第6話 ミチザネ、ヒモになる
男はそう言った。その目も、髪も、元の茶色から黒に代わっている。
反魂の術。それこそが起死回生の一手だった。
死んだ者の霊魂を別の死にかけの人間、あるいは死んだ直後の死体に移し替えて蘇生を行うという、京の陰陽寮でもごく一部のものしかその存在を知らない秘中の秘。大怨霊菅原道真の討伐に当たって若き陰陽師が決死の覚悟で試した裏技である。
法力と式による討伐が失敗に終わった後、陰陽師は予め用意した死体を使い、道真を生き返した上で拘束しようとした。
だが、反魂の呪符は確かに道真に届いたものの、強すぎる怨念が蘇生を拒絶。結果として術式は失敗に終わり、最後の計画である異世界への追放へと切り替えざるを得なかった。
「……クソ、鬼の類は人の魂を好んで食べると聞いたが、およそ美味いものじゃないな、これは」
木こりの体に移った際、まだわずかに残っていた木こりの意識はパニックになりながらも必死の抵抗を試みた、だが、亡霊は精神そのものに牙を立て、砕いて飲み込み消滅させたのだ。
「四神の全ての神様、天使様、どうかお助けください……か」
先程の木こりの言葉を思い出して男は言った。精神を咀嚼したことで、彼の言語や知識などの意味記憶をいくらか習得できた。しかし、天使の言葉は木こりとは異なるようで、何を言っていたか理解することはできなかった。あれが言語であれば、だが。
水の流れる音に従って近くの小川を見つけ、血で汚れた顔を洗う。
短いあごひげに堀の深い細面の顔立ち。
およそ京の都では見かけない面貌だが、その黒い瞳の奥にある暗い火には見覚えがあった。
ミチザネの憎悪の火だ。
謀反の疑いをかけられ太宰府へと送られたことで、地位、名誉、家族、人民を救う政策、そのことごとくを奪われた。必ずやもう一度京へ戻り、藤原の一族へ復讐を果たす。
死んで亡霊になった程度で、見知らぬ世界へ飛ばされた程度で、反魂の術で生き返った程度で、その憎悪は消えたりしない。
平安の亡霊、ミチザネは斧とかごを拾い、薄暗い獣道をたどりながら考えた。
葦の荒野で彼の背に開いたあの裂け目を、陰陽師は次元の門といっていた。まだ人間だった頃、唐の書物にて一度その門について読んだことがある。
それは次元の門、あるいは時渡りの門と呼ばれる。向こうの世界と通じ、中に入った者は二度とは戻らず、向こうから来たものもまた帰った者はいない。あちらの世界を桃源郷と呼ぶものもいたが、来たりし者によると唐と同様に争いがあり、また恐ろしい魔の物も多くいるとのことだった。
獣道は踏み固められた道路に繋がり、やがて森を開いて作った村が見えてきた。
第八遺構史跡開拓村。
かつては貴重な魔法の触媒や神器(ルビ:レリック)と呼ばれる強大な力を持った武具が発見されたこの史跡も、現在はその調査を終えている。
粗末な木の柵の前に立ち、なんと言って中に入れてもらおうか思案していると、柵が勝手に開いた。村の入口に立つ男が話しかけてくる。
「今日は空が曇ったり晴れたり、気持ちの悪い日だな。東の方じゃ激しく雷が落ちてたって話だぜ。ってベラン、お前髪どうしちまったんだ」
「……」
髪と目の色が変わった言い訳はもちろん考えていたのだが、驚愕の事態にミチザネは固まってしまった。眼の前にいたのは、服を着て二足歩行する犬であった。
「ベラン? なんだ俺の顔見て。ヒゲが曲がってたりするか?」
犬男はそう言って毛の生えた手で自身の顔を触った。よく見ればその顔はミチザネが知る犬よりもかなり毛が薄く、顔つき自体も人間にいくらか近しいものである。
木こりのベランから得た知識によって、この世界ではミチザネのよく知る人間を只人(ルビ:ヒューム)といい、それ以外にも人間とよばれる種族がいくつもあると知っていたが、記憶にあるのと目で見るのでは大違いだった。
「あ、ああ。……その、狐狸に馬鹿されてしまってな」
思わず頭に浮かんだことを喋ってしまった。
「はぁーん? 狐が人を化かすもんか。」
「いや、本当にわからないんだ。昼寝して、起きたらこうなってた」
「なんだぁ? ハグにでもやられたんかねえ」
ハグとは森に出る魔物の一種で老婆の姿をしている。道を踏み外した魔女の成れの果てだと言われているが、それを確かめたものはいない。ミチザネのいた平安の世の山姥と似ているが、こちらの世界では人を攫い食うだけでなく、罪のないイタズラの呪いをかけることもある。
「おめえも災難だな、魔女なんてものはツキが落ちるだけだ。うちの村にも魔女がいるが……関わるもんじゃねえ」
男は地面に唾を吐くと拳で胸を軽く叩いた。四神教の厄除けの仕草の一つだ。
「村外れで白骨死体が見つかったって話もあるし、夜の寄り合いで注意を呼びかけないとな」
「そのことだが、バウ・ロー」
ミチザネは必死に記憶を探り、男の名を呼んだ。
「見ての通り混乱しているし、ひどく疲れていてな。体も熱っぽいし、今日の寄り合いに私は行けないと伝えてくれないか」
「あ、ああ。そりゃ構わんが、髪と目の色だけじゃなくて言葉遣いも変わっちまったのか?」
バウ・ローはスンスンと鼻を鳴らす。ニオイでベラン本人か確かめているのだろう。ミチザネは彼に構わず村へ足を踏み入れていった。
書物が読みたい。平安の亡霊は思った。時を渡る方法について調べられるのがベストだが、そうでなくてもこの世界について、天使への対処法、人を害する魔物がいるというのなら、それらと渡り合う方法についても学ぶ必要がある。
「魔女……、魔女か」
ミチザネは粗末な家の戸をくぐりながらそう呟いた。
開拓の終わった遺構史跡開拓村は産業に乏しい。史跡の奥から時折迷い出る魔物の討伐と、探索最盛期に見過ごされた価値の低い出土品をほそぼそと集めるだけの寂しい村だ。
村に残るのは脛に傷を持つ者や食い詰め者など社会から爪弾きにあった人間が多い。そんな村に住む魔女という存在は、彼らの中ですらなおも浮いた存在である。家の裏口の戸を控えめに叩き、コソコソと薬草や媚薬を買い求める者以外に訪れる影はほとんどいなかった。ミチザネを除いては。
「ふむ、体の中でマナを回し魔法の発現に必要な回路を形成するという理屈についてはある程度理解できた。やはりもっと実践が必要だな。他の種類の魔法の触媒も試させてくれ」
魔女の工房で年季の入った木製の椅子に彼は座っている。手には古い本を持っていた。
工房の主はミチザネに背を向け、カウンターで作業をしている。魔女は背が高かった。今のミチザネの体も、平安の男の基準でいうとかなり高身長だったが、眼の前の魔女は女でありながらそれとほぼ同じ身長だ。
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