第3話 ミチザネ、採石場で戦う③
グリフォンは品定めするように人間たちを睥睨した。
ミチザネは切りつけられた右腕をさすりながらお頭の背中に言う。
「どうやら彼……彼女か? 見た所、大変空腹なようだな」
魔物は再度けたたましい鳴き声を上げると、馬をも持ち上げられる屈強な前足で山賊の一人を掴んだ。山賊が叫び声を上げる。
「くそ、貸せ!」
髭面の頭が部下のたいまつを奪うとグリフォンに投げつけた。魔物は嫌がって叫び声を上げると、山賊を投げ捨てた。
「お前ら、囲め。飛ばれるとやっかいだ、武器を持ってない奴はロープ持ってこい。輪を作って頭か足に向かって投げろ。それと、そこのクソ黒髪と赤髪も逃がすんじゃねえぞ」
命令を下された山賊たちがきびきびと動き始める。ミチザネが驚いた顔をした。
「見事な統率だ。それにグリフォンを見るのも初めてではないようだ。ひょっとして前職は騎士かなにかかね?」
「うるせえぞクソが、てめえは必ずぶっころ──」
「いいや、悪いが我々はここでおいとまさせてもらう」
魔術師は相手の言葉を遮ると、左手で握り拳を作り親指と人差指を口に当てた。
「ちょうど君たちは風下にいることだしな」
彼が息を吐くと、拳から大量の黒い煙が生み出され、周囲の視界を遮った。
山賊たちがせき込む。
「クソ、見えねえ。お前ら、黒いの吸い込むんじゃねえ。毒か何かだ」
「お頭ぁ!」
部下が情けない声を出す。グリフォンが後ろ足の強烈な一撃で近づこうとした部下を一人吹き飛ばした。
「畜生、畜生、クソッタレえええええ!!」
煙が晴れたとき、侵入者の二人の姿はどこにもなかった。
夜が白んできた頃、赤髪の少女と黒髪の魔術師は採石場から離れた荒野にいた。交易路から少し離れた巨大な岩陰に旅の荷物を隠していたのだ。
「さっそく試すの?」
負傷した男の腕に包帯を巻き終えたナイラは、石の上に腰を下ろして言った。
「ああ」
ミチザネが短く返す。
彼は紫の小袋から双子バラの銀色の指輪を取り出して眺めていた。
魔術師は慎重に左手の人差し指に指輪を通した。
しばらくは変化がなかった。何も起きないね、少女がそう言おうとした時、岩と荒れ地の現実を切り取るようにして、不意に空中にビジョンが現れた。
巨大な絵画、あるいは鮮明な影絵のようだ、ナイラは思った。
こちらの世界では見たことのない白や薄緑の礼服をまとい、烏帽子帽を被った男たちが人造であろう小さな池の周りに集まり座っていた。音は聞こえない。
彼らのうち幾人かは細長い紙を持っている。口を開いているところを見ると、詩を発表しているようだ。
他の男たちは薄い椀に入った酒を飲みながら、吟じられた詩にうなづいたり感想を述べたりしている。
男たちの後ろに巨大な建物の一部が見える。木造ですらりと美しく、掃除が隅々まで行き届いており、いかにも高級そうな造りだ。その意匠は、今まで彼女が見たことのないものだった。
「ここが、ミチザネのいた世界?」
その問いには返事がなかった。黒髪の男を振り返ったナイラはギョッとした。
ミチザネは、食い入るように見入っていた。口も小さく開かれており、いつもの油断のない張り詰めた男の雰囲気は微塵も感じられない。
ビジョンは誰かの視点のようだった。
視点の持ち主が体の向きを変えたのにあわせて、木造の屋敷の中が映る。細かな装飾が施された木と紙で作られた柵の横に、他の者より高価な身なりの神経質そうな中年の男が立っていた。男は柵の後ろに座っているらしい人物の意見に注意深くうなづくと、視点の人間に向き直った。視点が地面を見た。白いズボンの膝と細かな砂利がビジョンいっぱいに広がる。
察するに、柵の後ろにいる人が王様かな。ナイラは思った。そして宰相っぽい人間が王の言葉を代弁してる。雰囲気が柔らかいし、多分ほめているじゃないかな。
「
今まで聞いたことのない声でミチザネがぼそぼそとつぶやいた。
視点の主が再び池の方を向いたところでビジョンは不意にとぎれ、荒野と岩が戻った。
ナイラはキョロキョロと周囲を見渡す。
「え……、終わり? 向こうの世界への門が開くんじゃないの?」
「……どうやら、情報が違っていたらしいな」
ミチザネが憔悴した声で言った。
「ゲートの魔法と聞いていたが、今のは、記憶を映す魔法だった」
「じゃあ、あれはミチザネの……」
「ああ、昔の記憶だ。ずいぶんと、昔の……」
「ねえ、指輪が」
ナイラの指摘で魔術師は指輪を見た。銀色だった指輪は褪せた銅色になり、双子バラの意匠も細かい部分がつぶれてしまっている。
「ミチザネ、その指輪。マナが抜けちゃってる」
「どうやら、壊れてしまったようだ。そしておそらくは、もう二度と直るまい。……とんだ無駄足だったな」
強い疲労を感じたのか、ミチザネも石に座った。
文献を紐解き、近隣の村に強力な魔法が込められた
いや、それだけじゃない。赤髪の少女は思った。
あのビジョンが、ミチザネに昔を思い出させたんだ。今みたいになってしまう前の、優しく、その知識や才能を人のために使っていた頃の記憶を。
……だが、その記憶と地続きになっている先には、きっと。
「どうするの? もう魔法探すの、やめる?」
少しの間をおいて発せられたナイラの問いに、ミチザネは伏せていた目を開いた。その目には再び暗い火が宿っていた。
「いいや。それは、ない。時を渡る魔法は必ず見つけだす。そして藤原の一族を、皆殺しにする。何度空振ろうと、それだけは決して変わらん」
男の口調にいつもの力強さを感じた少女は微笑んだ。
「そう来なくっちゃ。ほら、これ」
彼女は衣服の隠しポケットからいくつも物品を取り出した。金貨の入った小袋、銀食器、それに大振りな霊石。
「
「なんと。……上出来だ。私はいい召使いをもったな」
「ちょっと、あたしは召使いなんかじゃないっていつも言ってるでしょ」
「ふっ……。荷物をまとめて出発しよう。街で私の宝石もいくつか換金すればまとまった金になる。徹夜続きだったしな、少し良い宿に泊まって休んだら、また情報を集めるとしよう」
「やった」
男と少女は手早く荷を整えると、荒野を歩き出した。朝日に照らされて二人の影が伸びる。
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