第2話 正式な婚約破棄と準男爵の爵位


 盛大な婚約破棄から一夜明け、めでたく十二回目の婚約破棄が正式に行われた。


 婚約時には両家合意の元、契約書が作成される。なので口約束で婚約破棄はできない。できるのは事実上の婚約破棄だけだ。書面を交わして、正式なものになる。


 基本的には、婚約時に婚姻前に婚約破棄となった場合の互いのペナルティも記されている。


 そんな基本の話も、9番目の婚約者に教えてもらうまでは知らなかった。それほどまでに、私無知な少女だった。


 何回目の婚約までだっただろうか。家族は私のために、新しい婚約者を探してくれていると考えていたのは。


「それでは、こちらにサインを」


 法律の師であるシーモア・サイプレス伯爵が兄であるアルフレッド・ライラック男爵に署名を促す。


 それを、いつもの嘘くさい微笑みで見届ける。


 慣れた手つきで署名を済ました兄に続いて、シーモア卿がこちらを見た。


「では、リラ嬢。こちらに署名を」


 9番目のもと婚約者のシーモア卿がわずかに目配せをして促す。


 白髪の中、前髪の一房だけ灰色の元の髪色が残り、顔にはこれまでずっとしかめっ面で生きてきたことを示す深い皴が刻まれている。


 祖父というべき年齢の彼は、元婚約者の中でも一番良好な関係を続けている相手だった。


 署名が済んだ書類を、シーモア卿はすぐさま封にしまい、控えていた王の使いに渡した。


「これで、婚姻破棄は正式なものとなりました。以後、王家に対してなんら請求することはできません。また、今回の婚約破棄の慰謝料については、後日決済会議で承認後に銀行へ振り込まれます」


「妹の幸せを想えば、とても残念ではありますが……聖女様が見つかったのです。仕方がない事でしょう」


 婚約契約書には聖女が見つかった場合、かなり高額の慰謝料が支払われることが明記されていた。


 婚約期間は最長5年。長くとも3年程度の婚約期間が多い中、いくら王太子が15だからと言って、かなり長い期間だった。そして、5年の間に聖女が見つからなかった場合、慰労金としていくらかの慰謝料をもって婚約破棄となることが決まっていた。つまり、どう転んでも私が王太子と正式な婚姻はなされないという契約の元、婚姻が結ばれていた。


 王族とて、ただ水魔法が使えるだけの男爵家の娘、それも過去11回の婚約破棄歴がある女を将来の王妃として受け入れることはではないだろう。


 それでも、聖女不在があまりに長く、馬鹿らしい噂であっても、縋りたくなったのだ。


 王太子に婚約破棄一回の不名誉が付くことを王妃様は大層嘆いたそうだが、マリウス王太子も、苦しむ国民のためにできることは全てすべきだとこの婚約を受け入れたそうだ。


 私自身、ハッピー・ライラックなどという不名誉を与えられ、婚約させられた。これで5年間、聖女が現れなければ飛んだ恥さらしだと思っていたが、半年ほど経ったある日、聖女が見つかったのだ。


 偶然だろうが、人間は努力した結果得たものだと思いたがる。


 おかげで、兄は所定の大金を手に入れた。


「リラ、荷物をまとめて家に帰るぞ。母さんも、久しぶりにお前が帰れば喜ぶだろう」


 アルフレッドが、心の底からうれしそうな笑みで手を差し出す。


 男爵領で仕事をさせてから、すぐにまた新しい婚約者の元へ送り出す予定なのだろう。


 差し出された白い手袋に包まれた手を見つめ、困ったわと頬に手を当てて首を傾げる。


「お兄様、申し訳ありません。ライラック男爵領に帰ることはできないのです」


「……何?」


 それまでは上機嫌だったが、妹に拒否され途端に不機嫌になった。


「それについては私が説明いたしましょう」


 シーモア卿がいつもの怖い顔で続ける。


「国王陛下より、今回の貢献に対してリラ嬢には準男爵位が与えられることとなりました」


「準男爵だと?」


 爵位が上である伯爵に対して、言葉が崩れるほどに驚いている。


「準男爵は貴族にはなりますが、領地を持たず、また魔法適正の有無も関係のない名誉貴族となります。特例を除いて女性が爵位を継ぐことはありませんが、準男爵に限っては他の要項と同様にこれが適応されません。リラ嬢の今回の国への貢献が認められた結果ですので、生家であるライラック男爵家にとっても、とても名誉なことでしょう」


 男爵よりも上の爵位の貴族は国より領地が下賜され、そこで得た収入から国へ税金を支払う。準男爵は領地を与えられず、その種類によっては税金の支払い義務もない名誉貴族だ。


 準男爵の爵位を得るものは主に3つの分類に分けることができる。


 最初に魔法適正があり魔力量も一定以上ある平民や爵位を継がない貴族出身の子息に与えられる。貴族と結婚する前段階や、国防など国の仕事に就くために準男爵を与えて平民とは一線を画すためだ。魔法を使える者を管理する意味合いもある。


 次に多いのが魔法を使えない平民で、一定以上の金額を国に寄付することで準男爵の爵位を買うのだ。この場合のみ、爵位維持のために毎年寄付をする必要がある。主に貴族相手の商売をするために大商家が準男爵になる。貴族の集まりに参加したり、商売をするには平民では都合が悪いことが多いので必要不可欠な出資だ。国も、財源の一つとして利用できるのでウィンウィンなのだ。


 最後に、今回私が準男爵を賜った項目だ。これが、一番数が少ない。国への貢献で与えられる。なので貴族階級を持っている者が準男爵を与えられ二重爵位になることがある。


 私の場合は魔法適正も高いのでそちらでの授与も不可能ではないが、魔法適正のある女性は基本的に貴族の家へ嫁に出されるので滅多にない。


 今回、聖女の発見に直接かかわったかは不明にしろ、その結果の婚約破棄を快く受け入れたことで、代わりに準男爵を与えるというかなり異例の対応だ。


 正式な貴族と平民との境目としての地位ではあるが、扱いは一応貴族になる。


「一般的に、準男爵を与えられたものが跡取りでない場合、元の家門を離れることとなります」


 二重爵位は別として、貴族の子息、特に跡目でないものが準男爵を得た場合、新しい家門として独立することができる。


「は……何をおっしゃられているのか。夫を持たない妹が、たとえ爵位を得たとしても実家に帰るのは当たり前のことでしょう」


 確かに、当たり前ではあるだろうし、本人が望めば家門を分けても実家に帰ることは自由だ。


 婚約破棄されれば家へ戻るもの。私もそう思っていた。


「お兄様。わたくしはもう、家に迷惑をかけたくないのです。12度も婚約を破棄されるような妹がいては、ライラック男爵家の恥となってしまいます。ですのでどうか、私のことは今後お気になさらずお過ごしください」


 わずかに魔力が漏れるのを、目元に集め、涙の代わりにする。


「馬鹿を言うな! 爵位持ちになったところで準男爵、土地も家もないだろう。今すぐ家に帰るぞ!」


 無理やりに腕を掴まれる。その掴んだ手をシーモア卿の杖が鋭く制した。


「ご兄弟とはいえ、既に陛下より家門を分けられた立場、いくら爵位が上であろうと、婦人に対しての狼藉は見過ごせませんな」


「っ」


 シーモア卿が味方でないと今更気づいたのか、酷い形相で手を引いた。


「以前婚約破棄をされた身で、また寄りでも戻すおつもりか!?」


「既に幸運はいただきましたのでその必要はないでしょう。アルフレッド殿のお帰りだ。門までご案内を」


 控えていた近衛兵が後ろに立ったのを見て、こちらを睨みつける。


「お兄様、長らくお世話になりました。ご健勝で」


 ひらひらと手を振って見送る。


「馬鹿げた手を使っても、貴族の娘であることを忘れるなっ」


 吐き捨てた台詞に辟易しながらドアが閉まるのを見つめる。


 貴族の娘は平民の娘よりも人権がない。


 無論、着飾られ、贅沢をして暮らせることが多いので、幸せな籠の鳥であることを否定はしない。私も、それが普通だと思っていた。


 親が認めた結婚のみが家から出る方法で、その相手を選ぶこともできない。選ぶ基準は家の利益になるかだけで、娘の幸せのためであることは滅多にない。


 娘は貴族家にとっては財産の一つでしかないのだ。特に魔力適正のある娘は。






「上手く準男爵位を得られて何よりだ」


 シーモア卿が、新しく入れられたお茶を嗜みながら短く感想を告げる。


「おじい様のご尽力、感謝いたしますわ。これでよーやく家の呪縛から解き放たれました」


 王太子との婚約破棄。なんとめでたい事か。おかげで私は家に戻る義務を放棄できるようになった。これだけのことがどれだけ価値のあることか。


「喜ぶのはまだ早い。ハッピー・ライラックなどと呼んでいたのは一部だったが、今回の一件でお主と婚約したがるバカ者は増えることだろう。やつは私がお主と婚約する際いった言葉は屈辱でしかなかった」


 その仕返しとして、今回の仕事を格安で引き受けてくれた。実際何を言われたのかは聞いていないが、今でも怒りがぶり返すくらいだから馬鹿な事を云ったのだろう。


「既に家門が分かれたので、私に婚約を強要することはできません。下位爵位とはいえ、裁判を開くことはできますし、今回国王に恩を売ることができたので、準男爵だからと簡単に負けることはないでしょう」


 裁判ですら、平民と貴族は違う。貴族が平民を訴えることはできても、逆はほぼ不可能だ。だからこそ、貴族相手に商売をする商人は準男爵を買うともいえる。準男爵でも、料金を踏み倒す貴族を訴えることはできる。勝てなかったとしても、貴族側は信用を傷つけられるため、抑止の一つとなる。


「お主が思っている以上に、馬鹿というのは頭が悪い。理性と知性があるからチェスが成立するのだ。馬鹿は負けたと知ると盤上をひっくり返してでも事実をなかったことにする。くれぐれも気を付けるように」


 法律家として生きてきたシーモア卿が顔に嫌悪の皴を刻んで言う。


 理不尽な裁判の対応もしてきた人の言葉は重い。


「最低でも子爵位は賜るべきだったというのに」


「土地持ちになったら、次は財産目的の連中を相手にしなくてはならなくなりますよ。それに、私が未婚のままならば生家に渡る可能性もあるでしょう。そうなったら、婚約破棄商売ではなく私を殺して遺産相続に切り替えるでしょう」


 男爵位よりも上の地位を得ることも可能だった。別に私が聖女様を見つけたわけではないが、噂にすがった結果、十年発見されなかったものが半年で見つかったのだ。偶然であっても感謝されている。


 だが、男爵以上は土地の管理が義務だ。土地が与えられた場合、私が死んだら管理のために親類がそれを行うか、国に返還される。土地を得るためにならあの兄たちは私を殺そうとするだろう。


「まったく……これだから血縁問題は面倒だ」


「本当ですね」


 全く持って同意しかない。


「……茶菓子も準備しているぞ」


 メイドがケーキや菓子を並べていく。普段節制節約を美徳としているシーモア卿が、税金のかかる砂糖を使った菓子を用意していることに驚いた。


「婚約破棄を大々的に祝うわけにもいくまい」


 口をへの字に曲げて、どこかバツが悪そうだ。


「王妃様が言っていました。こういうのをツンデレというと」


「ツン?」


「おじい様に孫でもいれば、結婚して正式に老後の面倒を見て差し上げられたのですが、残念です」


 十二人の元婚約者がいる。全て、花嫁修業として婚約者の家で暮らしてきた。


 いい思い出ばかりではないが、身になることもあった。その中でも、シーモア卿との生活は得る者が多く、感謝している。何よりも、本当に老後の面倒を見てもいいと思うくらいに良い人だ。

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