5-5
数々の悲鳴が精神を切り刻む。ベルトコンベアで運搬され、為す術もなく歯車に巻き込まれ、全身を隈無く砕かれる女達の悲鳴だ。
恋は走っていた。耳を塞ぎたかったが、それでは速く走れない。走らなければ、あれをまた逃がしてしまう。今度こそ、逃がすわけにはいかないのだ。
それに、自分は罰を受けねばならない。彼女らの悲鳴を、耳を塞ぐことなく聞かなければならないのなら、それもまた罰なのだろう。
今ならまだ追いつける。あれの気配を追える──急に足がもつれて、思い切り転倒した。
早く立ち上がらなければ。焦る気持ちとは裏腹に、手足が滑って上手く立てない。どうして、床を叩こうと腕を振り上げる。
床は、血と脂にまみれた女達の死体で固められていた──。
「おい、片須!」
がくがくと体を揺さぶられて目が覚めた。目の前にいたのは、蘇芳だった。独房の扉は開いている。
「どうしてここにいるの?」
「お前は無罪になった。でも喜んでる場合じゃねえぞ、小田牧が行方不明になった」
「なに、どういうことなの?」
「説明は後だ、さっさと着替えて出て来い」
混乱したまま返された自分の服に着替え、外に出て蘇芳の車に乗り込む。
「ねえ、どういうことなの?」
「三ツ門町の交番に、捜索願が出されてた家出娘が転がり込んできたんだ。お前が誘拐犯扱いされた、あの件にも関わってた奴だ。そいつが住所が書かれたメモを持ってた。ルルイエ教団の女にそこに軟禁されて、売春させられてたそうだ」
そう聞いて、恋は耳を疑った。
「待って、家出した子はルルイエ教団にいたの?」
「ああ、お前そっくりの女に騙されて連れて行かれたんだと。しかも、あの写真を撮った探偵はその女に殺されたらしい」
どうやら探偵に先を越されたのではなく、探偵の骨と証拠を警察が拾ったらしい。しかし、何故小田牧はルルイエ教団が関わっているとわかったのだろう。
「メモに書かれてた住所に向かったら、三人の女の死体と、バタフライナイフが転がってた。そのナイフから、小田牧の指紋が出たんだ」
「待って、小田牧君がやったっていうの?」
「違う。そもそも人間がやったとは思えない状態だった。地面に叩きつけられて頭が潰れてたのが一人、首の骨を折られたのが一人、内臓どころか体を貫通されたのが一人だ」
冷だ。直感的にそう思った。そんな殺し方ができるのは、冷しかいない。
「それに、家出娘が言うには、大学生くらいの男に助けられて外に出たってことだ。メモもそいつに持たされたんだと」
「そんな……」
あの日、冷を八つ裂きにすればいいのか、と言った彼の横顔が頭に過ぎる。まさか、その言葉を実現させるために。
「……あたしのせいだ」
思わず両手で顔を覆った。
「なにかあったのか」
「あたしに冤罪をかけようとしたのが誰だか、裏を取りたかったの。だから、家出少女を匿ってる奴の話がないか調べてくれって頼んだ」
「それで、家出娘が軟禁されてる場所に行ったのか」
「経緯はわからないけど、多分あたしを誘き寄せるために、冷に餌にされたんだと思う。あんなこと、教えなきゃ良かった……」
また人を巻き込んでしまった。そんな無茶なことをさせるつもりは、全くなかったのに。
「らしくねえぞ、しっかりしろ!」
蘇芳の怒号に、思わず顔を上げる。
「今はあいつを見つけ出すことが先だろ! 教団の施設とか、なにかわかってねえのか!」
そうだ、冷静さを失っていた。とにかく彼を見つけなければ。でも、どうやって。
「……だめ、なにもわかってない……」
「じゃあ、あの夜お前はどうやって死体を見つけたんだ! なんか俺にはわかんねえ方法を使って見つけたんじゃねえのかよ!」
そう言われて、はっとした。そうだ、手懸かりなら一つ持っている。恋は鞄の中から、小田牧に貰ったルルイエ異本の翻訳文を取り出した。コピーとはいえ、彼の筆跡が残っている。
ダッシュボードに地図を広げ、ダウジングに使用する石を垂らす。恐らく、壇日からは離れていないはずだ。焦る気持ちを抑え、静かに石で地図上をなぞっていく。とある一点で、石が激しく左右に振れた。
「ここに向かって!」
蘇芳は即座にエンジンをかけ、アクセルを踏んだ。無線を手に取ると、応援を呼んだようだった。
向かった場所は、三ツ角町のメインストリートから離れた雑居ビルだった。既に数台のパトカーも到着している。
「突撃は俺達がやる。お前は絶対にここから動くなよ」
「気をつけて、相手は人間じゃない。人間相手のセオリーが通じるとは思わないで」
「わかった。とにかく、絶対動くなよ!」
蘇芳は何人もの警官を引き連れて、ビルの中に入っていった。
耳が痛くなるような静寂が広がる。どうか、ここに冷が居ないで欲しい。監禁された小田牧だけがここにいて、何事も無く無事に保護されてほしい。そんな都合の良い未来で
あって欲しかった。
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