旅立ちノートの旅

何もなかった人

第1話 動き出したノート

 夕方の暮れゆく空が、家の窓から、ゆっくりと橙色に染まっていった。ちょうど、おやつを作っていた、お母さんが慌ててリビングに駆け込む音がした。「おじいちゃんが!」その後の言葉は掠れて、心臓が止まるような恐怖を感じた。


 すぐに、お母さんが電話をかけ、急いでおじいちゃんの元へと駆け寄った。わずかな間にサイレンの音が聞こえ、救急車が家の前に止まった。助手席から飛び出した救急隊員たちが、家に駆け込んでいった。


 お母さんが、おじいちゃんを支えながら救急車に乗せられ、その後の車のドアが閉まる音が、この日の夕方の終わりを告げるようだった。


 家の中は、静寂に包まれた。おばあちゃんは、もうこの世にいない。お父さんは、まだ会社から帰らない。中学三年生の姉・結衣と、中学一年生の弟・翔太は、リビングのソファーに座り、言葉を交わさずに、ただ時が過ぎるのを待った。


「おじいちゃん。死んじゃったら、どうしよう?」結衣が、小さな声で言った。


 翔太は、スマホを取り出した。「AIに質問してみる」


 何もできない自分たちの無力さと、不安が胸を締め付けた。だが、その中で彼らは、何か行動を起こそうと決意した。



 書斎のドアを開けた瞬間、二人は古びた本や文献の匂いを感じ取った。重厚な木製の本棚が部屋の一角を占め、おじいちゃんの長い生涯を物語るような本たちが、整然と並べられていた。


「エンディングノートは、どれだろう?」翔太が、小さな声で言った。


 結衣は「まだ、早くない?」と、不安げにつぶやいた。


 おじいちゃんは、まだ亡くなっていない。それなのに彼のエンディングノートを探すこと自体が不謹慎だとは思っていたが、何となく気になってしまったのだ。


 しばらく本棚を探るうち、翔太は一冊のノートを見つけた。「これかな?」と言って手に取ったその瞬間、エンディングノートが突如、彼の手から跳ね上がった。ノートは床に着地し、不思議なことに直立した。


「えっ!?」結衣と翔太は驚きのあまり、後ずさった。


 結衣の顔が真っ白になり、翔太も恐怖に身を固くしていた。「お、おじいちゃん?」結衣が恐る恐る声をかけたが、反応はない。


 ノートは、ぴょんぴょんと飛び跳ねて、書斎を出ていった。


 ノートは家の外に出て、ぴょんぴょんと跳ねながら、街を歩いていった。道行く人々が、その光景を目の当たりにし、驚きのあまり、スマホのカメラを向けて撮影する。


 結衣と翔太は窓から、その光景を呆然と見つめていた。



 結衣はスマホを手に取り、SNSの投稿画面を開いた。「何て書こう……」と一瞬考えた後、翔太と相談しながら、フリック入力を始めた。


「うちの、おじいちゃんのエンディングノートが、家族に読まれないで逃げ出してしまいました。見かけた方は、ご連絡ください……♯迷子のノート」


 投稿ボタンをタップすると、すぐにシェアされて、「いいね!」やコメントが増えていった。ところが多くの人々は、この投稿をネタだと思い、冗談めかしたリアクションを返してきた。


「迷いエンディングノート。最近、多いね」


「ちゃんと、繋いでおかなきゃ」


「お腹が空いたら、帰ってくるんじゃない?」


 結衣と翔太は、コメントを読む。「ネタじゃないんだけどね……」結衣がつぶやき、翔太もうなずいた。


「どうしよう。本当に戻ってくるかな……」翔太の声には、不安が滲んでいた。


 二人は再度SNSに、真剣にノートを探していることを伝える投稿をしたが、誰も本気にはしなかった。



 エンディングノートは街を、ぴょんぴょんと跳ねながら、最寄りの駅へと進んでいった。電車のホームに到着すると、ちょうどドアが開いたので、ノートは、そのまま乗り込んだ。


 車内は、そこそこ混んでいたが、奇跡的に空いている席を見つけたので、エンディングノートは、そこに座った。しかし、その不思議な光景を目撃した乗客たちは、驚きのあまりスマホを取り出し、エンディングノートの写真を撮り始めた。


「すごいな、こんなん初めて見たわ」


「何これ、ユーチューブの撮影?」


 エンディングノートは、それに耐えかねて、次の駅で電車を降りた。しかし、駅のコンコースでも人々の目を引き、再びスマホのカメラに囲まれた。


 街を歩けば、カフェや公園、商店街で注目の的となる。どこへ行っても同じような反応を受けるので、エンディングノートは次から次へと場所を変え続けた。


 バスに乗れば、運転手もビックリして運転を止めてしまう。図書館に入れば、読書をしている人々の間で話題になる。さすがに夜の公園は静かだと思い、ベンチに座ったところ、夜の散歩を楽しむカップルたちに驚かれ、撮影しにくる。


 疲れて公園の木の下で一息つくと、夜空を見上げながら思った。「どこに行けば、穏やかに暮らせるのだろう?」


 結衣と翔太の家には戻れない。エンディングノートに書いてしまったことを、家族にだけは読まれるわけにはいかないのだ。



 ネット上は「動くエンディングノート」に関する投稿で溢れていた。次から次へと目撃情報やフェイク動画がアップロードされ、それに対するリアクションや感想も増えていった。


1.宇宙のエンディングノート

動画には、エンディングノートが宇宙空間を飛び回る様子が映し出されていた。タイトルは「エンディングノート、宇宙に逃亡!?」


2.エンディングノートVSゾンビ

動画には、エンディングノートがゾンビの大群から逃げるシーンが続く。特にノートがゾンビの頭上を跳び越えるシーンは話題となった。


3.水中のエンディングノート

エンディングノートが、熱帯魚やサンゴの中を泳いでいるアニメーション。背景音楽として、リラックスした曲が使われている。


4.エンディングノートのラブストーリー

別のノートとのロマンチックな出会いを描いた動画。二つのノートがダンスを踊るシーンが、特に印象的だった。


5.エンディングノート対決!

「動くエンディングノート」に挑む、別の動くアイテムたちとの対決を描いた動画。例えば、動く定規や動く教科書などとの「バトル」が繰り広げられている。


6.エンディングノートの冒険

ジャングルや洞窟を探検する、エンディングノートの冒険物語。途中で現れるモンスターや罠を華麗にかわす、ノートのアクションが見どころ。


 ネット上では、これらの動画や情報が拡散され、どれが本当の目撃情報なのか、どれがフェイクなのかを見分けるのは、非常に難しくなっていた。


 結衣と翔太は、真実の情報を得ることが難しくなってしまった。二人はスマホやPCの前で、ただただ困惑するのだった。

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