第三部 一章 ローゼンハイツ領(VI)
翌日、
「ハヤト、起きなさいな」
そんな声を聞いて意識が浮上する。ゆっくりと眠りから覚めていく頭で今日は朝から徒手格闘の模擬戦をミルティアーナとやるんだっけ、なんて考えながら俺は重い瞼を持ち上げる。
「おはよう、ツィエラ」
「おはよう、ハヤト」
そう言ってツィエラは俺の頭を一撫でして布団から出て室内に置かれた水差しの水をカップに注ぎ、俺に手渡し飲むように促す。俺は水を飲んで意識をはっきりとさせ、再度今日の予定を頭の中で組み立てる。朝にミルティアーナと模擬戦をして、その後はこの街の散策をする。できれば孤児院とかの様子も見ておきたい。孤児院の孤児が良い教育を受けていればローゼンハイツ領の孤児院は恐らく安泰だろうからな。あとはリアナに案内してもらえばいいか。ミルティアーナが行きたいと言ってたプライベートビーチは後日でいいだろう。恐らく夏季休暇の半分はここで過ごすことになりそうだしな。
予定を組み立てながらストレッチをして体をほぐし、徒手格闘に向けて体調を整えていく。今は脇腹に罅もなく、体は存分に動かせる。霊威の巡りも良い。そうして模擬戦に向けて用意を終えたところで、部屋の扉がノックされる。
「ハヤト君、起きてる?」
その言葉を聞いて、ツィエラは霊装顕現に戻り、俺はツィエラを帯剣して部屋を出る。
「ああ、起きてる」
「よかった。それじゃあ行こっか」
ミルティアーナがそう言って歩き出し、それに続いて俺も歩きはじめる。ここから鍛錬場までは歩いて五分くらいだろうか? 屋敷が広いと移動するのも時間がかかる。というか広すぎて帰りに迷いそうだ。どこかに案内板とか置いてあったらいいのに。
そんな事を考えていると、
「今日で、ようやく本気で戦えるね」
なんてミルティアーナが言ってくる。何故か戦意が高い。
「なんでそんなにやる気なんだ? もう足手まといなんかにならないくらい強くなっただろ?」
俺はてっきり編入時の模擬戦でもう足手まといにはならないと言ったからその事は気にしていないと思っていた。だけど体が万全の状態に回復した今、またミルティアーナから模擬戦をしたいと言われるとまだ足手まといという言葉を気にしているのだろうか、と思ってしまう。
「それは怪我をしているハヤト君が相手なら、でしょ? 私はね、万全の状態のハヤト君の足手まといにならないようにこの四年鍛え続けたの。その成果を今日はっきりさせたくて」
「夏季休暇になってからいつでも機会はあっただろう、なんで今日なんだ?」
そう。俺の脇腹は夏季休暇に入った時点で完治していた。だから夏季休暇のダラダラしていた時間で徒手格闘の模擬戦をすることだってできたはずなのに、何故今日、しかもローゼンハイツ家で?
「夏季休暇に入ってから何度か言おうと思ったんだけどね、その度に実力差が埋まってなくて失望されたらどうしよう、なんて考えちゃって言い出せなかったの。でも、こうして知らない土地に来て、不思議と気が向いたというかなんというか……早く実力差を知ってまだ差があるなら埋めるための鍛錬をしないといけないなって思ったの」
そんなミルティアーナの考えを聞いて、場所が変わって気持ちに変化でもあったのだろう、と一人納得していたところで鍛錬場に到着した。
鍛錬場は四方を煉瓦の壁に囲まれ、更にその壁に結界が貼られている強固な壁だった。四方を囲まれていても鍛錬場内はかなり広く、先日討伐した地龍も入りきるくらい広い。
壁にはいくつか的が貼ってあり、恐らくリアナ達の鍛錬に使われているのだろうと思わせる焦げ跡があった。そんな鍛錬場の中へ進み、お互い無言で少し距離をあけて佇む。
互いに会話も無く、ただただ見つめ合う時間が少しだけ続き──
「ハヤト君、加減はしなくていいからね」
「ああ、分かってる。加減はしない。けどこの後は街の散策だからな、大怪我はしないようにするぞ」
「うん、そうだね。お姉ちゃんも街の散策は楽しみにしてるから」
そんなやりとりをして、お互い再度無言になる。そしてミルティアーナが真剣な表情をして、徒手格闘の構えをとる。その構えを確認した俺は、ミルティアーナのあんな真剣な表情を見るのも久しぶりだな、なんて思いながらこの模擬戦の戦術を組み立てる。最初は奇襲をかけ、そこから手数を多くした連撃で胴体に掌底を打ち込む。これが最速の手段だろうと考え──
ダンッッ!
身体強化した体で地面が陥没するほどの力で足を踏み出し、ミルティアーナに接近して水月を狙った正拳突きを放つ。しかしこれはミルティアーナに受け流され、その力を利用して左脚で俺の側頭部へ上段蹴りを放ってくる。これをしゃがんで躱してそのまま足払いをかけるが飛んで躱される。そのままミルティアーナは空中で体勢を変えてかかと落としを決めてくる。そのかかと落としを両手で受け止め、脚を掴んで地面に胴体を叩きつけるがこれもうまく決まらず、ミルティアーナは両手を地面に付けて軸にし、掴まれていない脚で俺に蹴りを入れてくる。流石に対処が難しいため掴んでいた脚を放してバックステップで距離を取る。
そして再び二人の間に少しの距離ができた。
「正直、最初の一撃で決まるんじゃないかと思ってた」
「私もね、最初の一撃で終わっちゃったらどうしようって思ってた」
しかし最初の渾身の一撃は防がれてしまった。
「だからね、ハヤト君の全力に少しでもついていけてるってことが嬉しくて仕方ないや」
「そういうのは──」
俺は再度全力でミルティアーナの側まで距離を詰め、
「俺を倒してから言うんだな」
今度はミルティアーナ左脇腹へすれ違いざまに左拳でひと当てしようとするが、ミルティアーナはその場でこちらを向きながらバク転し、俺の顎を狙って蹴り上げてくる。それを半身になって躱して体勢を整える前に近接の連撃に持ち込む。右拳のストレートをミルティアーナの水月へ打ち込むが半歩下がって俺の拳はいなされてしまう。そしてミルティアーナの右手の貫き手が俺の心臓部めがけて放たれ、これを左手で掴んで阻止し、先程のお返しとばかりに左脚でミルティアーナの側頭部へ上段蹴りを入れる。がやはり躱されてしまい、先程のお返しと言わんばかりの足払いをかけてくる。だから俺は飛んで足払いをやり過ごし、空中で体勢を立て直してかかと落としをミルティアーナにお見舞いする。しかしこれも決まらない。ミルティアーナは最初からかかと落としが来ると分かっていたかのように既に後退してしまっていた。
お互いが同じ体術を使うのだから、戦術が似るのも同じで、相手が採ろうとする戦術も分かるのだろう。ミルティアーナは俺との連撃を避けて自分の得意のスタンスで俺を倒そうとしている。そして俺はミルティアーナの成長ぶりに驚かされていた。正直、ここまで体術が伸びているとは思っていなかった。編入直後の模擬戦でも、本気で戦えば多少の手間はかかっても確実に倒せると思っていた。それがどうだ、今のところ有効打は一撃も決めることができていない。
再度開いた距離をじりじりと詰めながら、次の手を考える。
(同じ体術を使うのだからもっと突飛な発想が必要だな……いっそ型を捨ててみるか?)
俺はジカリウス教団で学んだ体術の型を使わずただの喧嘩のように不規則な狙いの攻撃を考えたが、それだと逆に隙を突かれる事になると判断し即座に却下する。だがこのまま状況が動かないのも面白くない。多少無理矢理ではあるが──
俺は身体強化に使う霊威を増やし、移動速度を更に上げてミルティアーナの背後に回る。そのまま両手で背中を強打する。しかしミルティアーナはギリギリのところで反応し、右腕で掌打を防いだが、これでようやくミルティアーナの体勢が崩れた。
(……今ッ!)
俺はそのまま一歩踏み出し腹と水月に二撃拳を打ち込み、二歩踏み出して体勢を立て直そうとするミルティアーナの両腕を弾き、三歩踏み込みミルティアーナの顎に掌底を打ち出す。これはまともに喰らった──そう思ってこれ以上の追撃をやめていつでも反撃がきてもいいように構えは解かずにミルティアーナを視界に収める。
しかし、ミルティアーナは顎に決めた掌底のダメージが大きいのか、立とうとしても立てない──脳震盪を起こしているのだろう。悔しそうな顔をして、それでも戦意を失うことなく立ち上がろうとしている。だが立てていない以上勝負はついた。これが本当の殺し合いならミルティアーナは脳震盪を起こした時点で殺されているからだ。
「……勝負あったな」
俺がそう言ってミルティアーナに肩を貸して立ち上がらせる。ミルティアーナも一人で立ち上がれない時点で負けだと認めているのか、
「……そうだね、結局一撃も与えることができなかったかぁ……」
「だけど昔とは比べ物にならないくらい強くなってるじゃないか」
昔のミルティアーナも強かった。しかしそれは同業の暗殺者の中ではかなり強い方、というだけで俺にとってはそこまで強い相手ではなかった。それが今では倒すのにここまで時間のかかる相手となった。ミルティアーナを暗殺対象とした場合、かなりの苦戦を強いられるだろうな。そんな事は起こりえないが。
「一撃くらいは蹴りが入ると思ってたのに、ハヤト君全部躱すんだもん。正直自身失くすよ。お姉ちゃん、諜報部隊じゃ体術もトップなんだよ?」
「そりゃこれだけ戦えたらトップになるだろうさ。今の帝国騎士や諜報部隊じゃなかったとしてもトップになれてただろうよ」
「なのにハヤト君には一撃もいれることができないなんておかしくないかな? 本当に四年間何してたの?」
「当てのない旅」
本当に四年間、当ても無く、やりたい事も無く、何をしたらいいか分からないまま生きてきた。だから体術や剣術、暗殺術などは訛っていたはずなんだけどな……体が訛りすぎないように軽い運動はしていたが。
その時、鍛錬場の壁から人がこちらへ向かって歩いてきた。俺とミルティアーナが揃ってそちらを向くと、リアナが歩み寄ってきた。
「ミルティアーナ、大丈夫?」
「大丈夫だよ、この後の街の散策には影響はないから気にしないでね」
「そう、それならいいけど……。見てたわ、二人の徒手格闘」
「それで、どうだった?」
「同じ人間とは思えないくらいの練度だったわ。そもそも地面を陥没させるってどういうことよ……しかも動きはほとんど見えなかったし。アンタたちが教えようとしてた体術って最終的にこうなるの?」
「その予定だな」
俺としてはリアナにも俺とミルティアーナ以外には負けないくらいの体術の技術を身に着けてもらうつもりだ。霊威が使えなくても体術は使えるし、武器が無くても戦える。いざという時に武器のなるのは己の体だけなのだから。
「アタシ、そこまで体術出来るようになる自信ないわよ?」
「それは私達で鍛えるから大丈夫だよ」
ミルティアーナが力のない笑顔でリアナに告げる。
「それより早くティアーナを休ませたい。朝食まではまだ時間があるだろ? それまでは部屋でゆっくりしとくんだな」
俺はミルティアーナに肩を貸しながら歩きはじめる。ミルティアーナの歩幅に合わせて歩くためいつもより進みが遅く感じるが、誰かに合わせて歩くのもたまにはいいだろう、なんて思いながらミルティアーナとリアナの三人で部屋に戻った。
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