「俺は嘘にしない」
とりあえず、と。窓から室内を覗いてみてマリは絶句した。
ダンスホールの床には工具類がまるで生贄に捧げる献上品のように乱立し、その中央で蒼ざめた顔をした夏目が横倒しになっていた。
腕にはごつごつとした見た目の足を――義足を抱きかかえている。
金属の表皮が夏のまばゆい陽光を照り返して灰色の室内でぼんやりと光る。
猟奇的なその空間で、もしかしたら夏目はすでに死んでいるのではと思った。
黒魔術で機械仕掛けの足に魂を吹き込んで、かわりに力尽きたような。
狂った人形技師が頭に浮かぶ。
「夏目、さんっ」
思わず声をあげながら玄関を押し開け、小あがりに車椅子の前輪をぶつけるとその勢いのままフロアに身を投げだした。
足があれば一瞬で届く距離を車椅子に阻まれいらいらする。
締め切ったスタジオは熱気と湿度が殺人的な不快感を生んでいて、これでは夏目が死んでいても仕方がないなと納得しながら這いよってみる。
「夏目さん、死んじゃった?」
我ながら滑稽な質問だと思う。
友達がいないので言葉選びのセンスは壊滅的だった。
しかし目下で気怠そうに瞼をあげた夏目は、
「生きてる」
と、どんぐりの背比べみたいな返答をして上体をもたげた。
二度、三度と脳を起動するかのように瞬きをして外界の光に適応していく。
眩しさのせいでしかめっ面だった顔が今度はマリの存在を認識してしかめっ面に変わったので、慌ててビニール袋を掲げて見せた。
「これ、お詫びに渡そうと思って!」
用意しておいた言い訳を早口にまくしたてる。
万が一予想外の質問をされてしまったら言い訳のストックがすぐに尽きてしまうから。
質問の余地を生まないように言葉を急ぐ。
「これがチョココロネ、こっちがデニッシュ。この前食べておいしかったやつ。黒糖パンは中にマーガリンが入ってるからちょっとは栄養になると思う」
「甘いものばっか」
「さ、サプリよりはましだから! そう言うと思って、飲み物はラムネにしたの。さっぱりとして夏らしい」
「ラムネの主成分って知ってる? 砂糖とクエン酸。結局糖分なんだけど」
普通、成分とか言う!?
マリがよく知っているところの人間という生き物はもう少し感情みに溢れていて、真っ先にお礼やら労いの言葉を述べるものだが、今現在目の前にいる生き物は会釈一つしやしない。
「まあいいや」
ぬっと手が伸びてきて、マリからビニール袋をかっさらう。
急に迫ってきたのでびっくりして身を引いたが、夏目の長い腕は問題なくマリから食料を強奪した(結局お礼はなかった)。
自分で買っておいてなんなのだが、夏目がパンのように健全な炭水化物を食べている姿が一ミクロンも想像できない。
受け取ったからには食べる意思はあるのだろうけれど。
「そんなことより」
なんの用? と訊かれなかったことにほっとしていたのもつかの間。
言われたくなかった言葉ナンバー2が夏目の口から飛びだした。
「義足、つけてみてよ」
ビニール袋と入れ替わるようにして差しだされたのは、先ほどまで抱きかかえていた義足だ。
当然だけれども、そのフォルムはかの有名な義足の海賊を思わせる木の棒ではなくて、どちらかというとSF映画のロボットのようだった。
テレビで見たスポーツ用義足はS字を描くバネがついていたが、渡された義足は一応人間の足と同じ形をしていた。
短くなった太股の残りの部分と、それをつなぐ金属の膝、そしてメタリックに光るふくらはぎとつま先。
無造作に掲げられた偽物の足は、やはり猟奇的だと思った。
まだやるなんて言ってないのに。
さすがは海の債権者。
横暴で強引で自己中だ。
「えっと、実は、被験者になるのを断ろうと思って」
夏目の目が『ならなんで来たんだ』とでも言いたげに細められた。
なんでって……断る、ため、で。
くすんだ灰色の瞳が見られなくて、俯いて自分の膝を眺めやる。
「あんた用に調整したんだけど」
「嘘、だって一目見ただけじゃ……」
普通義足を作るとなると、切断した部分を石膏で型取りしてから制作を行う。
それを目視だけで作れるわけがなかった。
「俺ならできる」
何その自信。
みしっというきしむ音がして膝に影が落ちる。
顔をあげると夏目が覆いかぶさるようにしてこちらを見おろしていた。
まず至近距離に泡を食って口が半開きになり、続いて向けられている夏目の視線に言葉がでなくなる。
真剣な顔をしていた。
不遜な態度は変わらないがそこに茶化す色はなく、ほろ苦い視線がマリをじっと見つめている。
しかし急かすような雰囲気ではなく、いつまでも反応を待つとでも言うような、少しだけ甘いラムネみたいな視線。
その目は、卑怯だ。
「……嘘の足を手に入れてしまったら、」
夏目の視線にあてられたらしい口先が、マリの意志とは裏腹に、宗一郎にさえ言ったことのない本音をぺらぺらと喋りだしている。
視線から逃げるように俯いて、自分の短い膝を見た。
「我が儘の際限がなくなって、望みすぎてしまいそうで怖い。どんなことがあろうとも、もう二度と昔みたいに自由にはなれないのに、期待してしまう」
「俺は嘘にしない」
即答。
はっとして顔をあげれば、その目はやはり強気に光っている。
遠くに蝉のむさ苦しい鳴き声が響く中、ゆっくりと、それでも確実に、シャル・ウィ・ダンスのリズムが脳裏で爆ぜていく。
ラムネ瓶を透過した太陽光が青いプリズムとなって夏目とマリの間で揺れていた。
水中から見た太陽はきっとこんな色をしている。
「……やってみなさいよ」
膝にできた海面に視線を落としたまま、マリはスカートをめくりあげた。
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