文体遺伝の話
定番といえば定番だが、盆なので実家に戻っていて更新に間が空いた。
鮭だって生まれた川に戻ってくるんだから俺が戻った所で罰は当たらないだろう。
クソほど暑い所から涼しい所に帰ったので、サウナ後の水風呂の如く整って、
正直サウナよくわかんねえけど、こんな感じなんだなと思った。
でまあ、恐らくあと数年で無くなるであろう祖父母の家を訪問したわけだ。祖父母はもう亡くなっていて親戚の名義になっている家ってわけだ。そこで親族たちの写真、白黒とかも含めて歴史を感じる諸々の発掘した。残念ながらまだ石油にはなっていなけど、自分の短い人生よりも永く写真のほとんどはそこにあったっぽい。
すげえ古いんだけど今は白髪としわだらけの親戚一同の若々しい頃の写真がいっぱいあってさ、バックトゥザフューチャーっぽいと思ったわ。でもまあ今回のテーマは写真じゃない。親父がね、お袋と結婚した時の手紙みたいのがあった。読んでみるとその文体が俺が普段人に当てて書く手紙とかラインに書く文章にすごい似てて、これは俺が書いたのか?って思うくらい似ててびっくりした。
え、なんで?なんか俺そのうちタイムスリップして、親父に手紙の書き方とか教える?とか思う程度には似てた。
親父とは、はるか昔に死別してて逆に今更おぼろげな記憶しかないし、文章なんて読む機会も当然ながら無いわけよ!じゃあなんでこんなに似てんだ?って思ったのでちょっと考えてみた。
でも、割と答えは簡単な所だと思う。親父が遺した本をちらちら見ていたし、親父が亡くなった後、祖父母は俺を死ぬほど甘やかした。パンケーキハチミツがけよりも甘かった。それもあって祖父母の家にちょくちょく訪問していた。だからまあ、簡単に言えば自我の一部が親父の育った場所で形成されたってことを考えりゃ、そりゃあ文体は似るのかもしれない。
大分前に亡くなりはしたけど、その人の何かがまだ自分の中にあるような、共有しているような感覚。お盆だからか余計そんな感じがしてしまう。
一年に一度帰ってくるなんて、ずっといられたら気を使うからなんだろうけども!
だってさ、先祖がずっと見てるの守護霊だったらいいけどずっとはね!
気を遣うでしょ!お茶とか出さなきゃとか、米盛らなきゃとかさ、色々あんだろ?
だからさ、まだ生きてる奴らに負担をかけないために帰ってくる期間を限定してるのかもな。
もういない人たちとか、あったこともない人に思いを馳せる時期。よくわからないけど、それはそれで整う気がする。サウナみたいに。まぁ水風呂怖くて入れねえけど!
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