4-7
それからの日々は多忙であった。通常の仕事をこなしつつ、
一時間近くに渡って怒鳴られ続けていた一団が、ようやく自分達のシーンの稽古を終えて、そろって壁際で小道具を作り始めた。
「なにか、私にもできることはありますか?」
その一団に近づき、恋は声をかける。これが、かなり効果的なのだ。
劇の稽古は場面ごとに行う。そしてその場面は開幕から順番に稽古されるわけではない。役者達には各々スケジュールや都合があり、その場面に必要な役者が揃っていないこともままあるからだ。ただでさえそんな風に稽古が進行するのに、事あるごとに犬養の怒号が飛ぶ状況では稽古風景からあらすじの推察などできるはずもない。そこで、役者達から情報を収集することにした。
「そんな、外部の人にやらせるなんて申し訳ないです」
まだあどけなさが残る女優が慌てたように遠慮する。その目は一見してわかるほど潤んでいる。
「いや、手伝ってもらったほうがいい。小道具作りも遅れてるんだ」
横から、傍らにいた俳優が言う。三十代後半くらいの、経験がありそうな男だ。精悍な顔立ちをしているが、その顔には色濃く疲労が浮かんでいる。
彼等の輪の中に入り、小道具作りの手順を教えてもらいながら、粘土で形を作っていく。恋が今作っているのは、のっぺりとした仮面だ。
「これは、どこに出てくるんですか?」
粘土を固めながら問いかけると、先程の女優が答えた。
「それは、物語の中心になるハスターの顔です」
「顔……?」
粘土を固めて白く濡れ、という指示だったが、後からなにかパーツをつけるのだろうかと訝しんでいると。別の若い俳優が付け足した。
「ハスターはわざと顔がわからないように作るんですよ。不気味でしょう。クライマックスはこのハスターの顔を観たキャラが仮面だと思って剥ぎ取ろうとする。そこで顔だと言うことに気づいて、仮面ではない、仮面ではない、って叫びながら発狂するんです」
説明している内に、先程まで引きつっていた彼の顔が少し緩む。気分転換をしたくなるのか、彼等は恋の問いかけに良く答えてくれた。
「その役はどなたが?」
「紫さんですよ。ヒロインですね」
こんな要領で、恋は役者達から黄衣の王の欠片を集めていた。二人に礼を言い、粘土をこねくり回しながら頭の中で集めてきた欠片を繋ぎ直してみようとする。
宇宙に存在するカルコサなる土地で、人々は黄衣の王、ハスターの影に怯える。恐怖の中で、やがてハスターを崇拝する者も現れ、カルコサの地は混乱に満ちる。それに乗じて、ハスターは復活を果たそうと──。
「何度言わせたらわかるんだ!」
稽古場全体を揺らしかねない怒声に、全員が身を縮こまらせた。犬養のものだ。
「誓、もう時間が来てるわ。ここは次回の課題にしましょう」
勢いのまま言葉を続けようとする犬養に対し、紫がきっぱりと言い放つ。それを受けて、彼は舌打ちしながら車椅子を反転させた。
「今日言われたことを次回までに習得してこい。いいな」
怒鳴りつけた役者を睨むようにして、彼は稽古場を去っていった。ふう、と紫がため息をつく。稽古の終了時間が来てよかったと、きっと誰もがそう思っているだろう。
「ほらみんな、暗い顔してないで! さっさと片付けて飲みに行きましょう!」
そういって紫は恋に向かって振り返る。
「今日、飲み会の約束をしてたんです。片須さんもどうですか?」
「いいんですか? 部外者がお邪魔してしまって」
「邪魔なんて……私が無理を言ってお稽古に付き合わせてるんですから、是非来てください」
それでは、と彼女の言葉に甘えることにする。勿論情報収集という下心もあったが。
後片付けを済ませて、近くの居酒屋チェーン店に入った。余所者は余所者らしく下座に座ろうとすると、紫に手を引かれてあれよあれよという内に彼女の隣、即ち真ん中の特等席に座らされてしまった。
「みんな今日もお疲れ様でした! お稽古は辛いけど、飲んで気分を変えて行きましょう。今日は片須さんも来てくれました!」
「いよっ、看板女優を守った英雄!」
紫が紹介すると、若手の女優が囃し立てる。ルルイエ教団の襲撃から彼女を守ったことを言っているのだろう。
「荒れた稽古場に咲く、一輪の彼岸花!」
「彼岸花って、もっと縁起のいい花があるだろ」
「そうかも。でもなんか、片須さんって彼岸花って感じがして」
わいわいと盛り上がる俳優達を見て、紫はくすりと笑った。
「皆ドリンクは来た? それじゃあ、乾杯!」
乾杯の音頭と共に、宴が始まった。先ほどまでの暗い雰囲気が嘘のようだ。
「それにしても、本当によくやってくれたよ」
宴が進むにつれて、各人が席を移動し始めた。稽古場では苦い顔をしていた精悍な顔立ちの俳優が、恋の隣に座るなりしみじみと言った。
「
「守ったなんて、そんな」
「何言ってんだ。主宰があれで、わけのわからん連中にも狙われて……こんな状況だ、桔梗はきっと君の事を心強く思ってる」
大分飲んでいるのだろう。顔が真っ赤になっている。
「皆、怖くないんですか。おかしなカルト宗教に目を付けられるなんて」
「勿論気味が悪いね。何せ、恨まれる心当たりが全く無い。だけど感染症が流行ってから三年間、俺達は舞台に立ちたいって気持ちをずっと我慢してきたんだ。やっと芝居ができるんだから、ぽっと出のカルト宗教なんかに負けてられるかって話だ」
彼はぐいっとジョッキを煽る。まるで三年間の鬱憤を晴らそうとしているのかのようだった。
「それより、この芝居が終わってもさ、桔梗と仲良くしてくれよ。桔梗を助けてやって欲しいんだ」
「私が? 助けになるでしょうか」
こんな状況でも凛としている彼女は、自分よりもずっと強いはずだ。それに、色んなものを失ってきた自分が彼女に助けになれるなど、到底思えなかった。
「一緒にいてくれるだけで十分助けになるさ。桔梗には、劇団や役者と関係ない友達が必要なんだ」
「ちょっと武田さん、片須さんに絡まないでくださいよ!」
若手の女優達がおどけるようにして割り込んできた。
「ねえねえ、片須さんってオカルトライターなんですよね? 怖い話とか聞かせてくれませんか?」
「それ、めっちゃ聞きたい!」
もしかしたら、皆努めて明るく振舞おうとしているのかもしれない、と思った。流行り病で活躍の場を奪われ、やっと日の目を見れると思えば、舞台を中止に追い込もうとする理不尽な悪意に晒されているのだ。こんな状況に負けてたまるかと自分達を鼓舞する為に、無邪気にはしゃいでいるふりをしているのかもしれない、と。
折を見て中座するつもりだったが、結局最後まで居座ってしまった。もう終電が迫っている。
──舞台、楽しみだな。
駅のホームで白い息を吐きながらそう思った。あの宴はとても暖かかった。きっと、全員の芝居にかける情熱が宴の場を温めていたのだろう。その情熱が結実する舞台を、絶対に見たい。
不意に、携帯が振動した。液晶には、先日カルト宗教の「黄衣の王」についての調査を依頼した少女の名前が表示されている。SNSのメッセージだ。
液晶をタップして表示させる。そこには黄衣の王の信者はほとんど少女や若い女性であること、ハスターという、宇宙に潜んでいる神を信仰していることなどが書かれていた。
ヒアデス星団に君臨するハスター。劇の設定と全く同じだ。こんなことが偶然一致するなどありえない。やはり、黄衣の王と犬養誓は繋がっている。
メッセージを読み進めていくと、更に気になる記述があった。
『教団は、ハスターは人間に化けて色んなことをしたって言ってる。一番最近地球に現れたのは第二次世界大戦の時で、ヒトラーの傍にいたらしい。そんなわけないのにね』
緑川からの電話を思い出す。黄衣の王は、ヒトラー政権下のドイツで上演され、集団ヒステリーを引き起こしたという噂──。この符合は、偶然だろうか。
ヒトラーが第二次世界大戦を通じて何をしようとしたかは言うまでもない。アーリア人を頂点とした世界の創造。即ち、世界征服。その途上で引き起こした悲劇の数々も。
もし、ヒトラーの傍らに本当にハスターがいたとしたら。
その時、ホームに終電が滑り込んできた。そんな馬鹿な、カルト宗教の法螺話だと頭を振って、恋は電車に乗り込んだ。
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