何が為に、誰の為に
明けて翌日。
巴と誠志郎は二人連れ立って電車道路沿いへ下りると市電にて終点を目指した。
巴のバッグの中には、あの懐中時計とそれを収めた木箱があった。これを持っていくべきだと、勘のようなものが働いたのだ。
電車に揺られ暫し、終点に降り立ち周囲を見回して、馴染みのある風景に頬が緩む。
坂を見上げながら家まで帰っていたのが昨日の事のようにも、大分前のようにも思う不思議な感覚を覚えた。
祖父は家の権限を早々に息子達に引き継ぐと、この町に住居を構えた。
市電の終点に近いしバスも通っているが、やはり近隣に住む大体の人は車が無いとやはり辛かったようだ。
スーパーやコンビニの数からして、買い物の便もそこまで良いとは言えない。
中心地が徐々に移っていくにつれて、住む人も減りつつあった。だから、皆は何故祖父がこだわって住み続けるのかを不思議に思っていたらしい。
けれど、祖父はこの町を愛して居たし、巴も嫌いではなかった。
友達と待ち合わせて学校に通い、電停近くの公園は皆お気に入りの遊び場だった。
夏には浴衣を着せてもらってお祭りにいったり、町内会の盆踊りに参加したりするのを楽しみにしていた。
巴は思い出と共にこの町で育った。街並みのそこかしこに、過ぎた日の欠片が存在している。
鎮まり返った祖父宅の前に立つと、何故か思わず息を飲んでしまった。
少し前まで暮らしていた場所だというのに、何故こんな緊張をと思う。
しかし、それも少しの間の事。すぐに一度頷いて、手にした鍵にて玄関を開く。
管理を頼んだ人間はしっかりと仕事をしてくれているらしい。現在は無人の状態であるというのに、どこも綺麗に整えられている。
書斎は二階にある。
ドアを開くと、少し懐かしい空気が頬を撫でて通り過ぎた。
「……修護さんが生きていた頃のままだね」
誠志郎が、感慨深そうに呟いた。
祖父の書斎に入るのは久しぶりだった。
今風な家具類は殆ど存在しないその古風な空間は、時を遡ったような不思議な感覚を与える。
机も椅子も、本棚にソファにチェスト。どれも、以前聞いた話ではそれぞれにきちんとした来歴持つアンティークだという。
祖父が亡くなってからは、時折掃除に入る事はあったけれど、基本的に生前のままにしてある。
蒐集していたアンティークジュエリーや、それに関連ある資料などは場所を移したが、蔵書などは手を付けていない。
一人で暮らすようになってからも、考え事をしたい時、集中したいとき、思い出に浸りたい時。折に触れては祖父が座っていた椅子に腰かけて過ごしていた。
祖父の存在は巴にとって大きな支えだった。
豪快な気性の祖父は、手加減なしに巴を慈しみ、愛してくれた。多くを与え、育んでくれた。
ただ、時折哀しそうに巴を見ている事があったのは咲洲家の娘の宿命を知っていたからだろう。
自分の娘や姉妹のように、何時か巴も逝ってしまう未来を憂いていたのかもしれない。
身に病が発覚してからも、祖父は病院にて過ごす日々を拒絶して、この書斎で何かに没頭していた。巴がどれほど言っても、最後の我儘だからと笑っていた。
真剣な面持ちで電話のやり取りをしていた様子もあった。時には、自ら外へと出かけていく事もあった。
そして、あの懐中時計が手に入って程なくして、祖父は倒れた。
時計の呪いではないかと疑ったが、何故か祖父は違うと言い切っていた。
最早手のつけようがないと知った祖父は最期を住み慣れた家で過ごす事を希望し、亮達の尽力でそれは叶えられる。
時の止まった美しい時計と小箱を巴に遺して、祖父は眠るように旅だった……。
「お祖父ちゃんは、もしかしたら何かに気付いていたのかもしれない」
あまりに不自然に衰弱死する咲洲の娘達。時生家の医師たちがどれだけ力を尽くして調べても原因は見つからない。
もしかしたら、藁にも縋る思いでありとあらゆる方向に原因を探していたのかもしれない。
それを聞いた誠志郎が頷きながら静かに答える。
「修護さんは、僕の正体について知っていた。人ならざる存在が実在すると知っていた人が、原因を人の世ならざるものに見出しても不思議はない」
誠志郎は嘉代が死んで以来、影に潜むようにして咲洲家の血筋を守り続けていた。
生きているのか、死んでいるのか、自分でも不思議に思う程に彼という存在は希薄になりつつあったある日、誠志郎は少年だった祖父と出会う。
ただ咲洲家を守る為に在り続ける誠志郎を心配した祖父は、彼の紅茶と菓子に関する造詣に目を付けて、懐刻堂を開くように勧めたという。
自分達の血筋を守る事だけに在って欲しくない。どうか、彼にとって生きがいと呼べるものを見つけて欲しいと。
最初は渋っていた誠志郎だったが、祖父は押し切るようにして使える伝手と制度を駆使して現世における戸籍を与え、出資し店を開かせた。
やがて誠志郎は、穏やかで懐かしい刻が過ぎるあの場所で、静かに新しい生きがいを見出していく。
目を細めて語る誠志郎を見つめていた巴は、視線を緩やかに書斎全体へと巡らせる。
祖父の領域を荒らすような真似は気が引けるが、今は少しでも手がかりが欲しい。
心の中で祖父に謝って、巴と誠志郎は手分けして情報となり得るものを探し始めた。
かつての事業に関する資料から、過去の功績に纏わる文書。私的なものでは妻や息子達との思い出であるアルバムや、趣味であった骨董に関するもの。
様々なものが見つかりはしたし、時折思わず懐かしくて手を止めてしまうものも多数見つかったが、目的に該当するものは見つからない。
この家についたのは午前だったのだが、何時しか昼を過ぎようとしていた。
時間としては、そろそろ流石に空腹と疲労を自覚するであろう頃となっていた。
察したらしい誠志郎が、一休みしようかと問いかけてくる。
これは一日がかりになるかもしれない。それならば一度食事となるものを用意してきたほうがいい。誠志郎の目はそう告げている。
しかし、巴はゆるゆると首を左右に振る。まだ大丈夫、という感じがあるのだ。
水分については紅茶を入れた水筒を持参して、適宜摂取している。
だが、感じて然るべきである疲労をまだまだ感じないのである。
最近、少しずつ疲れにくくなっている。始めのころは、運動を継続しているので体力が付いたのかと思ったが、どうやら違うようだ。
多分、巴が花贄という不思議を帯びた存在になった事が理由である気がする。
始祖に血を与え続ける存在には、人にはない回復力や不思議な力が備わると言う。
以前、花狩人に攫われかけた時に足が速くなったように感じたのも、疲れを知らぬようになってきたのも、徐々に表れ始めた影響ではなかろうか。
それならばありがたいと思っていると、誠志郎が苦笑した気配を感じた。
「だからと言って、無茶をしていいって訳じゃないからね?」
「はーい……」
釘をさすように言われて、巴は思わず首を竦めた。
二人はまたそれぞれに作業を再開する。
書斎は広く、資料と呼べる文書などは相当な量に及ぶのだ。まだまだ目を通しきれそうにない。事業家としての祖父や、読書家に趣味人としての祖父を改めて感じた気がする。
重厚な机回りを一通り調べ終えた巴は、開いていた引き出しを綴じて次へと行こうとした。
だが、ふと何かが引っかかるような気がして、まじまじと机を見つめる。
引き出しが幾つかある、オーク材の立派な両袖机である。取っ手の金具は錆びてこそいるが、緻密な細工が施されている。
アンティークとしても価値あるものであるとは思うが、特段おかしいところはない。
しかし、何かある、と裡にて囁く声がある。ただの勘でしかないけれど、もう一度調べてみよう、と巴は再び引き出しを開いていく。
一つ一つ、開いては静かに閉じて、を繰り返していく。
中にあるのは先程も調べたものだ。再び開いたからといって中身が変わる訳がない。
一番下の、他より深めの引き出しに手を駆ける頃には既に徒労感が生じていた。
今までと同じように開いて、中を確かめて閉じて。何もなかったと思いながら一歩離れかけた瞬間だった。
違和感に気付いたのだ。
最後の引き出しだけ、外から見た深さと開けてみての深さが違う気がするのだ。外からみての深さに対して、開いて中を探っていた時に見た時には底が浅い気がした。
まさか、と思った巴は底を探ってみる。
「やっぱり……!」
底が二重になっていて、蓋となっている木の板を外すとそこにはファイルと本のようなものがある。
声を聞きつけて歩み寄って来た誠志郎に見えるように、出てきたものを机に並べる。
一つはファイルだった。外見だけ見れば、部屋にあった他の資料と同じように、よくある市販のものであるが……。
息を飲んで巴が静かに表紙を捲る。
現れた写真に、思わずと言った風に二人は息を吐いた。
そこにあったのは、巴がバッグに入れてきた、祖父が巴に遺した懐中時計の写真だった。
それに続くようにして、くずし文字の文書。誠志郎が確認すると、昨晩目にしたものと寸分違わぬ内容だという。
ファイルに挟まれていたのは、父が所持していたものと同じ写真と文書だった。
恐らく、濃淡や紙の質からして、父の遺品にあったもののコピーだろう。
祖父もまた、あの懐中時計がかつて咲洲家の当主が妾――嘉代の為に求めたものであると知っていた。
何故にそれを知り得たのか、その答えはもう一つ見つかったものが握っている気がする。
巴が視線を向けた、シンプルな黒い革表紙の本にも見える冊子。
だが、本にしては違和感が……と思ってよく見てみると、表紙の下側に見慣れた文字の署名があった。
「これ、お父さんの……日記だ……!」
記されていた名前は、確かに巴の父・
中を見てみると、日付と共にびっしりと綴られている。日記、或いはそれに類するものと容易に推測できる。
「日記をつける習慣があったみたいだけど……。どうして、お祖父ちゃんが……」
父は真面目な人で、長らく日記を付けていたらしい。だが、その日記帳は実家の父の書斎にある筈だ。その中の一冊が、何故ここにあるのか。
何かが挟まっているような様子を感じて見てみると、よれた封筒が挟まっている。
何故、祖父が父の日記を持ち出したのか。そして、隠すように保管していたのか。理由は、この手紙の中に理由が記されている気がする。
息を飲みながら、巴は震える手で封筒を開き、中から便箋を取り出した。
記された内容は、非常に簡素なものだった。
――これから、咲洲家を呪う『元凶』と対峙してくる。生きて戻れないかもしれない。その時は、後を託したい。
ただ、それだけだった。それ以上の説明は便箋には記されていない。
巴は一つ息を吐くと、黒い表紙に眼差しを向ける。
長い逡巡と沈黙が続いた。誠志郎も、何も言わずに巴を見つめている。
ややあって、巴が大きく息を吐いたかと思えば、誠志郎へと口を開いた。
「誠兄さん。……お願い、中を見てみて」
「……わかった」
純粋に故人の日記を開く事に気が引けたというのはある。それが、疎遠であった父親のものであるなら猶の事。
ただでさえ、父との間には生きている間に埋められなかった隔たりがある。それが広がる結果になる事を、巴は恐れてしまった。
甘えだと思っていても、つい誠志郎に頼ってしまう。
誠志郎は、拒まなかった。唇を噛みしめてうつむいてしまった巴から丁重に日記帳を受け取る。
そして、一度何かを思案するように目を伏せて再び開くと、静かに頁を捲り始めた。
暫くの間、ページを捲る音が静謐の空間に響いていた。誠志郎の表情は努めて冷静であろうとしているようで、感情も、事実も読み取れない。
永劫にも思えた時間は、誠志郎の深い吐息にて破られる。
それは溜息とも、感嘆ともとれる、あまりにも複雑すぎるものだった。
「お父さんは真相を掴んでいたんだ。咲洲家の娘が二十歳を迎える事なく死ぬ原因を」
低く呻くような声音で紡がれた言葉に、巴が思わず目を見開く。
まさしく、それを求めて巴達はここにやってきたのだ。
だが、それをかつて掴んだのが父であるとは予想外で、驚愕のあまり言葉を失ってしまう。
そして、巴を更に愕然とさせる真実が、誠志郎の口から紡がれた。
「咲洲家の娘が二十歳を迎えることなく死ぬ理由は……嘉代だ」
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