つながる

 少し鬱陶しそうにするあの顔が可愛いと思う。笑っているときよりも、嫌だと思っているときのほうの顔が本物だって思えるから信用できる。笑顔は嘘でもつくれるけれど、嫌悪感は嘘でつくれない。

「アキ」

 雪平秋人が松田美代のボールペンを盗む現場を見てからは、藤崎五月もよく視界に入るようになった。それは私が雪平秋人を前よりも観察するようになったからだけれど、彼女自身、以前よりも頻繁に雪平秋人に話しかけにいっている。おはよう、宿題忘れた、暑いね、おもしろい動画みつけた、部活がんばって、近所のだれだれさんが、またアキの家に行きたい。そういう会話のひとつひとつが二人のあいだにある距離を埋めると信じ切っているみたいだった。廊下で見かけたとき、共通授業のとき、全校集会で体育館に行ったとき。いつも藤崎五月のほうから話しかけていて、彼がてきとうに返事をする。

 笑顔は嘘でもつくれる。だけど藤崎五月の笑顔は、本物の気がした。だからこそ雪平秋人は、ちっとも嬉しそうじゃない顔を彼女に向けているのだと思う。


 雪平秋人と、すでに三回一緒に帰っている。連絡を入れると、彼は教室まで迎えに来てくれた。なるべく人にみられないようにしているのか、来るのはいつも下校時刻間際だった。すべてから隠れるように行う待ち合わせは、私たちの関係をよりいっそう密やかにさせた。

 もしも「ひみつ」というのがさわれるものだったとしたら。ときどき想像する。手のひらにおさまってしまうくらい小さくて、なめらかな大理石のようにつやつやしていて、磨けば磨くほど透きとおっていって。「ひみつ」はきっと、いつまでも撫でていられる触り心地。

 不思議と彼と一緒に帰る日は、誰かにみられるということがなかった。おかげで、雪平秋人が心配している噂になるようなことも、今のところない。私も、この関係が誰かに知られてしまうのは嫌だった。磨いて撫でてつやつやになった「ひみつ」は、私だけのものだった。

「藤崎さんは、ずいぶん雪平くんのこと好きなんだね」

 雪平秋人は決して私と並んで歩くことをしない。話しかけるときは、周りに誰もいないとき。話し合わせたわけではないのに、いつのまにかそういうルールができあがっていた。

 斜め後ろに向かって言うと、彼は眉をひそめた。夏が近づいている夕方は、まだ昼間みたいにあかるい。そのあかるさと、不機嫌そうな顔の雪平秋人は、笑ってしまうほど釣り合っていなかった。

「どうでもいいよ」

「最近よく話しかけられてるから目立ってる」

 雪平秋人がためいきをつく。好意を持たれることはまんざらではない、というためいきではなさそうだ。

 私は知っている。藤崎五月が、雪平秋人の告白を待っていることを。楽しげに、どんなふうに告白されるかを想像している彼女は、傍目からは盲目的な、それでいてありふれた恋の悩みに振り回されている女の子にみえた。

「藤崎さんの気持ち、気付いてるんでしょ」

「話しかけられるから好きとは限らないよ」

「そっか。雪平くんは、松田さんに話しかけたりしないもんね」

 松田美代の名を出すと、わかりやすく顔を赤くした。照れくさそうにするよりも、いやがっている顔のほうが私は好き。藤崎五月にみせる鬱陶しそうな顔よりももっと、怒ったり傷ついたりしてみてほしい。

「あのボールペン、どうしてるの?」

「部屋に置いてる」

「松田さんじゃない人のもの、盗んだことある?」

「ないよ。あるわけない」

 そんなの本物の泥棒じゃん。まっすぐな目でそう言うから、思わず笑ってしまった。松田美代のものを盗んでも、それは本物の泥棒だというのに。彼のなかにはどうやら正当な理由があるようだった。恋をして盲目的になるところは、藤崎五月と似ている。そう言ったら、なにかきもちのわるい虫でもみたような顔をした。

「じゃあなんで松田さんのものを盗むの?」

「つながっている感じがするから」

「つながっている?」

「抽象的な思いをひろげても届かない気がするけど、ボールペンとか、確かな物質をとおして彼女のことを考えると、直接伝わる気がする」

 直接伝えるなら、面と向かって気持ちを告げるしか方法はない。それでもボールペンを握りしめ、一生懸命に松田美代のことを思っている雪平秋人の姿を想像したら、たまらなくなった。

「松田さんのものが俺のものになるって、離れていても近くにいるみたいだから」

 雪平秋人は想像で例のボールペンを握っているかのように右手の指をこすりあわせた。思わず飛びついて、手のひらを広げたくなる。

「片瀬さんは、ないの。そういうこと」

 雪平秋人は、私のことを片瀬さんと呼ぶ。みよと呼んでいいと言ったのに、一向にそう呼ばない。

「なにかを盗んだことはないけど」

 かたむいてきたあつい西日に目を細める。まぶたの裏に、もう会えない人の姿がぼんやり浮かんだ。

「離れていても近くにいてほしい気持ちは、なんとなくわかる」

 彼女と会えなくなる前に、私もなにかを盗めばよかった。そう思いながら、数歩前を歩く雪平秋人の背中に視線を送る。橙色の西日が身体を照らしていた。それがとてもまぶしくて、目をすがめた。


「五月、なに?」

 藤崎五月のことは、名前で呼んでいる。話しかけられて少し鬱陶しそうな顔をしていても、邪険にはしない。たぶん、適度な距離を保っていれば、藤崎五月はだれにも立ち入ることができない幼馴染みという立場を守ることができただろう。

「夏休みは部活? 夏祭りとか一緒に行かない?」

 堂々とした態度で、周囲の目を気にせず、幼馴染みである特権を使って、彼女は彼を誘っている。断られる、なんてまったく想定していないような口ぶり。

「部活で忙しいと思う」

 一呼吸も考えずに雪平秋人はそう答えた。私はまた笑いそうになる。たぶん、これは嫉妬じゃない。けれど、藤崎五月がもっと傷ついたらいいと思う。起き上がれなくなるくらいに、雪平秋人に冷たくあしらわれればいいのにと思う。

 雪平秋人への感情が募ると同時に、私は藤崎五月に対しても加虐的な気持ちがうまれるようになった。藤崎五月は、なんだか小さくみえる。私の腕でかかえられるくらいに。

「そっかあ。そうだよね」

 残念そうに答えつつも、彼女はすぐに笑顔になった。藤崎五月のなかで、きっと今いろいろなストーリーがつくりあげられているのだろう。断るに値する正当な理由を、勝手に自分で仕上げているに違いない。

 藤崎五月の告白シチュエーションから、夏祭りが消える。このあと教室で繰り広げられる会話を、私は簡単に想像することができた。

「恥ずかしかったのかなあ?」

「じゃあ夏休み最終日とか」

「もしかしたら、夏祭りの夜に呼び出されるのかも」

「告白だって勇気のいることなんだから、きっとアキくん、なんて言おうか今考えているんだよ」

 藤崎五月はそんな会話の数々を、控えめに受けながら笑うだろう。その笑顔の裏側に、雪平秋人への独占欲を忍ばせるだろう。彼女の笑い方は、本物だからこそ見え透いている。

「やっぱり夏休みは部活だって」

 友人の輪の中に戻っていく藤崎五月が、おどけてそう言っていた。まわりの女の子たちは、私が先ほど想像した会話とほとんど相違ない言葉を口にした。

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