ホンモノ

見鳥望/greed green

「暇だなー」

「暇だねー」


 自堕落な大学生活の夏休みを俺と孝志は1人暮らしの安アパートの一室で嘆いていた。


「もう結構いろんなとこ行ったしな」

「なー」


 時間はもう夜の10時をまわっている。いくら暇と言えどせっかくの休みを寝て過ごしてしまうのはもったいない。ましてや血気盛んな大学生だ。眠気も全くない。


「あ、一個あるぞ」

「どこよ?」


 孝志はぐでんと床に寝ころびながら自分に向かって人差し指を立てた。


「Iトンネル」


 言われた瞬間、「あー」と声が漏れた。灯台下暗しとはまさにこの事だ。

 Iトンネルとは心霊好きなら誰もが知っている場所で、心霊に興味がない人間でもその名を聞けば”なんかヤバイ場所”ぐらいには有名な心霊スポットだ。

 Iトンネルはちょうど自分達が住んでいる県にあり、しかも車で30分もかからない距離にある。


「そろそろ行ってみるか」

 

 俺がそう言うと、孝志はにやっと笑って頷いた。

 俺も孝志も心霊好きで、孝志が車を持っている事もあっていろんな心スポを巡った。しかし噂で聞くようなはっきりとした怪現象や恐怖体験をする事はなかった。

 そんな俺達にとっては”最恐”とも呼ばれるIトンネルは、有名すぎて近すぎるがゆえに候補から外れてしまっていたが、体験を求める今の俺達にとってはまさにうってつけの場所だった。


「よし、そうと決まれば行くか」


 ぐんと身体を起こした孝志はすぐにでも外に出ようとしたが、「いや待てよ」と口にしてその場で立ち止まった。


「どうした?」


 孝志は面白い事を思いついたといった顔で俺の方を見た。


「あいつ呼ぼうぜ」


 それを聞いて俺も察した。


「確かに、それはいいな」


 俺はスマホの連絡先から田岡に通話をかける。


「やめとけよ」


 通話に出た田岡は開口一番、俺達の会話を聞いていたんじゃないかと思うような言葉を口にする。

 

「まだ何も言ってねえじゃん」

「どうせまた心スポにでも行くんだろ? 絶対に行かないぞ俺は」


 それは勘の良さか、はたまた彼の”能力”が故か。


「そう言うなよ。お前がいてくれたら安心するんだよ」

「勘弁してくれよ。お前らは見えないからいいだろうけど」

「まぁまぁ」


 田岡の態度はしぶいままだった。

 田岡はいわゆる”見える奴”だった。それが面白くて度々俺達の心スポ巡りに嫌がる彼を連れていっていた。彼からするととんだ迷惑だろうが。


【そこは行かない方がいい。今は声を出すな】


 何より彼のおかげで俺達は心スポでの危険リスクを下げる事に成功していた。とはいえ、その実感は俺達には全くないわけだが。


「頼むよ。今日行くの、あのIトンネルなんだよ」


 そう口にした途端、


「絶対行くな」


 田岡は遮るように言った。


「マジでやめろ。絶対ダメだ。絶対に行かない方がいい」


 彼は真剣な強い口調で俺達を止めた。

 だが残念ながらそれは逆効果だった。田岡が認める程のヤバい場所なら絶対に期待できる。説得してくる田岡の言葉に俺達は全く折れなかった。

 

 田岡が嫌がるのはもちろん今回だけに限った話じゃない。彼にとって心スポに行く事はわざわざ自分から嫌なモノを見に行くだけの事なんで、時間と体力の無駄遣いでしかない。だがそれでも彼が来てくれるのは、彼がとにかく優しくてイイ奴だからだ。

 だからこそ彼は俺達を止めてくれている。真剣に心配してくれている。

 そんな事はもちろん分かっている。だがそれでも興味と好奇心に勝てないのが俺と孝志のバカで愚かな所だった。


「分かったよ。そこまで言うなら来なくていい。俺達二人だけで行ってくるよ」


 ズルい作戦だと思ったが、もしこれでも田岡が来ないなら本気で二人で行くつもりだった。それに、これまでも田岡抜きで巡った場所だっていくつもある。田岡なしでも俺達としては問題はないのだ。


「……分かったよ」


 作戦通り、ようやく田岡は折れた。


「ありがとな」


 今から迎えに行く事を彼に告げ、俺達はすぐに部屋を出た。







 

「すげぇな」


 田岡を拾い、三人で現地に着くとその雰囲気に思わず圧倒された。

 トンネルの心スポなんて他にいくらでもあるし行き慣れていた。だが今目の前にあるのはその中でも最恐クラスのそれだ。

 様々な人間がここを訪れ、心臓も凍るような体験を数多くしている。そういった体験談だけではなく、昔実際にここで凄惨な事件が起きていたという事実もある。そういったものが重なり混ざり積み重なっていった結果がこの場所を最恐とした所以だった。

 バカでかい入口の穴には一切の光はなく、飲み込むような漆黒で満たされていた。


「行くか」


 孝志が手に持った懐中電灯を手に進み始めたのに合わせ、自分も明かりをつけ歩き出した。田岡は横並びで歩く俺達の一歩後ろからついてくる形となった。


 たん。たん。たん。


 自分達の足音が大きく響き渡る。ただ真っすぐに進むだけのだだっぴろいシンプルなトンネル。しかし常にここが最恐と言われているという称号のせいか、いつも以上に空気が重く感じられる。


【絶対に行くな】


 焦ったような田岡の通話での制止。今日こそ俺達は本当の心霊体験が出来るかもしれない。そう思うと、恐怖と期待で身体が震えた。


「おい、なんかいるぞ」


 トンネルを少し進んだところで自分も気にはなっていたが、右隣を歩く孝志の小声でそれが見間違えではないのだと分かった。

 ちらちらゆらゆらとうごめくモノ。それが自分達の目指すトンネルの出口付近に見えた。


「先客かな?」


 おそらくそうだろう。ここが人気の心霊スポットである以上、自分達と同じようにここを訪れる者がいても不思議ではない。


「ああ、多分そうだな」


 孝志も納得した。


 たん。たん。たん。たん。


 自分達の足音に遠くから響く足音が混じってくる。

 しかし安心は出来ない。言っちゃ悪いが、こういった場所に来る人間にまともな奴はいない。もちろん自分達も含めてだが、安心出来ない理由は所謂不良タイプだった場合だ。

 俺達は純粋に心霊好きという理由からこういった場所を訪れるが、不良はまた目的が違う。度胸試しや暇つぶし。ろくでもない理由で現れ、平気で落書きやら物を壊したりと暴れ散らす。そんなタイプだった場合、気を付けなければ心霊以上に恐ろしい目にあってしまう。


 真ん中を歩いていた俺達は自然と右の方にずれ、左側の道を彼らの為に空けるように歩いた。

 足音はだんだんと近付いてくる。やがて自分達のライトが彼らを照らし出した時、ようやくそこでほっと胸を下ろした。


 前から歩いてきたのは自分達と同じぐらいの年齢の男二人組だった。彼らは自分達を気にする事なく談笑しながら歩いている。


「大した事なかったな」


 そんな言葉が前から聞こえてきた。


「噂に聞くような場所じゃなかったな」

「何にも起きなかったし」


 そんな風に喋りながら呆気なく通り過ぎて行った。

 何とはなしに彼らの方を振り返ろうとした時、


「見るな」


 と、ずっと黙っていた田岡に止められた。

 何だよと一瞬思ったが、不良じゃないにしてもあんまり見ていると難癖をつけられ厄介事に繋がる可能性はある。俺は言われた通りに振り返らずに前を見て歩みを進めた。


「抜けたな」


 結局何事もなくトンネルを抜けた。

 噂ではトンネル内での話が多かったが、何一つ変な事は起きなかった。


「ま、この先にも何かあるかもしれんし一通り見ていくか」


 孝志の言葉に従い、その先へと俺達は向かった。







「何もなかったな」


 車内に戻るとその一言が漏れた。


「期待したんだけどな」


 がっかりといった具合に運転席のシートにどっしりと孝志は一度背を預けた後、エンジンをかけゆっくりと走り出した。後部座席に座る田岡は黙ったままだった。


「ま、こんなもんだよな実際」

「あの兄ちゃん達の言った通りだったな。マジで何もなかった」


 振り返れば俺達は入口の時点で既に答えを聞いてしまっていたのだ。期待をするなと。ひょっとしたらわざと俺達に聞こえるように教えてくれていたのかもしれない。


 今回こそ何かあると思ったんだけどな。そんなふうに思った時に、ふと一つ思い出した事があった。


【見るな】


 それは前から来た若者二人とすれ違った時だった。あの時は深く考えなかったが、思い返すと少し違和感があった。


「田岡、あれ何だったの?」

「あれって?」

「ほら、”見るな”って俺が振り返ろうとした時に止めただろ。あれ何で止めたの?」


 何てことない質問をしただけのつもりだった。「あぁ、あれはな」とさらっと答えてくれるものだと思っていた。しかし実際に待っていたのは不安になるほどの沈黙だった。


「え、何?」


 たまらず孝志が口を挟んだ。しかしそれでも田岡はまだ喋らなかった。これは待つしかない。そう思い田岡の言葉を待った。


「逆に聞いていいか?」


 しばらくして田岡がようやく口を開いた。


「お前ら何が見えてた?」


 質問の意味がよく分からなかった。俺は孝志と目を合わせ「なにって……」と互いに口にする。

 何が。ここでいう何がっていうのはおそらくよくないモノだろう。つまりは霊の類。しかし思い返してもそのようなものは俺も孝志も見ていない。


「どういう意味だよ。特に俺達変なものは見てねぇぞ」


 代わりに孝志が答えた。しかし田岡はその答えに納得せず繰り返した。


「いいから。とにかくお前らがあのトンネル内で見たものを教えてくれ」

 

 やはり意味が分からなかった。質問の意味も、何故そんな事を聞くのかも。

 無理矢理に思い出そうとしてみる。

 けれど、あの中で見たもので印象に残っているものは一つしかない。


「お前も見てただろ。前から歩いてきた若い二人組の男。多分俺達と同じような心スポ好きの学生だろ。俺達が見たものはそれだけだよ」


 俺が答えると、田岡は再び沈黙した。

 一体何だと言うのだ。全くわけが分からない俺達を置き去りしていた田岡だったが、彼の次の言葉に俺達は耳を疑った。


「俺にはそんな二人見えてないぞ」


 言葉が出なかった。

 見えていない。そんなわけがない。混乱する頭を落ち着かせ俺は考える。


 逆なら分かる。

 田岡だけに見えて、俺達二人に見えていないのなら。

 これであれば通常パターンだ。今までの心スポと同じく、田岡にだけ見える存在だった。

 だが実際は違う。

 

 ーーありえない、ありえない。


 俺と孝志にだけ見えて、田岡にだけ見えないわけがない。

 そんな事などあり得ない。俺達には田岡のような力はないのだから。仮にあったとしても、そうであればやはり全員が彼らを目にしていなければ理屈に合わない。


「ホンモノだよ、あれは」

「ホンモノ?」


 田岡はトンネル内であった事を静かに話し始めた。



 お前らが妙な話をしていたからおかしいとは思っていた。誰かいるぞって、何もない所に光をあてたりしてたから。

 しばらくしたらそいつらを避けるかのように右側に歩き出した。それを見て俺は、俺に見えない何かが向こうから左側に歩いてきてるんだなと思った。

 だがずっと俺には何も見えなかったし聞こえもしなかった。お前たちの話じゃ、その二人は会話してたらしいが、俺にはそれも聞こえていない。

 正直最初は行き慣れた余裕から俺に質の悪いドッキリでも仕掛けてるのかと思った。

 でもお前らが嘘をついているわけじゃないって事が、その何かとすれ違った瞬間に分かった。


 寒気がして全身に鳥肌が立ったよ。

 急に自分の真横からとんでもない悪意を感じた。

 あれは多分誰でもいいんだ。恨みとかそんなんじゃない。ただ人を苦しめて堕とす事に楽しみを見出すようなやつだ。


 ヤバイと思った。絶対に見ちゃいけない。

 そう思った瞬間に、お前たちは振り向こうとした。

 あの悪意を真正面から直視しようとした。

 だから止めた。

 もしお前らがあのまま振り返って”それ”を見てしまってたら、間違いなくお前らは終わってたよ。



 全身から血の気が引いた。孝志は前を見て運転していたが、完全に顔面は青ざめていた。


「たまにいるんだよ、ああいうホンモノの悪霊ってのが」

「ホンモノの悪霊……?」

「普通の霊に出来ない事をやれちまうんだよ。本来なら俺だけが見えるはずなのに、逆に俺には見えないようにして、お前らだけに見えるようにした。もちろんお前たちが見たその若者のような姿ってのは本当の姿じゃない。お前達の興味を引くために、騙す為に見せた形に過ぎない」



“大したことなかった”

“噂に聞くような場所じゃナカッタナ”

“ナンニモオキナカッタシ”



 あんなにも自然に、何の変哲もない姿で。

 だから俺は何も考えずに、当たり前のように振り返ろうとした。だが今思い返せば、振り向く必要もなかったはずだ。

 そう考えると、あの時俺達は果たして、自分の意思でそうしたのだろうか。


「だから言ったろ。”絶対に行かない方がいい”って」


 生きた心地がしなかった。田岡が来てくれたから、俺達はギリギリ助かった。

 だが、もしも――。

 

“分かったよ。そこまで言うなら来なくていい。俺達二人だけで行ってくるよ”


 もしも俺達二人だけであそこに行っていたら。

 ”アレ”に同じように出会っていたら。

 俺達は、確実に振り返っていた。

 

 

 いまだに信じられない。どう見てもアレは普通の人間にしか見えなかった。

 アレは一体、本当はどんな姿をしているのだろう。

 もしホンモノにまた出会ってしまったら。

 

 それ以来、俺達は心スポ巡りを止めた。

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