第5話 ミチザネ、生き返る
人に翼が生えたとて空を飛べるものだろうか。
人であったときの癖か、不可解なものを見たことで怨霊は頭蓋の奥に筋道だった考えが登りかけた。だが、タールのような黒くドロリとした怨嗟がそれを塗りつぶした。
「小僧ぉぉおお、藤原を、どこに隠したぁぁああああ!!」
「あはあっ」
羽の生えた子供は無邪気に笑みを返した。
ドスッ!
不意に衝撃を感じた。
頭蓋を動かして自身の骨の体を見ると、肩口から金属の棒が生えていた。その切っ先は胴の深くにまで突き刺さっている。
「きひひっ」
子供は翼をはためかせ、亡霊から距離を取る。同時に彼が柄を持つ棒もミチザネの体から引き抜かれた。先端が三叉に分かれている
「我の邪魔をするとは、貴様藤原の手のものかぁ。あるいは
亡霊が生前の記憶に引きずられて不明瞭な言葉をこぼす。子供は彼の言葉の意味を理解できたのかどうか、ただ無邪気な笑みを向け、鉾を構えた。
「ぬぅん!」
骸骨の亡霊が手を振るうも、天使はひらひらと回避し、鉾で胴といい頭といい突き刺した。
「きゃははっ」
絶妙な距離を取り子供が笑う。彼にとってこれは遊びなのだ。亡霊から漏れる瘴気を意に介す様子もなく飛び続ける。
「許さぬ、許さぬ、どこへ行った、藤原ぁああ!!」
怨霊が雄叫びを上げると、暗雲が立ち込め、周囲がにわかに暗くなった。
ゴウッ
突風が吹き、コントロールを失ったのか、子供が体のバランスを崩した。そして平安の亡霊はその隙を逃さなかった。
骨がむき出しになった腕で子供の首を掴む。キーキーと上げる声を意に返さず亡霊は言う。
「藤原の手のものなれば、生かしてはおけぬ」
空が裂けるような轟音とともに、雷が子供の頭に落ちた。頭部からも、黒く焼け焦げた羽からも煙が上がり、目からは光が失われていた。
手を離すと、子供は森に落ちていった。だが悪霊はなおも天を見続ける。
「ふぅー」
「ぎぃぃぃ」
「うううぅぅ」
「あーっ、あーっ」
黒雲に覆われる空の上から様々な声がした。
髪の長いもの、短いもの、剣を持ったもの、弓を持ったもの。
幾人もの子供たちがその巨大な翼をはためかせて彼を取り囲んでいた。最初の子供と異なり、彼らは皆一様に敵意のこもった視線を向けている。
手にサーベルを持ち、他と異なり青い胴衣を見に付けた子供が空に浮かぶ骸骨を指差し、仲間たちに声を上げた。
そして彼らは一斉に襲いかかった。
夕暮れの針葉樹林。その上を異形たちは何キロも移動しながら戦い続けた。
瘴気、雹、突風、そして雷。それらを駆使し、飛翔する子どもたちの数を幾人か減らすことはできたが、それでもなお十人以上が聖なる武器を手に亡霊に飛びかかる。頭蓋には大きな亀裂が走り、右手は切り落とされ、袍とともにその下の体もずたずたにされていた。
そして、青い胴衣を着た子供のサーベルが胸にめり込む。
「ぬぐぅぅぅ」
自身を空にとどめておくことができず、亡霊は森の中に落下した。
木の枝がいくつも折れ、シダと枯れ葉の上に亡霊の体は打ち付けられた。体がしびれて動けない。
「*****?」
素っ頓狂な声がした。
若い木こりが不意に落ちてきた亡霊に驚いて腰を抜かしていた。
背の高い男だ。髪は焦げ茶。目も茶色。あまり上等そうでない上下に身を包み、刃の鈍った斧を抱えている。
「*****!? ****、****!!」
怨霊は男を無視して思案した。
あるいは羽の生えた悪童たちの力が消滅の危機を感じさせたからか、あるいは彼らの持つ聖なる武器の力により、いっとき頭蓋の霧が晴れたからか、亡霊は生きていたときの合理的で怜悧な精神を取り戻していた。
どこかで、あの子供に似た話を聞いたことがある。そう、唐の国に西方から伝播したという景教(キリスト教の一派)の経典に、天使と呼ばれる翼が生えた童について書かれていた。
天使とは、飯を食い、まぐわい、糞を垂れるといった通常の生き物と異なり、天界におわす神の使いなのだという。地上の人間に啓示を与え、神のために楽器を鳴らし、時に尖兵として敵対者を殲滅する。
破邪の力を持つと思しきあの武器、そして天使たちの耐久性と機動力。……状況はかなり良くない。ここは逃げる方法を考えるべきか。体のしびれも徐々に取れてきた。
「*******」
腰を抜かした木こりは、逃げるかわりに両手を頭の前で握り、ぶつぶつと祈りの言葉のようなものを唱えている。
その眼前に青い胴衣の子供が舞い降りた。
「******、*****」
木こりが驚きと喜びの入り混じった声を出した。亡霊を指して何やら言っている。どうやら彼にとって天使とは、自らを庇護するものであって恐れる対象ではないらしい。
子供は指で示された亡霊を見た後、背後の弓を持った金髪の手下に向かい、「ぎ~」と声を発した。金髪が矢をつがえ、放った。
「*、*……?」
胸に深く突き刺さった矢を、若い木こりは信じられないような目で見ている。
「ぎー、ぎー」
青い天使が満足げに手を叩いた。
他の子供達も空から降りてきて、うつ伏せに倒れた木こりを見て喜びの声を上げる。
なるほど。
亡霊は思った。
無邪気な児童そのものの連中だが、動作や意思決定に一定の指向性を感じる。おそらく、彼らは大きな機構の一部なのだ。天の定めた規律に反したものとその周辺を罰する、あるいは消し去るための尖兵。だから人の理に左右されない。
……ならばこそ、謀りようはある。
亡霊は人知れず
青い胴衣の子供がサーベルで亡霊を示した。
危機を覚えたように亡霊は浮かび上がり、猛スピードで逃げようとする。再度、矢がその背中に突き刺さり、空中で大きくバランスを崩した。他の天使達が一斉に襲いかかる。剣で、鉾で、棘の付いたメイスで、彼らは骸骨の体を何度も、何度も突き刺した。
彼らが体を離すと、ボロ雑巾のようになった亡霊はしばし宙を漂い、やがて服ごと塵になって消えていった。
翼の生えた子どもたちはギャアギャアと騒いでいたが、リーダーが声を出すとぴしりと黙った。青い胴衣の天使は雲の晴れた空を指し、いくつか話した後に空へ昇っていく。他の天使たちもそれに続いた。
森に霧と静寂が戻る。
目が三つあるカラスのような鳥が死肉をついばもうと、うつ伏せになった木こりの傍らに舞い降りた。カラスの鋭利なくちばしが耳をちぎり取ろうとする寸前、男はうめき声を上げた。開かれていた木こりの手が力強く握られる。カラスは慌てて飛び去っていった。
針葉樹の張り出した枝に遮られ日差しの届かない大地の上で、木こりはゆっくりと体を起こした。
ズルリ、とその胸から矢が抜け落ちる。
「あ、あぐ、んん、おごぉ」
木こりは血の塊を吐き出した。
「ん、んん……ふぅ。これが反魂の術か。……最悪の気分だな」
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