(Day 1)第1話:聖騎士セレナ
インゾルゲは魔界四天王の一角を担う淫魔である。
『ザミダラクエスト』における『淫魔侯インゾルゲ』は血も涙もない好色スケベな卑劣漢のように描かれていたが、実際の彼は、種族や魔界を背負う者としてさまざまな問題に対処しつづけてきた有能な将軍であり為政者であった。
卑劣な手段も時と場合で採るが、酷薄一辺倒というわけではなく配下からの信望も厚い。そうでなければこの混乱の世に数多の魔物を率いつづけることなどできはしないのだ。
先日敗戦を喫した氷結の魔女メデイアは、『攻略情報』によると、『その後の彼女を見たものはいない。魔王軍の血の掟により斬首されたと見られる』とされていた。作中にはその後一切登場しないのだ。
これもとんでもない話である。
敗北のたびに負けた者を殺していたのでは早々に誰もいなくなってしまうではないか。勝敗は兵家の常、というのは少なくとも幹部層の間では共通認識であった。
報告にはインゾルゲも同席したが、実際のメデイアは、魔王陛下直々に力闘のねぎらいを受けて傷の療養に入ったところである。
病床で慰めてやろうかと尻を撫でて、しばかれてしまった。まあ俺がスケベというのは合っている、そうインゾルゲは笑う。淫魔である以上あたりまえのことで、ことさら
このあたりの違和感から、要するに『攻略情報』は人間側の目線に偏った、まことしやかなプロパガンダなのかもしれないと、インゾルゲは疑っていた。
特に、主人公とされる『勇者レオン』の戦歴と関係の薄い各種寸評は眉唾ものである。
俺個人の前世記憶のようには感じるが、知らぬ間になんらかの精神汚染攻撃に
天馬を駆りながらインゾルゲは思案を巡らせる。
一方で、記された『
魔王陛下の秘技群まで余すことなく威力や効果を丸裸にされていて、その一部はたしかにインゾルゲのこれまでの知識とも合致したから
対峙している人間たちがこれほどの諜報力を備えていることは絶対にない、と言い切れた。
何が正しく何が間違っているのかは、この目で見極めねばわからん。
『攻略情報』が真実を示しているならば、最大限活用するまでの話。
しかし淫魔軍まるごと爆散という未来だけは成就させんぞ……!!
傾きを強める午後の日差しのもと、目的地である淫魔軍の駐屯地が、遠く眼下に見えていた。
***
聖騎士セレナはさまざまな魔物の大群に囲まれていた。
みな装備を整えて強化されている。運悪く魔王軍基地の中央に飛ばされてしまったようだ。すぐに見つかって蜂の巣を突いたような大騒ぎになり、瞬く間に四方を遮断されてしまった。
かかってきたものは何体か斬り捨てたが、以降は遠巻きに包囲されての睨み合いが延々続いている。
全方位に気を配り続け、精神的な疲労はピークに達していた。
このままではジリ貧だ。一か八か、血路を開くほかないか……。
セレナが決死の覚悟を定めたその時、ふいに魔物の輪の只中に、天空から漆黒の天馬が舞い降りた。
「聖騎士セレナ、だな?」
素早く馬より降り立って声をかける、黒き鎧の騎士。
この絶体絶命の窮地に、敵か味方か、と見たセレナは、魔物の中から上がった声を聞き、己のさらなる不運を呪った。
「インゾルゲ様!!」
……淫魔侯インゾルゲ。女性をとらえ悪虐の限りを尽くすおぞましき卑劣漢。黒き二本の角、青黒い肌がまさに淫魔のそれである。
よりにもよってこんな奴とたった一人で遭遇するなんて……!!
捕らえられてしまえば悪夢のような凌辱の日々が待っているに違いない。そうなってしまったならば、いっそ自ら……。
絶望を隠してセレナは答える。
「そうだ。貴様が魔界四天王、淫魔侯インゾルゲか」
「いかにも」
インゾルゲは周りを見渡して言った。
「ふむ、まださほどの被害はないようだな」
「はっ、勇者軍の単独襲来に接し、近接戦では分が悪く、消耗をはかっておりました!」
魔物の隊長と思しき悪魔が報告する。
……魔物からすると、この転移事故は、私の急襲だと映ったのか。緊張の緩まない中ではあったが、セレナはふと妙な気分になった。
うむ、いい判断だ。そう返したインゾルゲは、セレナに向きなおる。
「軽率な特攻に走られずにすんで良かったよ、聖騎士セレナ。このままお前が疲労で倒れるのを待ち続けることもできるのだが、それでは気が済まんだろう。俺との一騎打ちを受けるかね? お前が勝てばそれ以上の手を出させぬことを約束しよう」
一騎打ち……??
ジリジリと削られ続けることに限界を感じていたセレナには、願ってもない話ではあった。
外道で知られる淫魔侯インゾルゲのこと、何かの企みがあるのかもしれないし、約束が守られる保証もなかったが、どのみち他により良い選択肢もない。
「……受けよう。だがどういう風の吹き回しだ?」
「その意気や良し。兵士がいたずらに死ぬのは俺も好まんのさ。まずはすこし心を整えるといい」
インゾルゲは魔物たちを、ごく遠くまで下がらせた。
営舎の並ぶ中、ふたりの影だけが、オレンジ色に変わりつつある西日に伸びる。
油断を誘う策だろうか。その手には乗らんぞ。
そう気を引き締めながらも、セレナは背後への警戒に疲れて強張りきった肩を、やや緩めた。
魔王軍の誇る四天王との単身での戦い、きわめて分が悪いのは承知の上だが、一縷の望みを賭ける。たとえ及ばずとも、後につづく勇者レオンたちのためにも、命をかけて一太刀でも浴びせてみせる。そのためには少しでも状態を回復せねば。
悲壮な覚悟を胸に、セレナは決戦に向けてわずかに一息つくのだった。
***
インゾルゲは内心冷や汗をかいていた。
……真実だったか。
基地の喧騒の中に認めた聖騎士セレナの姿。赤みがかった柔らかな茶色の髪が、魔王軍の持つ遠視の魔導具に残されていた記録と一致する。あわせて『攻略情報』の記憶とも相違ない。
どうも決死の突撃に賭けようとしていた様子だったので、急ぎその場に舞い降りたのである。
止めるのが間に合って良かった。
『攻略情報』では虜囚の憂き目を見たことになっていたが、万一、奮戦の末あえなく討ち死に、などされていたら収拾がつかなくなるところだった。
勇者がどう出るかはわからんが、訃報に怒り狂って大爆発されては、それがどこであろうと困る。たとえ人間側の街中であったとしても、魔王軍の残虐な示威行動と見做されて戦意は一気に過熱するに違いないのだ。
ひと息に王都などの重要拠点を潰せるならばまだしも、危なすぎる博打である。制御の効かない混乱は、それを利用できる目処が立つまでは歓迎できなかった。
後は、一騎打ちで俺が勝てるかどうかだな。
魔王軍幹部である淫魔侯インゾルゲは、武人としても相当の実力を持っている。自軍の中では随一と言っていい。このため一応の自信はあったものの、淫魔は元来戦闘の得意な種族ではない。インゾルゲが強いのは単に研鑽を重ねたからだが、それは戦士であれば多かれ少なかれ誰でもやっていることで、つまり聖騎士セレナとて同じなのだ。
純粋な戦闘能力だけで言えば、先日勇者一行もといセレナたちに苦杯をなめた氷結の魔女メデイアのほうが、インゾルゲよりもよほど格上であろう。
インゾルゲは勝てる保証のない戦いは無闇におこなわない主義だったが、それに反してというべきか、ひとりとはいっても聖騎士セレナ相手にはそれなりのリスクが伴うのだった。しかも『攻略情報』には、淫魔城を爆散させる勇者よりも強いとされているのだから。
その危険を押してインゾルゲが一騎打ちの形を取ったのには理由がある。
この場で捕らえたとて、逆らい続けられてはかなわない。そうなると我が軍の中にも、手早く淫魔の呪いを刻んで奴隷としてしまうべきだと主張する者も増えてこよう。それでは困るのだ。
かといって、魔王軍幹部としてはわざと逃がす名分も立たないのである。軍隊で包囲した単独行動の重要人物を取り逃がしたともなれば立場も悪くなるし、そもそもインゾルゲ自身に、現時点でみすみす勇者側の戦力回復を手助けするつもりがない。
聖騎士セレナは殺さず捕らえる。
捕虜として丁重に扱うことを周囲に納得させる。
無闇に暴れさせない。
これらを満たすには、互いに納得ずくの名誉ある戦いの末に勝敗を決するのが上策で、そしてそのためには、インゾルゲ自身がリスクを負わねばならなかった。
別にフェアな戦いにこだわりはなく、むしろいかに優位を作り損耗を減らすかに気を配ってきたインゾルゲではあったが、こういった理由から、この場は騎士道の体現者然として振る舞っている。
最悪、殺されんようにはしよう。
決闘を控えたインゾルゲには、騎士道とはかけ離れたそんな後ろ向きな考えもよぎるのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます