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 ただ、ホストと客という関係である以上、いずれ終わるものだという覚悟は常に頭の隅に、それでも重くのしかかっていた。だからこそだった。この関係がまさしくままごと遊びであることがわかっていたから、尚更恋は「姉らしく」振る舞おうとした。

「たまにはここから出よう」

 ある夜。もう終電が無くなるという時間にも関わらず、冷は恋の手を引いて電車に乗った。次に彼が恋の手を引いて電車を降りたのは、高円寺だった。こんな時間に遊ぶ場所などあるのかと問いかけると、秘密の場所があるんだと彼は笑った。

 連れて行かれた先は、少々煤けた雑居ビルの一室だった。そこには大きな砂時計のような容器に管を繋いだ、楽器のようなものを吸っては煙を吐いて楽しんでいる人々がいた。

「何かわかる?」

「阿片窟?」

「ホームズじゃないんだから」

 こんな風に煙を吐いて楽しむ場所など、阿片窟しか思いつかなかった。しかし、どこかで見たことがある風景だと少し考える。

「不思議の国のアリスで、芋虫が吸ってた奴に似てる」

「そうだよ。水煙草だ」

 店内には甘い香りが漂っていて、恋の気分を昂揚させた。水煙草という存在だけは聞いたことがある。果実もハーブも、お菓子の香りも自由自在に楽しめる、中東生まれの嗜好品。

 十五分ほど後には、恋もまた店内の片隅でチョコレートの香りを楽しんでいた。チョコレートに混ざるキャラメルと、ほのかなバニラの香りが、複雑で奥深い甘みを生み出していた。一方冷の方には、管に恋のものとは違うパーツがついていた。冷気を放っているそれは、恐らく煙を冷やすためのものだろう。蒸し暑い夜にはうってつけのオプションだ。

 ふと、彼は無言で冷たい管を恋に差し出した。恋も当然のように受け取り、管から煙を吸い込んだ。冷たい煙が喉に当たり、気道を通って香りを放つ。冷たく、冴えた、濾過された清水のような清々しさが鼻を抜けていった。これと似た感覚を、恋もそう多くはないが体感したことがある。

「……雪?」

 幼い頃、珍しく雪が積もって友達と一緒に真っ白になって遊んだ時の香りだ。

「そう、雪。凄く無理を言って作って貰った、特注の香りなんだ」

「凄い、こんなこともできるんだ。雪が好きなの?」

 雪国が出身地なのだろうかと思いながら問いかける。彼は胸一杯に煙を吸い込んでふわり、と吐き出すと、暫く間を置いて語り出した。

「南極には、エベレストと同じくらいの高さの山が山脈を作っているんだ」

 恋の問いかけを無視して始まった、突拍子もない話。だが、もう慣れたことだ。甘い煙を吐き出しながら、耳を傾ける。

「その山の上には高原がある。その高原には、今の技術でも建てるのに苦労するような、滅茶苦茶な尖塔や建築物の跡が残っている。どういうことかわかる?」

「そこに文明があったということね。それも、後に系譜が残らなかったものが」

「そう。そこには大昔、人間に代わる支配者が暮らしていた」

「氷河期の前には、高度に栄えた文明があった、って仮説ね」

 聞いたことがある。氷河期が滅ぼしたのは恐竜だけではなく、今の技術よりも遙かに高度なオーバーテクノロジーを持った文明をも巻き添えにしたという説。今の文明もいずれはそこに追いついて、そしていつか再び到来する氷河期によって滅ぼされる──世界はそれを永遠に繰り返しているのだ、と中学の先生が与太話にしていた。

「南極に滅茶苦茶な構造の建築物を作るなんて、どんなテクノロジーだったのかしら」

「奴隷だよ。岩肌から直接岩をくり抜く、あるいは大きな岩をそのまま持ち上げて幾重にも積み上げることができる怪力の奴隷を作り出したんだ。その奴隷は不思議な鳴き声で意思疎通を図っていた。「テケリ・リ、テケリ・リ」ってね」

「可愛い鳴き声ね」

 恋はマシュマロのような巨人を思い浮かべていた。

「でも、その文明も終わりを告げた。終焉が空から降ってきた。とは言っても氷河期を起こした隕石じゃない。もっと恐ろしくて、悍ましいものだ。そのせいで、高原は山脈の上に孤立した楽園ではなくなってしまった。南極にありながら、中央アジアの未踏の地にも隣り合い、宇宙にも隣り合っている。そして、人間じゃないもの達と、信仰を失った旧き神々が暮らす異世界にも」

 まるで見てきたように語る彼の言葉に、恋はいつの間にか煙を吸うのも忘れて聞き入っていた。そんなことがあるのだろうか。空間と時空がねじ曲がってしまった、この世ならざるものと接触する、高原が。

「その高原はレンという名前で、レン高原を超えた先に広がる異世界は未知なるカダスと呼ばれた。貴方と同じ名前だね。片須恋さん」

「なあんだ」

 可笑しくて、恋は笑い出してしまった。人の名前を勝手にSFスペクタクルにしないで、と言って、久しぶりに大きく煙を吸い込んだ。後は他愛も無い話をして、甘い煙を楽しんで、夜を明かした。

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