季節の訪れ

夢見ルカ

季節の訪れ

 こつこつ、こつこつ、殻を割る。急かすように繰り返し。

 こつ、こつ、こっこと聞こえてくるのは窓からだけれど、さてはてこれは、本当に殻を割る音なのか。確かめようにも、考えようにも、思考回路は夢うつつ。ふよふよふよよと地に足つけずで、答えを出す気はあまりない。

 こちらへおいでと覗かせた、眠気に手招き誘われて、あくびをひとつ。

 開きかけた瞼を下ろせばすぐに夢の扉は現れる。このまま逃げてしまおうと布団に深く潜り込み、瞼の帳を降ろして世界を切り離した。

 しかしながらも、耳はまじめに仕事をし、無視をするなと言いたげに鳴りやまない音を届けてくれた。

 遠のく眠り扉に別れを告げて、寝ぼけ眼をこすりつつ重い身起こす。優しく守るぬくもりを、自ら手放しカーテンに手をかけた。

 勢いよく開かれ現れたのは、カーテン裏でかくれんぼしていた、世界を区切る薄いガラス。うすらと曇る向こう側には、汚れ知らずの新雪に溶け込む白鳥の姿。

「あら、あらあらあら? もうそんな時期なのね」

 殻を割っていたのではないのだと、白鳥の咥えている乳白色の宝石で答え合わせ。ひとり納得していると、もひとつおまけにこつりと叩かれた。

 眠気を纏った目元を隠しもせず、窓を開けると我先に、僅かな隙間から流れ込むのは冷気たち。肌を刺すほどの冷たさに身震いをしてしまう。

 起きたばかりの身にはつらいものがあるけれど、こればかりはどうしようもないと、窓枠にそろりと身を寄せて、甲にキスをと乞うように白鳥へと手を差し出した。

 熱をとどめていた指先から、次第にぬくもりが逃げていく。それでも、まぁるい瞳が私の姿を映しているから動けない。だんまり黙って大人しく、白鳥に様子を窺い見られる。

 ほんの一秒にも満たない時間。絵画を隅々まで眺めるように一寸も動くことのない白鳥に、こちらが今度は急かす番。

「わかっているわ。さぁ、早くちょうだいな」

 外気にさらされ冷えゆく体温とは裏腹に、赤みを帯びる指先。それでも、あたたかな部屋に戻らないことを確認し、満足したらしい白鳥は、ころりと宝石を手放して羽を整え始める。

 丁寧に啄み、位置を正し、古い羽根は引き抜いて。そうして最後に、風切り羽を一枚見繕い咥えると手の甲にそっと乗せた。

 重さなどないに等しい白い羽根。乗せられた手をくるりと返し、落ちないようにと内におさめる。指が羽根を包むとき、柔らかな羽根の根本は二股ぱっくりわれていた。

 尖ったその先でゆるりと空気をすくう。色のないインクを。

 布団をまさぐり取り出した羊皮紙に、文字をつづる。もちろん、綴られても文字が浮かびあがることはないけれど。それでも気にすることなく、自分の名前まで書き留めた。

 上から順に読み返し、くるくる丸めて、淡い春色リボンを巻き付ける。すると、瞬く間に結んだ先から身を丸め、固く小さい宝石となり、ころころころりと落ちていく。

 転がり落ちた宝石を拾い上げる。待ち望むくちばしへと運んでやると迷いなく、咥えた白鳥が翼を広げて地を蹴った。大きく羽ばたくと、こちらを振り返ることなく飛び去って行ってしまう。

 白やむ空の彼方に消えるまで見送って、ようやく眠りの檻を後にする。ベッドから降り立つと、お着替えは後回しに、部屋を移動しながら拾い物。

 赤く熟れた木苺を一粒。花を濡らした雨の雫を一滴。赤白黄色、淡いピンクに控えめな紫を束にして作った小さなブーケを一束。目覚めたばかりの若葉を一枚。これらをかごに入れてキッチンへと向かう。

 火を熾して、大きな鍋を用意する。ふくふく育った木苺を投げ入れ、木べらですり潰す。赤い木苺の果汁がふつふつと泡立つと、雨粒と、若葉を加える。

 雨粒が踊り、空気に混ざる前に、雪を少しずついれるとふわりと甘い香りが漂った。溶ける雪が真っ赤なソースを薄くして、鍋の底を覗かせる。

 ことこと、くつくつ。決して沸騰することのないように。弱火にかけて、時折くるりと木べらをまわす。部屋が甘い香りに満たされたら、完成まではあと少し。

 仕上げに色とりどりのブーケを落とせば、途端に花弁がちらほら泳ぎ広がっていく。目を覚ますほど真っ赤なスープに咲く花に、鍋から揺蕩う湯気もどことなく、ほんのり淡く色づいた。

 毎年作ることながら、今日が一番上手にできたと自分を褒める。味見の一口、文句なし。よいしょと鍋上に手を伸ばし、くるりと返す。

 何もなかったはずの手のひらに、先ほど生まれた羽ペンがどこからともなく治まっていた。スープを煮込んで温まった空気をひとすくい。

 これまた都合よく出てきた羊皮紙に文字をつづる。

 先ほど同様、羽ペンで手紙を書いていく。誰にも読めない手紙は書き終わると、自分でまるまり床へと落ちて軽快な音を立てた。

 ころりと足元で転がるのは、ほんの少し前まで手紙だったもの。いまはただ、光を反射し、温かな輝きを放つ宝石となり果てている。

 春を拾ったかごの中。ゆったりすやすや眠る卵の横に、膝を折り、摘まみ拾い上げた宝石を転がした。季節が巡り、次へと移り変わるその頃に、卵が孵り次へと運んでくれるはずだ。

 季節の終わりと、始まりを告げるために。

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季節の訪れ 夢見ルカ @Calendula_28

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