幸-さち-
山野羊
第1話 私
私には何も誇れるものはない。
顔は不細工だし、脚は短いし、髪は天パで、なんだか汚らしいし、うなじの方は髪が生えてないし、指は太いし、足の指は短過ぎるし、乾燥肌で血が出て傷だらけの体で、、、、
顔の不細工なところを挙げれば世界一になれるぐらい、コンプレックスの塊。
パーツの作りもよくなければ、配置もアンマッチで、顔の歪みがひどいから、余計老けて見える。
その上、自分の内面も大嫌い。
几帳面で、なんでも細かく分けて考えてしまったり、機械みたいというか、無駄が嫌いなのかもしれない。私は。
友達にすごくルーズで、一緒にいると落ち着く子がいる。その子のルーズさが心地よくて、羨ましくて、一度真似たことがあるけれど、それすらも機械的な行動っぽく見えて、自分に嫌気がさしてやめた。
これを意識し始めたのは、中学生の頃。
歴史の授業で、ノート、教科書、資料集、そしてペンポーチを机上に置いていた。
ノートを取っている途中で先生が『資料集の〇〇ページを開いてください。』と言ったとき、書いていたノートをわざわざ閉じて、広げていた教科書も閉じて、二冊を重ねて、机の端に寄せていたペンポーチを持ち上げ、その下に置いた。
資料集を開くために。
今まで無意識にしていたけれど、その時ふと違和感を感じてとんでもない爆発的に大きな嫌悪感に襲われながら授業を受けていた。
その授業以来、ふとしたところで、『あれ、まただ』と気づくことが増えた。
気づくということは、その分自己嫌悪に浸る機会も増えるということ。
でも自分のこのキモさに気づかず今もやっていたと想像すると恐ろしい。
よくあるのは、授業でノートを取っている時、シャーペン、赤ペン、青ペン、蛍光ペン、消しゴム、定規、いろいろな文房具を使うことになる。その時、一個一個出すたびに筆箱にしまっていた。
また使う機会が来るたびに閉じたチャックを開いてまた出す。使ったらまた仕舞う。その繰り返し。
その行動は『周りにはどう見えているのだろう』とずっと気にしていた。授業中ずっと。
私は、うなじの方の髪が生えてない。
厳密に言うと、産毛の様な毛が生えている。
でもその毛はすごく柔らかくて細くて短い。ポニーテールにすると届かない。
感覚的には、後ろから見た頭部の耳から下半分は全部産毛で、普段は、上半分の毛を下ろして隠している様な感じ。
だから地下鉄で風が後ろからくると全部見えてしまっていないか、とても不安になる。
もともと髪が生えるのが遅くて、両親は心配して病院に連れて行ったらしい。けれど、『病気ではなく、成長が遅いだけ』と言われたそうだ。
ずっと赤ちゃんみたいに、産毛しかなくて、男の子と思われないように、母は精一杯ブリブリしたリボンやフリルの服を着せてくれた。
靴もリボンがついた物を履いていたし、あと、ちょっとだけ伸びた前髪には小さい子がつける様なヘアピンをつけていた。
その後、小学校3年生ぐらいから髪が太くなって4年生ぐらいになると、周りと変わらない、ショートな子ってぐらいには伸びた。
小学校を卒業する頃には、肩につくぐらいまで伸びた。生まれてから一度も髪を切ったことがなくて、12歳でやっと肩まで伸びた。
それからは、どんどん周りに馴染む様に、頭髪は自然体になって行った。けれど、高校生になっても、頭部の下半分だけは伸びない。
原因は不明で、親や兄弟で同じ様子の人はいない。
高校の文化祭で『お揃いの髪型にしよう』と友達は誘ってくれた。けれど断った。高い位置でお団子なんかできない。
髪がないのがバレてしまうし、見た目も良くない。
私ができる髪型は、下ろすか、すごく下で一つにくくるか。ツインテールも、真ん中で分けると見えてしまうから出来ない。
下半分に髪がない私にとって、おろしている髪型が一番落ち着くので、困ることは強風ぐらいかな。
あと、友達からの信用を失わないか、嫌われないか、かな。
私のうちは、若干毒親チックで、関わるとろくなことがない、というかなんでも私のせいにされてしまうので、家族と距離を置いてる。
私は月に一万円、お小遣いとしてお金を貰っている。その中で服、下着、靴、靴下、美容院代、スキンケア代、交通費、娯楽代を賄う。
娯楽はほぼなし。美容院代は、半年に1回縮毛矯正をあてに行ってる。スキンケアは、化粧水、クリーム、それとボディークリーム。
鬼の乾燥肌で何もしないと、血が出たり角質になったりする。
世の女子高生のような、コスメ代、ブリーチ代とは訳が違う。そんなオシャレしてみたいし、楽しみたい。けど、手元にあるお金だけで、私ができるのは最低限のマナー範囲で清潔感ある見た目にするくらいだ。
父は、私が縮毛矯正をかけることに対して『見てくればっか気にして』と母に嘆いているらしい。
私の天パは、母譲りで、父には苦労も理解もない。
私が毎朝カールドライヤーで、頑張って真っ直ぐにしているのを見ても、「朝から何かやってるけど、黙っててやってた。」と喧嘩した時に言われた。
父は、私が休日にネイルをやってたのもよく思っていないらしい。
『爪に何か塗ったり、髪もなんかやったりしてるけど、、』とぐちぐち言われたりもした。
高校に上がって、100均コスメをいくつか揃えて、メイクをした時、『メイクしてる?メイクしてもいいけど、勉強もするんだよ?』と言われた。
メイクしてもいい?なんでてめぇの許可制なんだよ。お前に似たこの顔を晒しながらどう生活しろって言うんだよ!!!とは言えなかったが、この言葉を聞いて心底呆れた。
もう理解を求めようとしない。なにもかも価値観も考え方も全然違う生き物だと思うことにした。
私は自分の顔が嫌い。そして小さい頃に私を可愛い可愛いと言ったお前たち大人も嫌い。
私が好きでやりたいことを否定してきたお前も嫌い。
私は、勉強なんか好きじゃないし、散々否定され続けた絵を描くことが好き。そして今、メイクが好き。
お前たちはいっつも、私の好きなものは全部圧を加えて押し潰そうとする。それなのに、図々しく、私が嫌いなものを無理に押し与える。食べ物だって、小さい時の好き嫌いはいいよ。頑張って食べさせても。でも、もう小学校とか中学校とかに通う様になったらもういいでしょ?なんで無理に与えるの?嫌いって言ってんじゃん。嫌って言ってるじゃん。
好き嫌いが多いことを小さい時、散々からかわれた。親に。
『〇〇は食べないよ。残しとくだけ無駄。』
『〇〇それきらーい、〇〇それ食べなーいwwww』私の口癖をバカにして言ったり、幼いながらにすごく屈辱的で、親っていう認識より“嫌いな人”だった。
まあこの、幼少期エピで、うちのちょい毒親要素は垣間見えたと思うんだけど、この通り一方的でこっちの要求には一切耳を傾けてくれなくて、自分の敷いたレールから私がはみ出す行動をとると、力ずくで、親という立場と大人という権限を使ってレールに押し込めてくるんだよね。
だから、友達と遊ぶってなってもお金は貰えない。毎月お小遣い貰ってるから。ディズニーとかもいけない。お金足りないし。ディズニー行くためのお揃いの服とか買えない。お金ないし。制服ディズニーでカバン揃えるとかなったら、使うのその時だけでしょ?その一瞬にお金使えないよ。今私服だって足りなくて、毎日同じの着てるのに。
友達に遊びに誘われても、毎回嘘ついて断ってる。
ごめんね友達。友達になってくれてありがとう。でも学校卒業したもう会って貰えないのかな。それとも、卒業後も、私は遊びを断るのかな。
いくらでも状況は変えられる。のに、変えないのは自分なのかもしれない。変えたくても、変えれない、しょうがないって思い込んで、自分の殻に閉じこもってるのは自分なのかもしれないな。だったら変わりたい。変わりたいな。変われたらいいなじゃなくて変わるよ。だって何年もこのまんまなんていやだもん。方法はいくらでもあるはずだし。
家族とは切りたくても切れない関係で、今後何十年と私に纏わり付いてくるはず、色々な面倒くさい問題を連れて。でも、友達は切る前に、手を離したらすぐに離れちゃう。
私たちは宇宙に浮いていて、常にブラックホールに吸い寄せられてる。だから、離したくない人は絶対離しちゃダメなんだ。
人生の目標は幸せになること。私の思い描く幸せな未来に友達の存在は必要不可欠。だから、間違っても今手は離さないでいないと。
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