コップに水を注ぎましょう

私は父のことがとても苦手です。



それは、幼少期を中心に、人格否定の言葉をよく投げつけられていたからです。(ここでは具体的なワードは書きませんから、安心してくださいね)



今思えば、それはそれは立派な虐待だったんですけど、幼少期は、これが虐待だとは思ってませんでした。だから普通に、物心ついた時から、とにかく父の機嫌を伺って、とにかくミスが無いように生きてました。あ、この"ミス"っていうのは、ミスコンのミスじゃなくてミステイクの方です、失敗の方。


例えば。父からの「ご飯できたよ」の一言を聞いたのに、すぐ食卓に向かわなかった時とか、テストの点数が平均より低かった時とか、私の不注意でコップを倒して水をこぼしちゃった時とか。

当たり前に人格否定されます。し、父がしたミス、、、例えば父が指を家具にぶつけた時とか、父が物を倒した時とか、父の予定通り物事が進まなかった時とか、そういう時も最終的には私の人格否定に繋がります。機嫌が悪くなるのでね。

それで私が泣いてしまうと、追加で否定されるのです。何時間も、しつこいくらい。

何か書いててムカついてきたな。



でも、私はそれに反抗することなく、黙って全ての言葉をまっすぐに受け取ってたんですね。多分良い子だからなんですけど。どんなに理不尽なルートで人格否定されても、本当に小さい時からそうだったので、「そうよな…私いいらない存在だしな…」ってとこに落ち着いて、どんなルートで来たかなんてどうでもよくなっちゃうんですよね。



でも私もそんな馬鹿じゃないですよ、さすがに。成長するにつれて、「そんな言葉、子供にかけて良い訳ないだろ~!」って思えるようになりました。あと、数回軽~く首を絞められた事がありまして。その際も、「こいつ、手出すタイプだったん」って思うと同時に「暴力は跡になってバレるから、基本は言葉でいじめてるのでは」って冷静な推理も出来るようになりました。(これはあくまで私の予想ですが)



ただ。それくらい思考力が成長したということは、当然あの事にも気がつくのです。



そう。「私が今生きられているのは、父が働き、お金を稼いでくれているからだ」という事です。しかも事実なんですよね、これが。そうなると結局、どんなに人格を否定されても、「私にかかる諸々のお金を払ってくれてるのは父だし、私は父に感謝しないとダメなのに!」ってなっちゃう訳です。


言い忘れてましたが、人格否定する時以外はめっちゃ優しいんです。なんか、そこはベースも最低人間であれよ、って思うくらい優しいんです。父から出てる、見えないレーザートラップに引っ掛からなければ平和なんですよね。それがまたムカつくんですよ。芯から嫌えないというか。まあ、トラップに引っ掛かったら人格否定されますけど。



で、もっと大きくなってから気づく訳です。え、これって虐待じゃねって。親から死ねって言われるのって、普通ではなかったって。父親って怒ったら死ねって言ってくる生き物じゃないんだってなるんです。



でまあ、そんなこんなで私は22歳になれたんですね~。

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