第1話決戦は金曜日①

 その案件が決定されたのは、昨日の夜の事だった。とは言っても、正確に言うと最終的に会議が終了したのは午前零時てっぺんを回っていたので、今日だと言えばそういう事にもなる。会議終了後、家に帰らず局の仮眠室で夜を明かした民放テレビ局『テレビNET』の音楽部門プロデューサー本田智章ほんだともあきは、翌朝トイレの手洗い場で顔を洗い、そのまま担当番組のリハーサルの為スタジオへと赴いた。


「ヨ―――ッス」

「おはようございます!」


 本田の顔を見て、先にスタジオに入っていた何人かのスタッフが声を掛けて来る。

その中の一人、本田の後輩で局では数少ない女性ディレクターの初音陽子はつね ようこが、本田の顔を見るなり爛々と瞳を輝かせて彼に近付いて来た。


「本田さん、おはようございます! 会議どうでした?」

「ああ、あれね」


 そう言って少し間を置く。その様子に、陽子は『やっぱりだめなのか』と少し残念そうに俯いた。だが、次の瞬間。


「あの番組、になったから」


 意表をついて彼の口から発せられたのは、思いがけない吉報であった。良い意味で

期待を裏切る本田の解答に、陽子はつぶらな瞳を大きく見開いて悦びの声を上げた。


「ホントですか――っ! やったじゃないですか――!」


 テレビ局の中は様々な部門に分類される。報道、ドラマ、バラエティ―、スポ―ツ、音楽……その中でも特に音楽部門は、人数も少数、受持ち番組も深夜枠がメインという存在感の薄い部門であった。アイドル歌謡曲全盛の80年代には数多く存在していたゴールデンタイムの音楽番組も、時代の流れと共に若者の音楽志向は様変わりし、テレビの音楽番組もそれに合わせて淘汰されていった。


 そんな中、今回のテレビNET内でもかなり重要な意味を持つこの特番を音楽部門が担当するという決定は、弱小音楽部門にとっては、思いもかけないビッグニュ―スであった。


「スゴイですよ!本田さん!私、正直今回はドラマ部門の圧勝かなぁって思ってたんですよね」


 陽子の言う通り、会議前の下馬評では、今回の特番はドラマで行くだろう……というのが局内での大方の予想だった。


「ああ、まぁってところだ」


 勿論プロデュ―サ―の本田も、この結果には大いに満足しているに違いない。

ただ……この喜ぶべき結果の中には、これから本田率いる音楽部門が越えなければならない、ある試練が含まれていた。



        *      *      *



 その前日、午後11時……

【テレビNET開局50周年記念番組制作会議】


 テレビNETは今年でめでたく開局50周年を迎える。この日の会議の議題は、六ヶ月後に迫った開局50周年記念日に放送する特別番組の内容について議論するという趣旨のものだった。


 もう少し詳しく説明すると、今から六ヶ月後の8月24日がテレビNETの開局

50周年記念日なのだが、同局はこの日を《テレビNETの日》と命名し、なんと

24時間丸々を長時間の一つの番組に費やそうという大胆な企画が持ち上がっているのだ。


 これを発案したのはテレビNETの局長自らで、他の局がやっているような二時間とか三時間の特別ドラマや、通常のレギュラー番組に僅かのプレミア感を付け足したようなおざなりの企画では無く、午前零時から24時間をきっちりと長時間の大型番組を制作し放映するというものであった。


 それを受け、ではというのが今回の会議の決定事項なのだが、午後9時に始まったこの会議は二時間経った11時になっても全く議論が収まる気配を見せない。会議前の大方の予想では、ドラマ部門が圧倒的な優位で話が進むのだろうと見られていたが、いざ蓋を開けると、その提案には他の部門からの様々な異論が湧き上がってきたからだ。


「はっきり言って、ドラマではそれほど数字が獲れるとは思いませんな!」


というドラマ部門の山下プロデュ―サ―の提案を最初に真正面から否定したのは、報道部門のプロデュ―サ―で山下とは同期入社の古谷だった。


「それはどういう意味だよ、古谷!」


 あからさまな否定に顔をしかめた山下は、その理由を古谷に尋ねた。


「まず、ドラマというものは、途中から観ると内容が全然分からなくて全く面白くない!……つまり視聴者はという事だよ」

「ああ、それは言えてますね。小説なんかも途中から読む人間なんていませんからねぇ」


 古谷の発言に、スポーツ部門の松本プロデュ―サ―が加勢する。


「そんな心配は要らない! 面白いドラマなら、視聴者は最初から観るだろっ!」

「ほう、ねぇ……ちなみに山下さんはこの企画にどんなドラマをぶつけるおつもりなんですか?」

「そうだな……詳細はまだ決まっていないが、長時間なら戦国時代物か幕末物というところか……」

「ああ、それは駄目だな……」


 新たに話に割って入って来たのは、バラエティ―部門のプロデュ―サ―である田中だ。


「駄目って、どういう事だよ!だろうが!」


 憤慨する山下に、田中は冷やかな顔で答えた。


「何故って、一概にそういうドラマを好んで観るのは高齢者の方が多いでしょ?高齢者は早寝早起き。午前零時に起きてなんかいないですよ」

「うぐっ……」


 痛いところを突かれ、顔を歪める山下。それにしてもさっきから、寄ってたかってドラマ部門への集中攻撃である。どうして俺ばかりが責められなきゃならんのかと、山下は苛ついた様子で火のついた煙草を灰皿へと押し付ける。


の例えでは無いが、前評判で一番有力視されていたドラマ部門が暗黙のうちにこの会議で他部門の標的にされているのは、言うまでもない。

ただそんな中、音楽部門の本田だけはこのドラマ部門のネガティブキャンペ―ンに加わらなかった。相手の不備を突いて自分がのしあがる、そんなやり方は自分の流儀に反する。本田は、そんな風に感じていたからだ。


 一人孤立した山下は、何か突破口は無いかと思案に暮れた。そして暫く考えていると、ある妙案が山下の頭に浮かんだ。


(そうだ!)


 思わず、椅子から勢いよく立ち上がる。周りの者達は、その山下を少し驚いた表情で一斉に見上げた。


「二時間ドラマを12本連続で放映するってのはどうかな?」


 山下が出した案とは、それだった。それが、今までに他部門より突きつけられた

ダメ出しに対応した山下なりの結論であった。『どうだ、これなら文句はあるまい』とでも言いたげな表情で、山下は周囲を見回した。


ところが、


「それはどうかな……」


そう疑問を投げ掛けたのは、またしても報道の古谷。


「どういう事だ、古谷。お前の言った問題点はすべてクリア出来ているだろう」

「まあ、12本流せば二時間おきにドラマが始まる訳だから、途中から観てつまらないという問題点はクリア出来ているとしても……しかしね」

「しかし何だと言うんだ!」

「当日まであと六ヶ月しか無い。二時間ドラマ12本も、果たして撮れるかね……」


古谷が指摘したのは、スケジュール的な問題だった。


「それぞれ独立した二時間ドラマを12本、脚本を書くだけでも相当な労力だと思うけどね」

「そんな事は、問題無い!今だって、毎週二時間ドラマ一本撮っているだろ」


 山下の言っているのは、テレビNETで毎週水曜に放送している『水曜サスペンス』の事を指しているのだろう。だから、六ヶ月で12本のドラマを撮る事など容易い事だと山下は主張するのだが、古谷はそんな山下の認識の甘さを鼻で笑った。


「アンタ、まさかと思っているんじゃないだろうな? 冗談じゃない! 開局50周年のドラマをそんな平凡なモノで埋められる訳が無いだろ!」




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