鏡の向こう

西悠歌

第1話

12月31日が始まると同時に、ぼくたちの勝負も開始される。期限は翌日、1月1日になるまで。それまでに鏡の中にいる方が外側に姿を見せられたら、鏡の中の方が勝ち。一度も鏡の中の方を見かけなかったら、外の方の勝ち。


一人称に『』が付いていないことからも分かると思うけど、今年外側にいるのはぼく、今話している方だ。明日の12月31日に向けて、来年も外側に居続けるための準備をしている。まあ中と外が入れ替わらなかった年は未だに無いんだけど。


だって知識とか頭脳とかが全く同じなんだから、外に出たいって気持ちが強い内側が勝つのも無理はない。


そう分かってはいるけど、外側にいられた年にはつい来年もこのままでいたいと願ってしまう。本物の世界と比べると、鏡の中の世界はあまりにくだらない偽物みたいに思える。今までは本物の座を死守できた試しがないけど、今年こそは何とか、とここ一週間ほどやる気に満ち溢れている。


…そう言えば、ぼくたちが鏡の外側と内側にこだわっているのには訳がある。普通、どちらのぼくも自分と自分がいる世界が本物で、相手は反射の産物に過ぎないって思いそうなものだ。でもぼくたちは違った。


実はぼくは本来単なる鏡像で、間違いなく本物じゃないという自覚がある。鏡の中から出るすべを持たなかった小さい頃から、鏡を見るたびに「あっちが本当の世界なんだよなあ」と思っていた。


それを口に出したら親に「変なこと言わないの」って言われたけど、『ぼく』の中にはその程度じゃ揺らがない確信があった。だから鏡の向こうの僕に声をかけられた時は驚いた。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「ねえ、本当の世界に来たいって思ったことある?」


小学5年生の時だった。向こうの僕に何か嫌なことでもあったせいで、『ぼく』は鏡越しの僕を映して悲しい顔を浮かべていた。


「ずっと前から思ってたよ。」


『ぼく』は答えた。すると僕は少しだけ考え込む表情をした。長年僕の動きを模倣してきた『ぼく』には手に取るように分かった。


「じゃあ、交代しよう。今度は僕が偽物になる。」

願ってもない話だった。偽物、という言い回しもこの際気にならなかった。


「ありがとう。」

僕が『ぼく』に向かって手を伸ばす。その手を取って『ぼく』はぼくになった。


実物と虚像の話はここで終わらない。鏡から手を離すとぼくは本当の世界にいた。見た目は左右以外変わらない、それなのにどこまでも偽物でない世界。ものすごく感動した。一言ではとても言い表せないくらい。


…でもそれも束の間、ぼくは今『僕』になっている自分の現実を見せつけられた。


おい、何だこの宿題の量は。


慌てて日付を確認する。部屋の日めくりカレンダーは8月29日。机の上にはワークが3冊、全て白紙。さらに7月21日で止まった1行日記が広げてある。そしてぼくは思い出した。鏡の向こうも同じ状況だったことを。


当たり前、なのかどうかは分からないけど、あちらにも偽物なりに世界があって、家族も友だちもいるし学校だってある。そして『ぼく』は僕を映すように宿題を進めていなかった。


『僕』はきっと今、鏡の中で現実と全く同じ宿題の残量に絶望しているはずだ。いくら鏡の中の世界だからって、本来本物の『僕』は宿題をサボれないはずだ。だって彼はぼくだから。ってことはどうせ同じ惨状なら、本当の世界にいたいんじゃないかな?


ぼくは部屋の姿見を覗き込む。少しだけ鏡像の『僕』を見つめてから、ぼくは鏡に手を伸ばした。手と手が触れて、ぼくは『ぼく』に戻った。僕に戻った『僕』はホッとした表情を浮かべていた。


それからも僕たちは入れ替わり続けた。本物の方に嫌なことがあると、鏡に手を伸ばして中に入る。そんやことを延々繰り返していた。


外に嫌なことが待ち受けていると分かっていても、本物の世界の魅力には抗いがたいものがあった。もともと鏡像に過ぎないぼくも本当の世界の素晴らしさに取り憑かれたようになって、次第にぼくらは鏡の外側の座を取り合うようになった。


もちろんそれまで通り外側が手を伸ばすのでは永遠に入れ替わりは起こらない。どんな方法を使ったのかは忘れたけどなぜかぼくが外側にいた時、僕たちは話し合ってルールを決めた。


『鏡に映った自分を見たら、外と中が入れ替わる』


でもこれは上手くいかなかった。ぼくは急いで姿見を片付けようとして、自分と目があってチェンジ。今度は外に出た僕が目をつぶって姿見を片付け、休憩に水を飲もうとしたらコップに映って、チェンジ。そんな調子でまともに動けやしない。


慣れればよかったのかもしれないけど、ぼくらにそんな根気はなかった。『ぼく』になって疲れ果てていたぼくに、鏡の外の僕が提案してきた。


「もう少し入れ替わる条件を決めよう。例えば入れ替わるチャンスは1年に一回にして、それに勝ったら次の年は1年中本物でいられる、とかさ。」

いい案だと思った。


「なら、そのチャンスは大晦日にしない?で、交代は次の日の朝目が覚めたとき。そうすれば本物でいられる1年は、来年どうなるか気にせずに過ごせる。」

「それでいこう。」

こうしてぼくらの戦いは今の形になった。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「これで大丈夫かな?」

ぼくは部屋を見回す。何かを反射しそうなものは無いはずだ。あとは窓と水と、テレビの画面なんかを見ないようにすれば!…できたことはないけどそう思う。

「よし。」

電気を消して横になる。目を開けたときからが勝負だ。


朝。間違ってもカーテンは開けない。天気によっては自分の姿がきれいに映ってしまう。親にはぼくが今日やり遂げたいことなんて説明できるわけ無いけど、だから自分なりにできることはやっておく。


誰も起きていないリビングに行ってテレビを付け、普段使っているガラスのコップをくすみカラーのマグカップに変える。画面とコップの反射はこれで大丈夫。それから昨日までに確かめた、鏡になり得るものの場所を思い返す。大変な一日になりそうだ。


朝ご飯。ツヤツヤしたパンのお皿は絶対に目に入れないようにする。スープも同じ。父さんに

「今日はなんか変だね。」

って言われても気にしない。


昼。

「重箱におせちを詰めるから手伝って。」

と母さんに言われた。でも全力で断った。重箱はテレビの画面に負けず劣らずつるつるしている。詰めていたら、いくら気をつけても一度くらい自分と目が合いそうだ。


「代わりに掃除するから!」

必死に頼み込む。

「なんか分からないけど、いいよ。」

とうとう母さんが折れてくれて、本当に助かった。


夜。…の前に家のカーテンを全て閉めて回る。窓の反射はうっかりしているとすぐ視界に入ってくる。でもあとは大丈夫かな。


夜ご飯を食べ、お風呂に入る。長い一日がようやく終わりを迎える。神経をほとんど使い果たし、ぼくはやっと布団に入った。今年はいけたんじゃないかな?


そう思いたいけど、でも鏡の向こうの『僕』も間違いなくぼくだ。ぼくが昨日までに考えた対策なんかは全て知られている。だから例年裏をかかれているし、ぼくが鏡の中にいる年はぼくだってそうする。


それに、一瞬母さんと目を合わせちゃった気もするんだよな。瞳に映った自分でもアウトだから、そこが少し心配だ。


まあいい。もうこれ以上危険を冒さないように、ぼくは目を閉じる。答え合わせはまた明日。



「明けましておめでとうございます。」

『ぼく』は家族と新年の挨拶を交わした。『ぼく』が生まれた世界、もとからいた世界。

今年も失敗してしまったみたいだ。

仕方ないな。来年は本物になってやる。


父さんに今年の抱負を聞かれて

「今年は計画的に勉強する。」

なんて真面目な顔して言いながら、心の中で決意を新たにする。

『来年は絶対に負けない』

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鏡の向こう 西悠歌 @nishiyuuka

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