1-2 害蟲

 一通りの業務を終え、見知った組員が運んできた食事を平らげる。


 壁にかかったアナログ時計をみやると、午前四時に差し掛かっていた。


 舌を嚙みちぎられた患者は、比較的軽傷だった。


 舌尖の約一センチが、皮一枚でぶらんぶらんに垂れ下がっている状態ではあったが、あれなら予後はそう悪くないだろう。


 抗生物質を二日分と鎮痛薬を幾分かを手渡した。翌日念のために消毒に来てもらって、問題が無いようであれば、一週間後以降に抜糸を行う予定である。


 その後に立て続けで、喧嘩で腕を脱臼した組員や、ダイエットに効く薬を求めたキャバクラ嬢が来院した。


 こういった手合いの患者は、決して少なくない。


 むしろこの程度の症例や相談が続くのであれば、気が楽なほどだ。


 厄介なのは、死体処理を任されたときである。


 ひと昔前はコンクリートで固めて海に沈めていた時代もあったらしいが、素人目に考えても、そんな方法ではすぐに足が付いてしまう。


 海に沈んでいるのなら、海を探せば遺体が揚がってしまうからだ。


 遠洋に捨てたとしても、怪しげな船がうろついていれば人目に付くうえ、今は各船舶に自動船舶識別装置AISなる発信機が付いているから、ネット経由で居場所が探知されてしまう。


 遺体は手早く細切れにしてしまった方が、第三者に発見されるリスクも減らせる。


 ミキサーに突っ込んでミンチにした遺体を、高温のアスファルトに混ぜるのが、一番手っ取り早くて、効率的にも優れている。


 今は亡き僕のお師匠様ことシラガ先生が、老衰で他界する前にそう教えてくれた。


 その前処理として身体の節々を切断したり、ジャグジーと呼ばれる溶解液の浴槽に遺体を漬けたりするのが、僕に与えられた業務の一つである。


 患者の治療も大事な使命だが、こういった人目を憚る仕事を行うのも、闇医者ならではであった。


 仕事に貴賤はない。


 たとえ処理中の遺体から、激しい異臭があったとしても、黙々と業務を遂行する。


 建前としてはそういう言い分にはあるのだが、遺体の扱いは苦手だった。


 内臓と血液をむさぼって繁殖した細菌が、嫌な死臭をかもすせいで、処理のたびにえずきそうになる。


 目の前にした遺体が、生前にどんな過程で死に至ったのかを想像し始めると、居た堪れない気持ちにもなったりするものだ。


 裕也さんには考え過ぎだとたしなめられたが、患者や遺体と対峙していると、どうしても精神的に入り込んでしまう。


 だからこそ、翌日の夜に裕也さんから死体処理の新しい仕事が入ったと伝えられたときには、げんなりしてしまった。


 ソファに横になった裕也さんが、フローリング床の上に積まれた漫画の一冊を手に取りながら、デスクの前に座った白衣の僕へ話しかける。


「すさまじく急な依頼ではあるんだが、零時くらいには遺体が届く手はずになっている」

「零時って、あと六時間後じゃないですか!」


 思わず唾液を散らしながら、大声を出していた。


 いくらなんでも、突然すぎる。


 心の準備だってしておきたいのに。


「性急すぎますよ。訳ありなんでしょうけれども、それにしたって普通じゃないですって」

「死体がらみなのに性急かつ普通じゃないことなんて、逆にレアだろ。誰だって面倒ごとはとっとと処理したいに決まっている」

「それはそうでしょうけど、こんなに急かされる依頼なんて、僕は初めての経験ですよ。シラガ先生がまだご存命だった頃にだって、一件あったかどうか」

「今回は依頼された内容が特殊なんだよ。お前、エンバーミングって知ってるか?」

知っている。


 遺体衛生保全エンバーミングとは、遺体の腐敗を防止する施術のことだ。


 悪臭や腐食といった衛生問題を解決するだけでなく、長期に渡って遺体の保存を可能にする処置でもあり、心ゆくまで遺族がお別れの時間を設けられるというものである。


「ご遺体に防腐処理をするやつですよね」

「経験は」

「知識はともかく、やったことはないです。まさか、その依頼を受けたんですか?」

「上から降ってきた仕事だ。俺じゃあどうにもならなかった、すまんなあ」


 悪びれている様子もない間延びした謝罪に、頭がくらりとした。


「いやいや不味いですって。あれって専用の機械が必要なんですよ。エンバーミングマシンとかいう奴なんですけど、その血管に薬を流し込むポンプがないと厳しいですよ」

「なんでも、依頼主が器材の諸々を持ち込んでくれるんだそうだ」


 聞けば聞くほど、妙な依頼である。


 専用の機械まで用意できるなら、自分でやればいいのに。


「依頼主は、やる気まんまんなんですね」

「お前は段々と顔色が悪くなっているな」

「そりゃあそうですよ。ご遺体が相手っていうだけで気が滅入るのに、まったく経験のない処置を前準備なしでやるってのは、恐怖以外の何物でもないですってば。経験のない現場に、裸一貫で放り出されるようなもんでしょう」


 しかも僕が持っているエンバーミングの知識は、教科書からではなく娯楽小説から得たものだ。見学をした経験すらない。今まで目を通してきた教科書に、エンバーミングの方法が記載されている書籍は一冊もなかった。そのくらい医術とは、かけ離れた処置だとも言える。


「そこも安心してくれていいぞ。依頼主も手伝ってくれるそうだ」

「なんですかその変な依頼。だったら全部、依頼主がやって下さいよ」

「ごもっともなんだが、そのエンバーミングとやらを行う場所を探しているらしくて、大事な死体が腐り始める前に処理をしたいそうなんだ。頼みさえすれば、やり方も全部教えてくれるかもしれないぞ。勉強にもなって何よりじゃねえか」


 裕也さんが、ムフフと緊張感のない笑みを漏らす。漫画がツボに入りかけたらしい。


「勉強させてもらえるのは有難いですけど」

「苦労は買ってでもしとけって。シラガ先生なら断らなかっただろうな」

「その台詞はずるいなあ。絶対に断れないじゃないですか」


 シラガ先生は僕にとって、医者としての目標そのものである。


 若輩の僕ごときが、仕事を断るわけにはいかなかった。


「それにな理人。今回の仕事は、近藤組に大きな金が入るんだ。エンバーミングとやらの相場が二十万くらいらしいんだが、今回はその十倍だ。数時間だけ部屋を貸してやって二百万だぞ。組長を含めたお歴々が受けた仕事だから、相当に訳ありの依頼なんだろうよ」

「貸すのは部屋だけじゃなくて、僕の身体もですけれどね」

「そう腐るなって」


 オフィスチェアから立った僕は、ソファで寝転がっている裕也さんの所まで歩み寄る。


 背もたれの部分に両手をついて下を覗きこむと、裕也さんは漫画本で顔を覆っていた。


「今度、美味しいもの食べさせて下さい」

「美味しいものって、お前は味音痴じゃねえか。オヤジが行きつけにしている料亭で作った食事を毎日運んできてもらって、『僕は味音痴だから味は分からないけれど、香りと見た目は美味しいです』なんて感想は、普通は出て来ねえんだよ。超高級料理なんだぜアレ。それでも飽きたってんなら、オヤジにそう直訴しやがれ」

「そりゃあ、料亭の料理がいつも食べられるのは有難いですけれど、それはそれです。誠意を見せて下さいよ誠意を。謝るだけなら、子供にだって出来ますからね」


 漫画本の上端から顔半分を出した裕也さんが、目を細める。


「いつの間に、そんな怖い言葉を覚えたんだ。お前をそんな子に育てた覚えはない」

「近藤組のお世話になってから、もう随分経つので」

「時が流れるのは早いねえ」

「物心つかない頃に僕を拾っていただいて、来年でたぶん、二十五歳くらいですかね」


 近藤組がケツ持ちをしていた風俗店のスタッフが、僕を産み落とし、店内に置き去りした所を拾ったのが、シラガ先生だったらしい。


 両親の顔は知らない。


 ずっと昔からシラガ先生が親代わりで、医術を一から教えてくれた恩師でもあって、近藤組の構成員が家族のようなものだった。


 近藤組のみんなが、僕が闇医者稼業で食っていけるよう、赤子から育ててくれたのだ。


「こんな急な仕事は金輪際ですからね。って怒りたいんですけど、無理なんでしょうね」

「俺もお前も近藤組に養われている身分だからなあ。お前はオヤジに好かれているから、多少の融通は利かせてもらえるんだろうが、それでも立場は弁えておいた方がいいぜ」

「活躍の場を与えてもらえるだけで、僕は幸せです」

「今のは皮肉っぽいな」

「本心ですって」


 袖を通していた白衣を脱いで、ソファの背もたれに垂らす。


 裕也さんの顔の上に白衣の裾が被ったらしい。布越しに抗議らしき唸り声があった。すぐに読書に戻った裕也さんをよそに、僕は処置室へと向かう。


 機材を借りるとはいえ、メスや縫合糸などは用意しておくべきだ。


 紙袋で包装されたそれらを片っ端から腕の中に積んでいく。


「裕也さん、モルグ行きますよ」

「あいよ」


 死体を扱う際は、別の部屋で処理を行うルールになっている。


 通称モルグ、マンション地下一階のフリースペースである。


 建物全体が近藤組の持ち物であるからこそ、一室を死体処理用に魔改造出来たのだろう。


 僕らはその地下一階のフリースペースを死体置き場モルグなどと呼んでいるが、ようは、バラバラ死体を作っている場所だ。


 裕也さんを連れて玄関を開けると、部屋番号だけが刻まれた表札の前に、黒い前髪をオールバックにしたスーツ姿の青年が立っていた。


 小平さんである。


 僕の方に身体を向けると、頭を一段低く下げてきた。


「先生、お出かけですか?」

「モルグに行ってきます。急な仕事が入ったみたいで」

「お勤めご苦労様です!」


 低身長の小平さんが背中を丸めて、もっと頭を低くする。


 シラガ先生が亡くなってからは、色んな組員に頭を下げられるようになった。


 誰かに頭を下げられるほど、僕は偉い人間ではない。


 組員の誰かに頭を下げられるたびに、未だに違和感を覚えてしまう。


 裕也さんを連れて地下へと向かう。




 日が暮れ始めていた。




 真夏の夜は蒸し暑いものだ。羽虫も非常に多くたかってくる。


 腕に張り付いた黒い羽虫を手で払い落す。これがあるから外出には抵抗があるのだ。蟲が一匹も湧かない診療室が逆に快適すぎる。文句を垂れていても仕方がないけれど。


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