第123話 女たちの内緒話


 リラ・ライラック。


 レオン・ソレイユ様の婚約者で、元はブルームバレー国の王太子と婚約をしていたと聞きました。


 薄紫の長い髪に、輝くような緑の瞳をした方。女性としてはかなり背が高いけれど、レオン様の隣だとあつらえたように丁度いい高さです。


 国で一番美しいと呼ばれてきましたが、彼女も私に負けない美しさから、幼いころから厳しく管理されてきたのでしょう。


 食事や運動、おやつの制限、そしていずれは国母にと、王妃になれるよう高い教養を求められ、心許せるお友達を作ることも、恋をすることも許されず。それが貴族の家に産まれた義務だと言うならば私は受け入れます。けれど、その努力はあの男の気まぐれと、そしてあの女の悪意で無に介されました。


 奴隷商から助けられ食事を満足に食べて眠ってから、復讐をしたいと心に黒いものが浮かびました。


 そのために手を貸してくれるというのならば、ジェイド王の依頼を受けていいとすら思っていました。


 私を助けた方を苦しめる事をしてでも復讐をしようと、そう思っていたのです。


「ああ、ここにライラックがあったのですか」


 温室には季節外れのライラックの花が咲いていました。


 ブルームバレー国は花の名前を持つ貴族が多い国です。垂れ下がるライラックの花はどこか彼女と重なる雰囲気がありました。


「あの、わたくしが愛称でお呼びするのは失礼かと思いますので、リラ様の正式なお名前を伺っても?」


 かの国では貴族はリラという短い名前を付けません。レオン様やミモザ様は例外だと伺いました。公爵夫人のビオラ様はご実家から疎まれ平民のように短い名しか与えられず、第二夫人はその名前と揃いになるよう配慮されたと聞きました。


「……ああ、私の産まれはあまりよくありません。なので、本名がリラなのです。お気になさらずリラとお呼びください」


 会った時と違い、貴族としてこちらにも対応するリラ様は、完ぺきではないものの上位の貴族令嬢として恥ずかしいものではありません。それだというのに、下賤の生まれだと言ってしまいます。


 名前を婚約に際して変えることもできたでしょう。


「重ねて失礼いたしました」


 レオン様からエスコートを受けられるようにわざとあんな不躾な事をしました。けれど、リラ様は当たり前にそれを譲ろうとされました。


 それを拒否したレオン様は私の卑しい考えを見透かしていたのが分かります。公爵家の跡取りであれば、女性の罠についても学んでいるでしょう。私が婚約していた殿方は、まんまと引っかかった事に比べ、余程上に立つ者として正しい心構えです。


 権力を持ったものが色を好むのは仕方ない事。結婚しても、愛妾や女遊びをとやかく言うつもりもございませんでした。最低限、私が産んだ子を跡取りとする。それ以外は公の場で私を正妃として遇する態度を取ってくださればよかったのです。むしろ、あの方に執着されるよりは、余程ありがたいことです。


 まさか、貴族かも怪しい女に寝取られるとは思っていませんでした。正直、わたくしが甘かったのです。正式に結婚するまでは、その立場を危うくするものは、秘密裏に排除すべきでした。


「レオン様に、何か運命を感じたり、びびっと来るものでもございました?」


 嫌味か牽制と思ったが、あまりにもあっさりと問いかけられてびくりとする。本妻の余裕と言うものだろうか。


「わたくしよりも、お似合いだと思います。私は爵位も低いですから」


「いえ……婚約者を奪われたことのある身で、同じようなことなど」


 言いながら恥ずかしくなる。そう、私はレレンと同じことをしようとしていた。


「リラ様は……レオン様と別れたいのですか?」


「……」


 はっとして問いかけると、リラ様は曖昧にほほ笑んだ。


 外面のいい殿方が家内では酷いこともあります。


「リラ様が……レオン様とのご結婚を望まれていないのであれば、私が手を貸すことは可能です。あのままであれば、悲壮な未来しかなかったことは理解しています。助けていただいた事に報いたいのです」


 もし、レレンが私に事前に申告し、処刑や国外追放ではなく、円満な婚約破棄であればこちらからお金を払ってもよかったほどです。無論、お父様はお怒りになったでしょう。けれど、好きか嫌いかで言えば、私はシーガザヌス様を苦手に思っていました。いえ、家門のためには輿入れは仕方ない事です。それが許されないことはわかっています。


「それは、レオン様を誘惑するということですか?」


「もちろん、リラ様が求めるのであればです。それに……ジェイド殿下が、リラ様を愛してしまったと伺いました……。リラ様は、殿下のことはどのようにお考えですか」


 自分の安全と今後を考えた時、ジェイド王の申し出は断る理由のないものでした。


 他国とはいえ公爵家へ嫁ぎ、ルビアナ国にも恩を売れます。敵対するマービュリア国に対して、武力的な介入も後押しができたかもしれません。


 そして、婚約者を奪われたリラ様は、それ以上の立場である王が受け入れると言っているのです。


「ああ……殿下からのご命令があったのですか」


 リラ様は納得したように笑った。


「レオン様と婚約破棄をされた後は、誰かと婚約するつもりはございません。女性がひとりで生きるのは大変ですけれど、殿方に頼り切って生きるよりも余程理想的です。もし、あなたとレオン様が運命の出会いだったとしても、わたしがこちらの国王に嫁ぐことはありません」


 婚約破棄は構わないというリラ様にそれほどレオン様は酷い扱いをしているのかと、怒りが湧いてきます。


「リラ様は……レオン様から酷い扱いを」


 他に目があることを考え、さらに声を落として問いかけます。


「ああ、ご心配なさらないでください。レオン様は、他の方たちと違って、とてもいい方です。あなたのこともきっと大切にしてくださると思います」


「あの……どのような点がいい方なのでしょうか」


 もし、シーガザヌス様よりも酷い方であれば、また地獄です。自分の将来を心配して問いかけてしまう。確かに、私の卑しい考えを見透かした目は冷たいものでした。


「そうですね……家格がかなり低い私に対しても正式な婚約者として対応してくれますし、こちらを尊重してくださいます。ああ、でも無駄にお茶や食事を一緒にとるのは面倒な時もあるかと思います。贈り物も、ある程度はこちらに配慮してくれますが、用意したものを有無なく渡すのはちょっとよろしくないかもしれません」


 後は何があったろうとリラ様が考える。


「もし、レオン様と婚約される場合は、あちらの国の法律家に知り合いがおりますから、その方にお話しをして個人的な婚約契約書を作られるとよろしいかと。無理を強いる方ではありませんが、線引きは大事ですから」


 リラ様の言葉にめまいがする。


「あの、あちらに少し座っても」


 ゆるゆると歩いていましたが、ベンチを見つけて腰かけます。リラ様も座られました。


 婚約契約書はわたくしの国にもある文化ですが、家同士が行うものです。個人で契約書を作ってよかったのであれば、作っておくのでした。無理強いをされた時、拒否をするととても不敬だと言われてしまったのは未だに悔しい出来事です。初めての口づけも、結婚式までとっておきたいと言ったのに、あのナメクジのような感覚は今でも屈辱として忘れることはできません。


 それを作らなければならない相手と考えるべきか、女性に配慮した方と考えるべきか悩みます。


「将来結婚しても、良くしてくださると思います」


「あの、リラ様はレオン様がお嫌いなのですか。他に想う方が?」


 自分の婚約者を他人にこんなに進める理由が分からなくて、縋るように理由を問いました。どれだけいい方でも、合わないこともありますし、他に想い人がいるのに無理やり婚約を命じられることも少なくありません。


「いえ、嫌いではありませんし、想い人もいませんわ」


 建前上言っているだけか判断ができません。そもそもこんなにはっきりと聞くのも礼儀がなっていないこともわかります。


 どういうことか判断ができず、誰かに意見を聞きたくて彷徨った視線の先には赤い髪のメイドがいました。


 目が合うと、そのメイドが一歩前へ出た。


「盗み聞きをするつもりはございませんでしたが、誤解のないようにお話してもよろしいでしょうか?」


「許します」


「レオン様は、リラ様を可愛がり世話をするのが趣味でございます。女性ならば誰でもよいわけではございません。リラ様のお言葉を真に受けないことをお勧めします。それに、自分のことを本人が一番理解できるわけではございません」


 ソレイユ家のメイドです。無論、主に良くないことは言わないでしょう。けれど、妙に納得しました。


 わたくしも婚約破棄をされた身。その上奴隷商の許にいたのです。女性としての価値はもうないようなものです。


 リラ様は単に愛される自身がないだけだと考えれば理解ができます。


 結婚前はうつ症状がでることもございます。生活が変わるのですから当たり前です。リラ様は、公爵家に嫁ぐに足るのか、不安になってその立場を手放すことを考えておられるのでしょう。けれど、レオン様の事を想っているからこそ、悩んでいるのでしょう。


「……わたくし、決めましたわ」


 復讐はしたい。けれど、わたしにも誇りがございます。捨てる前に救われた誇りです。


「リラ様、お手伝いをお願いしたいのです」


 リラ様の手を取り、両手で包みます。声を落として、ルビアナ国の者に聞こえないように気を付けます。


「わたくしが、ジェイド殿下に嫁ぐ手伝いをしてくださいませ」


 リラ様は、予想外だったのでしょう。驚いた顔をされました。



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