第2話 嫉妬

当初の予定通り、葬式は開かず直葬で済ました。


 あの日以降、橙子は大人しくしている。最後の別れの際、ひとしきり泣いた後は家を出ずに、一日中寝ている。中学校にも連絡をしてあるみたいだから、怒られるということもないだろう。


 食事はちゃんと食べさせているし、橙子も文句を言わず俺の手料理を口にしている。体調が悪い訳でもなさそうだし、しばらくは療養させてやることにした。


 部屋は2人で生活するには狭いし、十分に休息を取れるかと言われれば微妙なところだが。


 仕事もまだ休んでいる。一度職場に顔を出して、親方にも色々と相談して、改めてお休みをいただいたのだ。正直、手続きやらなんやらで働くどころではなかったのだ。


 しばらくはそんな生活も続けた。空き時間で職場に顔を出そうと思ったこともあったが、休む時は休めと、親方にも釘を刺されてしまっている。


 問題はたくさんある。まずは遺産関係か。


 結論から言うと、相続は放棄することにした。理由は簡単だ。財産はおろか貯金すら残っていなかったからだ。


 それどころか借金がある始末。俺がいた頃は金には困っていないはずだったが、一体何があったらこうなるのだろうか?


 管理する財産もない。橙子の手元に残ったのは、一つの写真立てのみ。その家族写真の中に、当然俺は入っていないのだが。


 そして橙子の言っていた新居は、存在すらしていなかった。浮かび上がるのは一つの仮説。父たちは、おそらく俺に金を無心するつもりだったのだろう。


 大家さんの話によると、家賃も滞納することが多かったらしい。それを橙子に悟らせていなかったあたり、それなりにあの子は愛されていたというところか。


 そして父は、無職だった。仕事を辞めたのは3年前ほど。そこからはフリーターをやって、徐々に金を減らしていったと言うところか。


 橙子には貯金がなかったことだけを伝えた。


 「少しは責任持てよ」


 勝手に子供を作って、やり直したと思ったらその子すら置き去りにして。


 そうこうしているうちに、橙子がうちに来て三週間が経とうとしていた。貰った休みは1ヶ月。後一週間でやることをやってしまわなければ。


 そう思っていた矢先、これまで口を閉ざしていた橙子が告げた。


 「明日から、学校行くから」


 日曜日の夜、夕食をとっているとそう切り出してきた。


 「その前に、色々と決めることがあるだろ」


 今までなぁなぁにしてきたが、そもそも俺はまだ、この子の居候を認めた訳じゃない。ここらできちんと話し合ったほうがいいだろう。


 「……なによ。やっぱりまた、出て行けって言うの?」


 ある程度予想はついていたのか、塩らしくそう問うてくる橙子。最初からこんな態度だったら、もっと話し合いはスムーズだったのだが。


 「5年間だ」

 「5年間?」


 「成人するまで。俺が橙子の面倒を見るのはそこまでだ」


 高校を卒業……するためにはそもそも、高校に進学するための費用諸々を負担しなければいけないのだが、そこはなんとかしてやろう。だけどそこからは知らん。大学は諦めてもらう。そんな金はないし、本当に行きたいのなら、猛勉強して特待制度?でもなんでも勝ち取るんだな。


 というのも非常に腹ただしいことに、叔母に釘を刺されたのだ。絶対に高校には進学させろと。あんたみたいに、情けないことにならないようにと。


 手が出るかと思ったね。どの口が言うのかと。どうせ将来介護をしてもらおうとでも思っていて、橙子には稼いで欲しいのだろう。最低だな。孤独死してしまえ。


 「高校を卒業して、すぐに出て行けとは言わない。だけど、一人立ちする努力はしてもらう。」


 厳しいことを言うようで笑いが、今の環境を当たり前だとは思ってほしくない。抱え込む以上責任は持つが、それは有限で、いつまでもという訳ではない。


 橙子はかなり優れた容姿であるし、誰かと結婚でもしてしまうのも悪くないだろ。そんな簡単な話でもないだろうけど。


 「私、高校行けるの……?」

 「ん?そこ?まぁできれば、県立とかに行ってほしいけど……」


 受験難易度は高くなるが、お金が安く済むからな。その上で進学校などに進めれば、橙子にとっては良いことだらけだろう。


 というか気にするところはそこなのか。期間が短いことに焦ってほしいものだが。


 「高校行けるの!?ほんとに!?」


 (あー、そういうことか)


 どうやら高校進学は諦めていた様子だ。それもそうか。他ならぬ俺が中卒で働いているのだ。自分もその道を辿るのだと、絶望していたのだろう。


 ま、俺は人には恵まれたから、不幸とは言えないだろうけど。と言うよりも言いたくない、だな。


 「とにかく、5年だ。家では俺の言うことは絶対。言いつけを破ったらすぐに追い出すからな」

 

 再会して以来、橙子は初めて笑顔を見た。現金なやつだと思わなくもないが、こうしていれば普通の子供だ。願わくばずっとそんな態度でいてほしいものだが。


 「そういえば、中学校はどこ入ったんだ?」

 「……ほんとに何も知らないんだ」


 少し冷めた目で見られる。仕方ないだろ。ほぼ絶縁状態だったんだから。


 「なんでお父さんはあんなこと言ったんだろ」

 「おい、聞こえてるからな」


 隙あらばちくちくと刺してくる。俺のこと嫌いすぎだろ。


 「南中だけど」

 「え、俺と同じなのか。だったら……」


 俺の恩人である、あの先生がいるじゃないか。


 「鎌田先生って知ってるか?」


 鎌田先生は、俺にカウンセラーを勧めた先生だ。この人のおかげで、俺は自分の感覚が異端であることに気づけた。中学を卒業した後も、節目節目で連絡をくれる。俺にとって恩人と呼べる人の一人だ。


 「知ってるもなにも、担任だけど……」

 「まじかよ」


 それならば話が早い。俺も一緒に登校するべきだろう。


 立ち直ったのかとか、そう言った余計なことは聞かない。こればっかりは本人が乗り越えるしかない。時間が解決することだってあるし、何より俺ではあまり力にはなれない。


 「食べ終わったらさっさと寝ろよ。せっかく布団だって買ってやったんだから」

 「はいはい。わかりましたよーっと」


 久々に口を開いたと思ったら、露骨に機嫌を良くした橙子に、思わず笑ってしまう。


 色々と思うことはある。だけど少なくともこの三週間、彼女は大人しくしていた。精神的にも、少し落ち着いては来たのだろう。しばらくは大人気ないことを言うのはやめておくとしよう。


 

ーーーー


 

 「お久しぶりです、先生」

 「信也くん!ほんっと、大きくなったわね」


 翌日、俺は橙子と一緒に中学校に来ていた。時間は放課後。授業が終わったタイミングを見計らった。


 久しぶりに恩師である鎌田先生に会いに来たのだ。俺の来訪に驚かない以上、橙子が妹であることは知っていて、こうなることも予想済みだったと言うことか。


 「大変だったわね」

 「それを言うなら、きっと橙子の方が大変でしたよ」


 「……」


 対面に座る鎌田先生に対し、俺の隣に座る橙子は俯いて難しい表情をしている。あれか、気まずいのか。それとも除け者にされてるようで怒ってるのか。


 「明日から授業の方にも参加させるので、またよろしくお願いします」

 「わかったわ。みんな喜ぶわ。橙子ちゃん、人気者だから」 


 そうだったのか。まぁ、モテそうなのは分かる。生憎そう言ったことに無縁な人生を送ってきたのだが。


 「……先生。今から教室行っても良い?まだ誰かいるかもしれないし」

 「そうね。部活で残っている子もいるだろうし、信也くんとはまだお話しすることもあるから」


 「ありがとう、先生」


 そうお礼を告げ、橙子は応接室から出ていった。


 「三者面談みたいだったから、気まずかったのかしらね」

 「ですかね。親なんて柄じゃないですけど」


 思えば三者面談などしたことないな。別にどうでもいいが。


 「さて、色々と大人の話もしないとね」


 余計な話を挟まずに、本題に入ってくれる先生。ここで言う余計な話とは、もちろん両親の死について、俺が傷ついているとか、そういう心配ごとのことだ。橙子のメンタルケアについては助力を願いたいが、俺にとってそれが必要ないことを、先生はちゃんと理解してくれている。それを求めていないことも。

 

 「はい。今の状況なんですけど……」


 俺自身の近況と、橙子が今置かれている状況を説明する。叔母の橙子に対する冷遇は少々誇張して話したため、先生は怒りを隠さずに言葉にする。


 「最低ね」

 「俺もそう思います」


 自分も似たようなものだったことは棚にあげる。大事なのは今なのである。


 「今手続きはしてるんですけど、相続も放棄することになるそうです。なるそうというか、そうするべきみたいなので」

 「ちゃんと弁護士とかに任せてるのね。正解よ。あんなの大人でも難しいんだから」


 学がないことを理由としてあげないあたり、やっぱり教師なんだなぁと役体もなく思う。言葉選びが上手というか、大人として当然なのかもしれないが。


 「つまりはその、金銭面での問題が大きくて……」

 「ということは、高校進学はさせてあげるのね」


 一言で俺の言いたいことを察してくれる先生。話が早くて本当に助かる。


 「色々と思うところもあって、少なくとも高校卒業までは面倒を見ることにしました」

 「偉いわ。ほんと、大人になったのね」


 大人になったことを認められると、それだけで込み上げてくるものがある。特に先生は過程を知っているし、文字通り俺を人にしてくれた恩人だから。


 「ぶっちゃけ、橙子の成績ってどうですか?できれば県立に行ってほしい気持ちはあるんですけど」

 「そうね……正直そんなに良いとは言えないわね。悪くはないけれど、お世辞にも良いとは言えないわ」


 そうなのか。まぁそんなに勉強のできるイメージもなかったが。


 「頭はいい子なんだけどね。勉強とは別のベクトルというか、世渡りは上手いけど勉強は普通ね。うん、普通が1番しっくりくるわ」

 「となると、私立とかになっちゃいますかね……」


 そうなると金銭的にはかなり負担が大きくなる。とはいえ、一度許した以上高校には行かせてやりたい気持ちはある。

 

 自分と同じ道を辿らせるのに抵抗もある。別に辿ってきた道を、今の環境を不幸とは思わないが、学の無さはいろいろな場面で牙を剥く。


 今までだって、会話についていけないことがたくさんあった。それを馬鹿にしてくる人は周りにはいなかったが、それでも悔しい思いはあったのだ。


 行けるなら行ったほうが絶対いい。それが高校という場所のイメージだった。


 本人も行きたがっているようだしな。


 「あとは本人の頑張り次第ね」

 「まぁ、頑張るとは思いますけど……」


 不安だ。とはいえお金の話をするのも憚られる。いや、いっそ腹を割って現状を正しく伝えるべきなのか?


 「一つだけ、アドバイスがあるわ」


 そんな俺の心中を察したのか、先生は助言をしてくれるらしい。本当にありがたい話だ。


 「信也君は、自分が特別な人間なことを自覚しなさい」

 「とくべつ……?どういう意味ですか?」


 自分のことを特別だとは思ったことなどない。特殊だと自覚したことはあるが。


 「信也くんが当たり前に出来ることが、橙子ちゃんにもできると思っちゃダメってこと」

 「それは……」


 「人には向き不向きがあるのよ。あなた達はこれから、互いに互いを補っていかなきゃいけないの」


 自分に出来て、橙子には出来ないこと。


 橙子に出来て、自分には出来ないこと。


 「すぐには分からないかもしれない。でも、覚えておいて」

 「分かりました。覚えておきます」


 先生が言うのだから、きっと大事なことなのだろう。忘れないようにしておこう。


 「じゃあ私も、部活に出ないとだから。何かあったら連絡ちょうだいね?」

 「はい。今日はありがとうございました」


 先生と別れ、校門の前で橙子の帰りを待つ。


 友達に会いに行った以上、邪魔はせず先に帰るべきかとも思ったが、何も言わずに帰るのも憚られた。


 (お、出てきた。友達と一緒か)


 校内から出てきた橙子は、1人の女子生徒と一緒だった。橙子はキョロキョロと辺りを見渡している。一応俺のことを探しているようだ。


 少しして俺を見つけると、友人から離れて俺の方に駆け寄ってきた。


 「あのさ、その、友達と遊んで帰ることになったから……」

 「そうか。じゃあ俺は先に帰るな」


 引き止める理由もない。存分にストレスを発散してくれれば、俺への当たりも多少は柔らかくなるかもしれないしな。


 「その、ファミレスでご飯食べにいくことになったから……」

 「そうか。じゃあ晩飯は作らなくて大丈夫だな?」


 1人ならいつもより適当に済ませてしまうか。帰りにどこかで済ましてしまうのも悪くないな。


 「う、うん。そうなんだけど……その」


 歯切れ悪く、何かを言い淀む橙子。


 「別に気にするなよ?遊びに行くぐらいで文句言わないから。補導だけ気をつけろよ」


 別に門限を設けるつもりもなければ、人間関係に口を挟むつもりもない。その辺は好きにやってくれ。ただ警察のお世話にだけはならないでほしい。普通にめんどくさいから。


 「それは気をつけるけど、その……」

 「なんだよ。言いたいことがあるならーーーー」


 言えよと、そう言おうとしてやめた。橙子が何を伝えたいかが分かったからだ。


 (そっか、こいつ金を持ってないのか)


 荷物だけ持って来た橙子は、文字通り無一文なわけだ。これまでは外出をしなかったから困らなかったが、これからはそういう金も必要になってくるのか。


 「……いくらだ?」

 「あ……その、ファミレスだけど、ドリンクバーも頼むから……」


 「そういうのいいから、いくら欲しいんだ?」 


 別に責めてるわけじゃないのだから、金額だけ言ってくれ。


 「1500円あれば、絶対足りると思う」

 「じゃあとりあえず2000円やるから、お釣りは返すように」


 今時の中学生にとって、遠慮した額なのかは分からないが、無遠慮に無心してきたわけじゃないし、そのぐらいだったら出してやろう。今後のお小遣いに関しては、またきちんと話し合う必要があるな。


 「その、ありがと」

 

 短くそうお礼を言って、橙子は友達の元へと駆け寄っていった。


 その時、友人であろう女の子から鋭い視線を受けたのはような気がした。だけどすぐに橙子に笑顔を向けたため、それを確かめることはできなかった。


 屈託のない笑顔を浮かべる橙子。俺はその背中を、どこか遠い景色のように感じていた。




ーーーー


 

 思い返してみれば、友人と遊びに行った経験など無い。当時の俺はコミュニケーション能力が欠落していたし、そもそも遊ぶことの楽しさも見出すことができていなかった。


 お小遣いも無かったし、ゲームを買い与えられたこともない。だから常に勉強をしていた。家にいて、やることが他になかったのが1番の理由だ。今考えれば、俺なりにゲーム感覚の暇つぶしだったのかもしれない。


 結果成績は良かった。積み上げた評定は、残念ながら意味をなさなかったけれど。


 (羨ましかったのか、俺は)


 橙子の姿がどこか遠いものに感じたのは、文字通り住んでいる世界が違うと感じたからかもしれない。


 性格も違えば、考え方も違う。


 お小遣いをねだったことなど俺にはない。だけど彼女からすれば、それは当然の権利の一つなのだろう。


 子供でいられなかった俺にとって彼女の在り方は眩しいものだ。だから少しばかり羨ましいと思ってしてしまった。


 「楽しかったか?」


 別に何でもない問いかけ。遊びから帰ってきた同居人への問いかけとしては、なにもおかしくない言葉。


 だけどそれに、少しばかり皮肉が混じってしまった。声音に、表情に、無意識のうちに嫉妬が混じった。


 内心でしまったと、自分に向けて舌打ちをした。


 「……ごめん、なさい」


 それに気づかない妹ではなかった。浮かべていた笑顔は消え、代わりに浮かぶのは失望だった。


 その感情の矛先は、彼女自身に向けたものだったのだろう。だから彼女が口にしたのは、お礼ではなく謝罪だった。


 「今のはっ……」

 「……すぐ、寝るから」


 言い訳をしようとする俺を尻目に、橙子は脱衣所へと入っていった。


 彼女からすれば、裏切られたと思うだろう。気にするなと送り出したかと思えば、帰った途端嫌味で刺されたのだ。傷ついて当たり前だ。


 そんなつもりでなかったと、胸を張って言うことができない。その感情を、俺ははっきりと自覚してしまっていたから。


 「なにやってんだよ俺は……」


 その呟きが、誰かに拾われることはなかった。

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