない訳だ。
であれば、いち早く村に着いて、地の利を確保しておいた方がいい。
「で、でも! あんなのと戦って全員生き残れるわけないでしょ⁉ 何も殺されに行くことないじゃない!」
「—— ガキ、村の場所まで先導しろ」
「でも、シラ先生が…… 」
「コイツは…… 置いて行けばいい」
学園医だということは、魔物と戦えるような人間ではないだろう。
そんな足手まといを戦場に連れていく理由など無い。
「—— ちょっと…… 待って。私も行く」
渋る子供を促し、王都を背にして走り出そうとした時—— 。
シラの震えた手が俺の右手を掴んだ。おそらく恐怖で震えているのだろう。
であれば、なおさら連れていく必要はない。少しでも死ぬことを考えた奴から死んでいくのが戦場というものだ。
そう思い、少しの罪悪感を感じながらも腕を振り払った。—— だが。
「—— お願い、連れて行って」
再び放たれたシラの声に、思わず振り返る。シラは振り払われた腕をもう片方の手で握りしめ、俯いていた。
表情は髪で隠れて読み取れないが体は小刻みに震え、声は上擦っている。
「…… これはガキの遊びじゃない。死ぬかもしれないことを忘れるなよ」
そのシラの雰囲気に断り切れず、俺は渋々承諾した。
今、シラを無理やりにでも王都に残す—— という選択に、正体不明の嫌な予感を感じたが故に。
そうして俺はシラを肩に担ぎ、前を走っていった子供の後を追った。
「—— へ? ちょおッ⁉」
「アンタのせいで少し時間を無駄にした。これからその遅れを取り戻す」
「ねぇ待って! それなら私、担がれる必要ないよね⁉ なんで担がれてるわけ⁉」
さっきまで神妙な面持ちだったというのに、突然騒ぎ出すシラに俺は呆れた。
俺の全力疾走にシラが付いて来れるはずがない。だからこうして担いでやったというのに。
—— シラの態度に理由を説明する気が失せた。というより、説明していられる時間は無い。
「—— 安心しろ。あのガキとアンタのことは守ってやる」
「違う! そうじゃないの! いや、それもなんだけど…… ! とにかく下ろしてよぉ!」
子犬のように甲高い声で喚き続けるシラしっかりと担ぎ、グロウハウンドを討伐するべく走り出した。
◇
「あとちょっとで着くよ!」
「—— あぁ。そうだろうな」
獣道すらない暗闇の中を走り続けること十分くらい、ようやく村に近づいてきたらしい。
暗闇の中を走っているせいではっきりとは見えないが、ゴブリンの死体らしきものがあちらこちらに転がっているのが見える。おまけに血の匂いが強くなってきた。
—— あと数分もしないうちにグロウハウンドの巨体が見えてくるだろう。
「ねぇ…… あの魔物は王都の正門に整列してた騎士団に任せればよくない? 私たちが戦わなくてもいいじゃん」
「騎士団が優先するのは王都に決まってるだろ。だいたい、最初に村を守ろうとしてたのはアンタだろうが」
「それは…… そう、だけど」
俺に担がれたままのシラが不満そうに口を尖らせる。
—— その気持ちは分からなくもない。
なにしろ相手は俺らの三倍はある魔物なのだ。一撃でも貰えば確実に死ぬだろう。
だが、グロウハウンドは魔物の中でも弱い部類の魔物。ゴブリンやサラマンダーなんかよりは上位の存在だが、魔物全体で見た時の脅威度は高くない。
そんなグロウハウンド相手では、魔物の絶滅を掲げている俺が躓くような相手じゃない。
というか、グロウハウンド相手に手こずるようじゃ話にならない。俺が子供の頃ならまだしも、努力して強くなった今に、負けられる相手じゃないという訳だ。
「—— はぁ、覚悟決めるしかないかー…… 。どーせ、帰ろって言ったって無駄だろーし」
「元はと言えばアンタのせいだが…… まぁ、そういうことだ」
シラとそんな会話をしている間にも景色は流れるように変わっていき、やがて視界が一気に開けた。
「お父さん! みんな! 僕…… リタだよ! もどってきたから返事して!」
雑木林の一部分をくり抜いたような開けた場所。そこに木製の小屋のような家が四、五軒ある—— がそれだけだ。村と呼んでいいのか怪しい。
おおよそ自給自足の生活が出来るような環境ではない。家畜もいなければ畑を作っている訳でもなく…… ただ家があるだけ。この村には色々と足りないものが多すぎるが、それをシラが補っていたということか。
—— 人任せなんていうレベルじゃない。
もはや、自力で生きていくという意思が感じられない有り様に、俺は絶句した。
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