5-3

 そう言い残して、蘇芳は足早に立ち去っていった。入れ替わりに、刑務官がやってくる。

「面会だ」

 それだけ告げられてつれてこられた先では、アクリル板越しに小田牧が座っていた。

「小田牧君? どうして」

「お礼を言おうと思って探してたら、警察に連れて行かれるのが見えたので。蘇芳さんに言ったら、面会を取り付けてくれました」

 蘇芳がそんな気を利かせてくれていたのか、と少し驚く。

「どうしてこんなことになっちゃったんですか?」

 そう聞かれ、恋は自分に似た女のせいで誘拐犯に間違われていることを説明した。

「確かに、不気味な話ですね。警察も間違えるほどそっくりなんて」

「でも、本当に良いところに来てくれた。黄衣の王に家出少女達を匿ってる女がいるか、調べてくれない? 多分、あたしの目的はそこにある」

「その目的って、なんですか? 黄衣の王について調べて、神威歌劇団のために動いてたのも、その目的のためなんですよね?」

 彼には説明するべきだろう。黄衣の王の呪いを、噂話と一蹴することのなかった人物だ。

「目的は、ある怪物を殺すこと。その怪物は人を喰って、喰った人間に化けてこの社会で暮らしてる、とんでもない奴なの。それだけじゃない。見てくれは人間だけど、思考は化け物だから、平気で人を不幸にする」

「その怪物が、貴方を不幸に?」

「あたしはまだ良い方。あいつに騙されてただけだから。でも、あたしのせいで何人もの女の子が酷い目にあった。取り返しのつかないことになった娘もいる。だから、これ以上被害者が出る前にけりをつけないといけない」

 既に何人もの人を巻き込んでしまった。なんとしても冷を抹殺しなければならない。

「……その化け物を八つ裂きにしたら、貴方の不幸は終わるんですね?」

「え……?」

 八つ裂き、という物騒な言葉に意表を突かれ、恋は小田牧の顔を見る。いつもの、どこを見ているかわからないようなぼんやりとした目付きではなかった。完全に目が据わっている。まるで、麻薬が切れた薬物中毒者のような、鬼気迫る表情だった。

「その女については調べておきます」

 そう言って、彼は立ち上がる。

「待って、無茶なことはしないで。相手は人間じゃないんだから」

 なにか嫌な予感がして、その背中に投げかける。彼は振り向かずに答えた。

「大丈夫ですよ。調べるだけなら、そう難しいことではないと思うので」

 では、と彼は歩き出し、扉の向こうに消えていった。

 なんだろう。なにか嫌な予感がする。彼からただならぬ気配を感じた。彼に冷のことを話したのは、失策だっただろうか。一体何が彼の琴線に触れたのかはわからないが。


 緑川が菊田を追って辿りついたのは、街中にある何の変哲も無い雑居ビルだった。

 恋に会わせてはならない者の正体を掴むため、足音を殺してそのビルに入り込む。中に入っているテナントは皆営業時間外なのか、人の気配は一切しなかった。

 階段を上ると、菊田の声が聞こえた。普段声を荒げることの無い彼女が、滲み出る必死さを隠そうともせず誰かに詰め寄っている。

「あなたの言うとおり、片須恋が劇団と接触するように仕向けたわ! なのに、どうしてうまくいかないの?」

 必死になる余りに気が回らなかったのか、ドアは閉め切られておらず、少しだけ隙間が空いていた。音を立てないように、慎重に隙間から中の様子を伺う。隙間からは、誰かに縋り付くように崩れ落ちる菊田の姿が見えた。この角度からでは、彼女の姿しか見えない。

「あの女を排除したら、彼を取り返せるはずじゃなかったの?」

 彼、とは恐らく自分のことだろう。彼女は、自分に思いを寄せていたらしい。職場の人間をそんな風に見たことがなかったから、全く気づかなかった。

「ねえ、どうしてよ!」

 彼女がそう叫んだ瞬間、その横顔に暗い影が落ちた。そして、ばくりと彼女の上半身は「喰われた」。

 あまりのことに、緑川は悲鳴すら上げられなかった。爬虫類の顎に似た形の黒い影が、彼女の上半身を一瞬で喰いちぎったのだ。それはまさしく悪夢のような光景であり、同時に悪夢であればどんなに良かっただろうかと、緑川に思わせた。

 その影の顎は、残った下半身を軽々と咥えて飲み込んだ。隙間から見える限り、部屋の中は真っ赤に染まっていた。

 咄嗟に緑川は這いずるように階段を上り、上階に隠れる。あの顎に見つかれば、自分も同じ目に遭うのは火を見るより明らかだった。

 ギイ、と金属が軋む、扉が開く音がした。階段の影から、そっと様子を伺う。

 扉から出てきたのは、若い男だった。しかし、彼が人間ではないということは一目でわかった。その背中は異様に隆起し、あの顎が生えていたのだ。生えている、としか言いようが無かった。

 ぐちゃり、と人体からはありえない音を立てて、黒い顎は折れ曲がるように歪み、男の背中に吸い込まれていった。隆起していた背中は何事も無かったかのようにまっすぐと伸び、彼を普通の人間に見せかけた。そのまま、彼は階段を下っていった。

 あれが、片須恋が追っていた「目的」。

 そう理解した瞬間、そのおぞましい真実、そして正体を知ってしまった緑川は酷い目眩を起こした。そしてそのまま、意識は暗転した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る