哪吒伝

哪吒伝.上

 敖廣ごうこうも不遇な人生であった。


 もと陳塘王・李靖の先代は、敖伯ごうはくという大神だった。陳塘関は元来、敖家一派の治める霊域であったのだ。

 当時の李靖などは、まだ千人にも満たぬ小隊の主将で、無名兵士の一人にすぎなかった。


 そして、敖伯の皇子こそ敖廣なりて、のちには王位を継承するはずの身分だったのである。


 しかし、神威シェンウェイの情勢がくつがえりはじめたのは、無名李靖が着々と大将軍へとのぼりつめ、敖伯の右腕となるまでに至ってからだ。

 李靖は、かたっぱしから数々の武勲を挙げ奉り、中華にその名を馳せる天下無双の武神と化す。生前に屈指の名軍師であった腕前が、見事発揮されたのだ。


 されば当然、人々の信心はたちまちに李靖のほうへと傾いた。

 それだけならまだしも、この変容は敖家一派をも凌駕するごとしいきおいで、敖伯にとっては危険な存在勢力であった。


 本人にその気はなくとも、李靖は敖伯の神威シェンウェイをみるみるうちに吸収し、一段と陳塘関を侵食する。

 じきに、敖家一派は凋落の一途を避けられなくなるのだった。


 そうして陳塘関が李靖信仰一色に染まる頃、ついに敖伯が大病の腐敗を患ってしまう。

 敖家一派ももはやこれまでなりと悟った敖伯は、我が子を差し置き、残るる自らの神威シェンウェイすべてを李靖に託して死灰となった。


 かくして李靖は、次代陳塘王となったわけである。


 ただ、心慕いし敖伯の崩御がほかでもない己のせいだと自責した李靖は、せめてものつぐないにと敖廣および敖家三人の官位を確保した。

 ことさら敖廣とは親密な仲を築き、優遇すること自らの大切な一人娘を双方有無言わせずして躊躇なく嫁がせるほどである。


 やがて誕生する嫡子敖丙ごうへいを東宮とせば、また敖家一派復活の時代が訪れよう。

 もとより李靖はそのつもりで敖伯の弔いとし、敖廣にしてみれば亡き父の無念を晴らせる絶好の機会だった。また、そのように良きに取り計らってくださる李靖のことを、敖廣はとくに憎まずにいた。


 ところが、事態はあらぬ方針へと移り変わる。

 李靖が武神同士の毘沙門天と習合せねば叶ったものを、今度はその派生で浸透した新興異宗アナンタ信仰が陳塘関を侵すまでに成長を遂げたのだ。

 敖伯と同じ道をたどることとなった李靖は自身しかり、やはり敖家一派とてアナンタ信仰を鎮められぬと弱気になって、我が孫をかたわらにしつつ哪吒へ玉座を譲ろうとぼやき出す。


 これぞ、結局は敖家一派を捨てんとする李靖の裏切りだと思った敖廣が、はじめて憎悪を抱くきっかけとなったのだ。


 日常寡黙な敖廣の脳内は、つねに術計を練るにふけっていた。

 まずは哪吒の暗殺、次いで李靖を腐らせ、やがては敖家一派の復興に至らしめんと。亡き父に、最高の手向花を供えるべくして———。




           ✴︎✴︎


 そして、今———。

 敖廣は、玉間に居た。


 儒式の孔子霊廟のごとき間取りの玉間は、絢爛な龍宮の内観を思わせる。

 そこの王座に、敖廣は両拳を握り締め、緊張の面持ちでかたく座していた。


 すると、重厚なる観音扉を盛大に開け放ち、血相を変えた大臣幾人が駆け込んできた。


「大王さま!我らが陳塘関に、敵軍五千騎が進撃のもよう!総大将は、あのアナンタです!」


 かく報告を聞き、「やはりな」と思った敖廣はいさぎよく腹を据える。

 そもそも、敖炎・敖欽・敖閏の三家を刺客に送ったところで哪吒の暗殺は不可能とても、李靖にはひとたび急所を噛ませられれば十分と見ていた。されば、瀕死の李靖は哪吒に神威シェンウェイを託しざるをえなくなる。それをもてば、まずもって李靖の処分は完了となり、敖家一派の復興へと一歩近づくことができるのだ。

 あとは、そうして生き残ったアナンタとの決戦に挑むのみ、これに勝利すれば良いのである。


「アナンタめが、たったの五千騎でなにができる。大臣、こちらから兵一万を送ってやれ!」


 敖廣の、開戦の合図がとどろく。

 かくして、敖廣とアナンタ、陳塘関の玉座を賭けた争奪戦が繰り広げられるのだった。

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