彼らのご飯事情

かんたけ

彼らのご飯事情

 

 目を覚ましカーテンを開けると、窓を挟んだ向こうの生垣の奥にコンビニが見えて、誠は思わず呟いた。


「…コンビニ飯食いてえ」


 朝、コンビニで適当な飯を買い、仕事へ行って、帰ったら夕食のジャンクフードを食べつつ読書をして、決まった時間に寝る。

 十八歳の頃、母親の反対を振り切って東京へ上京して以来続けてきた生活は、愛川詩織の登場によってあっけなく終わった。


 学生時代に後輩だった彼女とは、いくらか交際を重ね、同棲にまで至る。社会人になった誠を支えたいと、詩織が言い出したのがきっかけだった。

 

 早朝五時。スーツを着こなし、髪を整えダイニングへ行くと、味噌汁の匂いが鼻を突く。


 台所を覗けば、狭いキッチンスペースで彼女の詩織がお玉を振っていた。


「まーくん、おはよ」

「おはよう、シオリちゃん」


 テーブルには、湯気の立つご飯と焼き鮭、綺麗に盛り付けられたほうれん草のおひたし、きのこの炒め物があった。


 食事の基本は一汁三菜で、味噌汁は共通だが他の三菜は毎食違う。


「料理するの大変じゃないかな? 偶にはデリバリーとか」

「あーうん、そうだね…。うん、いいかもしれないけど…」


 歯切れが悪いが、気にせずに話を続ける。


「明日にでもどう?」

「1ヶ月くらい先まで、献立決まってるから…」

「……そうか」


 1ヶ月先までなんて、いくらなんでも細か過ぎやしないか。誠は顔を顰めたが、あくまで平静を装った。


 コトリと、味噌汁の入ったお椀が置かれ、詩織が向かいの席に腰掛ける。


 二人で手を合わせて、箸を取った。


「美味しー?」


 味噌汁を口に含んだ誠に、詩織が尋ねる。


「とても。お味噌汁に何か隠し味でも入れた?」

「当たり! 鶏出汁入れたんだ」

「いいね」


 常套句を述べて微笑むと、詩織は嬉しそうにした。


 彼女が毎日味噌汁の隠し味を変えていることは知っている。


 どうして毎回変えるのか理解できないが、聞かなければ拗ねられるので、毎日の恒例行事と化した。


 大学四年生は暇なのだろうか。こんな事をするくらいなら、大学の友人とメールのやり取りをしたり、バイトや勉強、遊びなんかの、学生らしいことをすればいいのに。


「卒論は順調? 山田教授、結構な堅物だけど、大丈夫?」

「うーん…。…まあ、でも、大体はへーき」

「卒論なんて適当でいい。体壊すくらいならね」

「えー、そうかな…」

「シオリちゃんは頑張りすぎてるんだ」


 彼の気遣いを分かっているのかいないのか、詩織は曖昧に笑って、「今日のお昼は三色弁当にしたの」と話題を誤魔化した。







 昼休憩中、会社の食堂で弁当箱を開けると、同僚の田村と近藤が覗き込んできた。


 二人は二十代後半で、近藤は新婚、田村は最近他部署の女子と破局したらしい。


「いつ見ても凝ってますねえ、久保さんの愛妻弁当」

「まだ結婚はしてませんがね。彼女が大学を卒業したらやりますよ」


 会社では「敬語運動」が行われており、社内では基本敬語で話さなければならない。


 誠は苦笑しながら、紙ナプキンに包まれていた蓮華を取った。


 弁当には、山椒の効いたそぼろと、ふわふわの炒り卵、形の良いサヤインゲンが盛り付けられ、隅には箸休めの株の紫蘇付けが添えてある。


 庶民的なのに高級感のある弁当に合わせてか、背筋が伸びた。


「いいなあ。俺の方なんて、自分で用意してるんですよ?」

「いつもカップ麺なのはそういうことだったんですか」


 彼の悩みを、羨ましいとは言いづらい。


 誠の横で、カツ定食を突いていた田村が呟いた。


「新婚とか、同棲とかって、食事問題結構あるっすよね。食の好みが合わなくて別れる、なんて、俺しょっちゅうでしたし」

「何で別れたんです? もしかしてその人もズボラだったんじゃ…」


 カップ麺を啜る合間に、近藤が投げかける。田村は面倒そうに手を揺らした。


「彼女がヴィーガンで、肉禁止されたんすよ。それで破局しました。久保さんはどうすか?」

「私ですか?」

「毎日、健康食ばかりで飽きません?」

「まあ、たまにはコンビニ飯を食いたいですね。大抵、食えませんけど」

「どういうことです?」


 近藤が面食らった様子で聞いた。


「言葉の通りですよ。『食べたいものがあれば作るから』って、うどんから何まで全部手作りなんです。この前は、ポテチを作っていました」

「何でそこまでするんすか?」

「さあ? 彼女が言うには、俺の健康を心配しているみたいです」

「愛されてますねえ。こっちは作ってみてくれないかーと言っても、『NO』の一点張り。何のために専業主婦やってもらっているのか…」


 項垂れる近藤に、「良いじゃないすか、レトルト食品。俺なら大歓迎です」と田村が言い切った。


「彼女が来てから、健康にはなったんですけどねえ…」


 言いながら、そぼろ丼を頬張る。誠好の味付けに、罪悪感が湧いた。






 田村の言葉に賛同する気持ちがあったからだろうか。会社からの帰り道、コンビニの前でふと足を止めた。周囲の暗がりに反比例して、白く光っている。


 それと同時に、詩織からメールが来た。


〈今日はあっさりめで、水晶鳥とお吸い物、冷奴、ナスの煮浸しだよ。お仕事頑張ってー♡〉


 今は夏で、蒸し暑い。詩織のチョイスは正しいとは思う。


 が、誠は無性にコンビニのホットスナックが食べたくなった。暑い日こそ、熱い揚げ物を頬張る。夕飯前の買い食いは、罪悪感がアクセントとなってより美味しくなる。


 同棲を始める前までは、コンビニ飯が当たり前だった。それが、詩織が来てからは健康的な食事に変わった。良いとは思う。良いとは思うけれど、たまにはジャンクフードが食べたい。


 誠は無心でメールを打った。


〈帰りが少し遅くなるから、夕飯は先に食べてて。無理して起きなくて良いから〉


 すぐに返信が来る。


〈分かったー♡〉


 これで、暫くは連絡は来ない。誠は小さく息を吐いて、なんで彼女にこんなに気遣わなければいけないのかと虚しくなった。


 そのまま、流れるようにコンビニへ行って、フライドチキンを一つ購入する。一番小さいサイズにしたのは、詩織の晩御飯を完食できるようにするためだ。


 半年ぶりのフライドチキンは、輝いていた。ベンチに座ってかぶりつけば、不健康な油が滴り、利きすぎの塩胡椒がガツンと腹に落ちる。


「これだよ、これ」


 誠は舌鼓を打った。詩織の手料理とは違った旨さだ。


「シオリちゃんも、食えばいいのに」


 手料理愛好家の彼女の口には、合わないだろう。


 フライドチキンは、あっという間に食べ終わってしまった。もっと食べたいが、これ以上食べると詩織に気づかれてしまうかもしれない。誠は物足りなさを我慢して、喉を鳴らした。







 家に帰ると、エプロン姿の詩織が、テーブルに資料を広げて眠っていた。大方、昼寝をし忘れたのだろう。彼女はロングスリーパーで、1日に10時間以上の睡眠が必要だ。


 台所にはお吸い物の入った手鍋と、ナスの煮浸し、保温状態の炊飯器があり、冷蔵庫には冷奴とほうれん草のの胡麻和え、水晶鳥があった。


「……あ、まーくん」


 誠の肩が跳ねる。冷蔵庫を開ける音で気づかれたようだ。詩織は彼を見るなり、控えめに笑った。


「今、ご飯用意するから」

「シオリちゃんは無理せずに寝なさい。バイト大変だったんでしょ?」

「大丈夫ー。私がやるから、まーくんは着替えてー」


 そう言って、彼女はパタパタと台所へ移動した。鍋を温め直す姿は、朝よりも元気がない。


 まさか、買い食いを勘付かれたのだろうか。誠は平然を装って、内心恐々と問いかけた。

 

「…今日、何かあった?」

「え、あーうん。ちょっと、バイトでお客さんに怒鳴られちゃってーさ」

「あの駅前のカフェの?」

「うん。最近迷惑客が多くて…」

「確かに接客大変そうだったな。シオリちゃんには尚更。…バイト辞めれば?」

「けど、一年以上いるし、そのお客さんさえいなければ良い所だよ?」

「結婚したら専業主婦やって貰いたいし、そんな面倒な事する必要ないよ」

「そうかなあ」

「絶対そう」


 全力で肯定する。詩織は微妙そうな顔で頷いて、お吸い物を掻き回した。


「まーくんも、何かあった?」

「え?」

「なんか今日、変な気がする…」


 驚いた。腹に溜まったフライドチキンが膨張した気がする。詩織は、こちらの様子を伺っている。


 誠は、慌てて上司のせいにした。


「最近上司からの無茶振りが増えて、忙しかったからかな? 別に何ともないよ」

「そう?」


 心配そうにする彼女を抱きしめる。自分よりも頭ひとつ分低い彼女の頭を撫でながら、また取り繕った自分に嫌気がさした。







 休日、久しぶりに常川の家で飲むことになった。彼は誠の高校以来の親友だ。詩織とも幾分か面識があり、彼女からは、「楽しんできなよ」と酒のつまみを持たされた。


 常川の住まいは2LDKのマンションだ。以前来た時よりも部屋は汚くなっており、ゲーム部屋となったリビングだけが清潔だった。


「相変わらず、シューティングゲームにお熱か?」

「まあな。あとちょーっとで世界一位」


 無造作に伸びた金髪が、不健康な猫背の上で揺れた。こうしてみると幽霊みたいだ。


 早速つまみを出すと、常川は目を輝かせた。


「彼女さんのやつ? ヤバイなこれ。何種類あるんだよ」

「イカの塩辛、胡瓜のピリ辛漬け、白菜の紫蘇和えと、手羽唐揚げ、あと焼き鳥」

「ありがてえ…。早く飲もうぜ」

「ああ」


 缶ビールがクシュリと音を立てた。


 カーレースゲームをやりながら、適当に飲む。暫くは黙々とゲームをしていたが、酔いが回るに連れて口が緩くなった。彼女の愚痴を零せば、常川は缶ビール片手にヘラヘラと笑った。


「それはお前の方が変わってるな。普通、彼女に愛妻弁当作って貰えば嬉しいだろ」

「無理してやってほしくないんだよ。シオリちゃんは女なんだから」

「ふうん? じゃ、お前は彼女さんに『女らしくいてほしい』のか?」

「そうだな。幸せになってもらいたいんだ」


 レースゲームは四位。オンラインの相手に負けた。胡瓜に手を伸ばそうとした誠を、常川が指差す。


「はい、アウト」

「…は?」

「お前、それはモラハラだ」

「モラハラ…?」

「ざっくり言えば、精神的虐待」


 吐き捨てられた言葉に背筋が凍った。虐待なんて、そんな事をした覚えはない。自分は詩織が好きで、大切にしている。


 いや、精神的虐待は言葉や態度によって相手を傷つけるものだ。もし、気づかないうちに詩織を傷つけていたのだとしたら。


 酔いが急激に冷め、冷や汗が流れた。


「…俺の何が、シオリちゃんを傷つけたんだ?」

「彼女さんとの将来設計は?」

「シオリちゃんが卒業して式を上げたら、専業主婦になってもらって、俺が家計を支える」

「それ、彼女さんはOKしたのか?」

「勿論…」


 ハッとする。「主婦になってほしいからバイトはしなくても」と言ったあの時、詩織にははぐらかされた。てっきり了承されたのかと思っていたが、本当は違うのかもしれない。


 思ったことをそのまま言うと、常川は呆れ顔をした。


「そこからか。じゃ、料理に関して何か思うところはあるか?」

「毎日作らなくてもいいと思う。たまにはレトルトで手を抜いた方がいい」

「理由は?」

「他の家庭だと、そうだから。……後、無理してほしくない」

「セーフ寄りのアウト。『無理してほしくない』よりも『他の家庭と同じ』ことを重要視してるんじゃね?」

「それは…」


 自分の裏側が浮き彫りなった気がして口籠る。常川の言うことは、図星だった。


「心配だって言いながら、お前は彼女さんをコントロールしたいように聞こえる。それじゃダメだろ。お前、母親みたくなりたくねえんだろ」

「あの女の話はするな!!」


 缶をテーブルに叩きつけた。中のビールが溢れ、周囲にあるつまみの皿を侵蝕する。包帯の上から腕を掻きむしる誠の手を、常川が抑える。


「彼女さんと話せって言ってんだ! あっちには俺の姉貴が相談乗ってるから」

「いつ?」

「今日だよ」


 だから、詩織は快く送り出したのか。普段から誠のする事に不満を言わないが、今日は心なしか楽しそうだった。


 常川の姉は心理カウンセラーの資格を持っている。詩織の良い相談相手になってくれそうだとは思っていたが、既に繋がりがあったとは。


 この考えも、やめた方が良いのかもしれない。何が詩織のためかそうでないか、分からない。


「…すまん。冷静じゃなかった」


 腕の炎症がじわじわと止んでいく。常川に肩を叩かれた。


「別に。お前の事情は知ってっから」

「ありがとう」

「それ、彼女さんにも言ってやれよ。飯上手いし、お前の事情知ってちゃんと怒ってくれる。あんな良い女、中々いないぜ?」

「やらないぞ」

「いらねえよ」


 今日は早く帰れと半ば追い出される形で親友の家を後にする。


 誠は詩織と話がしたくて堪らなかったが、家に近づく毎に、その気持ちは萎んでいった。


 そもそも、何に謝れば良いのか分からない。ずっと良かれと思ってやってきたことで、今更全部ダメだったと言われても、何に対して謝罪すれば良いのか。お詫びの花束は買った。


 案外、あっさりと許してくれはしないだろうか。


 悶々と考えている間に、家に着いてしまった。蛍光灯が、玄関前を照らしている。


 意を決して、家に上がる。「ただいま」と靴を脱いでも、詩織の声は聞こえない。嗅ぎ慣れた味噌汁の匂いもしない。


 誠は少し苛立ったものの、頭に血が昇る前に青ざめた。


 ーー愛想を尽かされてしまった?


 恐ろしい考えが脳裏をよぎり、慌てて家の中に上がりこんだ。


「シオリちゃん!」


 台所を覗くが、いない。寝室にもいない。互いの部屋にもいない。風呂場にも、ベランダにも、何処にも。詩織の居た痕跡はあれど、肝心の彼女の姿がない。


 体が鉛のように重くなった。思考が上手く働かず、ダイニングテーブルの前で額を押さえてしゃがみ込む。


「俺のせいだ…俺が、もっと、普通だったら」


 呼吸が苦しくなる。こういう時、詩織は何時も側にいて、暖かいホットミルクを入れてくれた。子供らしいと嘲笑する誠を、「大丈夫だよ」と抱きしめてくれた。


 「無理しないでくれ」と、彼女を自分に頼らせた気でいた。


 彼女に頼っていたのは、自分じゃないか。



 ーーその時、電子音と共にスマホが震えた。詩織からだ。


〈実里さんのお家に一泊します。冷蔵庫の晩御飯、レンジでチンして食べてください。明日の10時ごろに帰ります〉


 実里さんとは、常川の姉の事だ。新宿あたりに住んでいて、パソコンの不調を見るために、常川に言われて一度お邪魔したことがある。


 見捨てられたわけではないのかもしれない。誠は、ほっと胸を撫で下ろした。先ほどとは違う意味で脱力する。


〈分かった〉


 何か付け足したいと思ったが、余計なことを言いたくなかったため、簡素な返事になった。


 気持ちが幾分か軽くなると、急に腹が減った。誠は冷蔵庫を開けて、深皿に入ったサンドウィッチを見つける。カツサンド。前日の余分な鶏カツは、これを作るためにあったのか。


「油っぽいものは苦手なはずなのに、珍しい」


 レンジで温めて、齧り付く。手作りの玉ねぎソースとたっぷりの野菜が、カツに絶妙に合っていた。


 市販のソースを使えば良いのに、わざわざ作っているのは、やはり詩織が料理好きだからだろう。


 デート中の食事は、大抵詩織のお弁当だった。お互い、あまり遊びをしない質で、デートといっても、散歩や図書館巡りだが、熟年夫婦みたいだねと、詩織は楽しそうにしていた。


 最近、詩織は曖昧に笑うことが増えた。あれは、卒論ではなく、自分のせいなのかもしれない。


 カツサンドはあっという間に食べ終わる。フライドチキンよりも美味しかった。






 その夜、嫌な夢を見た。暗い部屋で母親に殴られる夢だ。あの女にとって、誠は体のいい人形でしかなかった。自分の理想を押し付けて、誠本人を見ようとはしない。


「どうして言うことを聞けないの!」


 ヒステリックな金切り声が、耳をつんざく。


 目を覚ますと、ベッドには大量の汗と、腕の汗疹から流れた血が滲んでいた。








 日曜日。食事を摂る気になれず、コーヒーを飲んでダイニングの椅子でぼーっと過ごした。何も考えたくなかったが、詩織の曖昧な笑顔ばかりが思い浮かんだ。


「おかえり、シオリちゃん」


 午前10時。玄関で詩織を出迎える。荷物を持とうとすれば、ビニール袋を渡された。


「これは?」

「ポテサラー。スーパーで買ってきたの」

「え」

「何かおかしい?」

「いや、何も…」


 詩織はいつもよりも素っ気ない。というより、こちらを観察しているような気がした。


「ご飯は?」

「まだだ」

「じゃー、今から作るね」

「無理し…」


 言おうとして、口を噤む。違う。言いたいのはそっちではない。


「……俺も、一緒に作ってもいい、かな?」


 詩織が目を見開いた。気まずい空気が流れたが、数秒後にはぎこちなく頷かれた。


「何食べたいー?」

「シオリちゃんは?」

「私は……」


 数秒考え込んで、彼女は顔を上げた。


「……ポトフ。と、グラタン食べたい」


 いきなりハードルの高いグラタンが出てきた。気合いを入れてビニール手袋をつけると、クスリと笑われる。


「まーくんはポトフ作ってくれる? 私はグラタン作るから」

「分かった」


 準備を終えて、作り始める。狭いキッチンに二人が入ると少し窮屈だったが、不思議な感じがした。


 詩織がグラタン用のソースを作り、誠が野菜を切る。ソースが煮立つ音と、食材を刻む音が、小気味良く流れる。


「……ごめん」


 野菜を煮ながら、隣にいる彼女に頭を下げた。こんな時でないと、言えそうにもなかった。詩織は、黙って聞いている。


「…俺、意見を押し付けてばかりで、シオリちゃんを見てなかった。それが一番辛いことだって分かってたのに。…本当に、ごめん」

「……私の方こそ、ちゃんと意見を言えなくて、ごめんなさい」

「それは俺が」

「聞いて」

「…はい」

「今まで、自分の意見がなかったーって気づいたの。裏を返せばまーくんを信用してなかったってことで、とても失礼なことだった。ごめんなさい」


 視線が合う。昨日泣いたのか、詩織の目尻が赤かった。


「これからは、ちゃんと言うよ。でも、まーくんも、私の話ちゃんと聞いてね」

「勿論だよ。押し付けたりもしない。もしやったら遠慮なく言ってね」

「なら、早速だけど」


 彼女がソースに胡椒を振った。


「バイトは続けたいかなー。折角バイトの人たちと仲良くなれたから、辞めたくない」

「うん」

「結婚は、二人でもっと話し合って決めたいねー」

「分かった」

「結婚したら、仕事したいんだー。自分で自分を守れるくらいのお金を稼ぎたいの」

「…うん。けど、鬱になるくらい思い詰めてたら、直ぐにストップかけるからね。シオリちゃんの方が大事だよ」

「ありがとー」


 詩織が微笑む。やっと、曖昧ではない笑みを見れた。


 食事を作り終える頃には、時刻は12時を回っていた。テーブルには、手作りのグラタンと、誠が作った不格好なポトフ、市販のポテトサラダが並んだ。


 手を合わせて、スプーンを取る。


「美味いね、このグラタン」

「ポトフも美味しいよー」

「いつもありがとう、シオリちゃん」


 今度は、吃らなかった。


「こちらこそ、ありがとー」


 詩織は躊躇いつつも、ポテトサラダを口に含んだ。瞬きを落として、口の端をあげる。


「ポテサラ、中々いけるねー」

「企業努力だよ。けど、手作りには敵わないかも」

「そりゃー、相手の好みに合わせてますから」


 得意げな詩織に、誠は破顔した。


 もしかしたら、彼女は買い食いに気づいていたのかもしれない。だから、昨日と一昨日、カツを作ったのだ。


 心が暖かくなってくる。


 誠はグラタンを頬張って、その美味しさに舌鼓を打った。

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