第89話 秋の日、井の頭公園で

 ランチの後、井の頭公園を散策していた時、鈴ちゃんがスワンボートに乗りたいって言いだした。

 私は岸辺で待ってようと思ったけど、鈴ちゃんが「先生も一緒じゃなきゃヤダ!」とごねたから、私も乗ることになった。


「なんか、ホント、すみません。こんなのまでつきあわせちゃって」

「いいいえいえ、そんな」

 塚田さんに謝られてばっかだ。

 私もスワンボートに乗るのは初めてなんで、嬉しいです。とか、気の利いた一言を言えればいいのに。言えない……。

 ボートでも鈴ちゃんを挟んで、3人で漕いだ。


「パパ、早すぎるよ~」

「ごめんごめん、これぐらいかな」

「結構、力いりますよね、これ」

「鈴、もっと一生懸命漕がないと、前に進まないよ?」

「鈴、いっぱい漕いでるもん」

「ああ~、岸に激突する!!」

「えっ、これ、どうやって方向転換すればいいんですか?」


 ボートはなかなか思うようには進まなかった。けど、3人で笑ったり悲鳴を上げながら漕ぐのは、ホントに楽しくて。

 ずっとこの時間が終わらないでほしいなって思った……けど、30分も漕いだら、足がクタクタになった。鈴ちゃんは「もっと!」って言ったけど、私と塚田さんはムリだった。


「これ、足に来ますよね……」

「日ごろの運動不足がたたってるなあ」

 ヘロヘロになってボートから降りると、鈴ちゃんが手をつないできた。ちっちゃい手。か、かわいいっ。

 ってハートを撃ち抜かれそうになっていたら。

 塚田さんの手も握って、鈴ちゃんは急に体重をかけて来た。私はバランスをとれなくて、前のめりになる。


「っととっ」

 転びそうになるのを堪えると、「ブラーンしたい」と鈴ちゃんは訴えかける。

 ブラーンって。もしかして。

 仲良し親子がやってる、あれ?

「鈴、後藤さんにめいわ」

「ブラーンしたいのおおお」

「ハイハイ、やろうね、やろうね!」


 鈴ちゃんの腕を持ち上げると、塚田さんも慌てて持ち上げた。鈴ちゃんがぶら下がる。

 鈴ちゃんは楽しそうな歓声を上げてるけど、子供を片手で持ち上げるのって、思ってたよりきっつ! きっついよ、これ!

「ごめん、げ、限界」

 すぐに下ろしちゃったから、鈴ちゃんは「えー、もっと~」とぶーたれる。

「ごめん、そんなに力なくて」

「鈴、一回で充分でしょ?」

「ん~」

「また今度ね。もっと鍛えておくから」


 時間はあっという間に過ぎて、夕方になった。

 吉祥寺駅で二人とは別れる。

「今日はありがとうございました」

 塚田さんは深々と頭を下げる。

「いえ、こちらこそ、映画、楽しかったです。ランチもごちそうさまでした」

「先生、また映画観に行こうね」

 鈴ちゃんは無邪気な笑顔で言う。

「う、うん、そうだね。また行こうね」


 塚田さんがまた誘ってくれるのかどうか、分からないけど。

 エスカレーターを上っていく二人を、見送った。鈴ちゃんに何度も手を振って。塚田さんは何度も頭を下げてくれて。

 はあ~、楽しかった!!!

 こんなに笑ってはしゃいだの、久しぶり。

 でも、二人の姿が見えなくなったら、急に寂しい気持ちでいっぱいになって。一人でトボトボと自分が乗る電車に向かった。



 その日の夜、塚田さんからメッセージが届いた。

 今日のお礼と、そして。

「よかったら、また会いませんか?」の一言。

 私は何度も読み返してしまった。

 きっと、三人でってことだよね。うん。鈴ちゃんがそう言ってるに違いない。

「もちろんです。また3人で映画を観に行きたいです」って返したら、すぐに「いえ、できれば二人で。今度、食事でもしませんか?」って返って来た。


 ええええええ。これって、これってデート? 今度こそ、デート?

 どうしようどうしようどうしよう。あ、ここで返すのに時間がかかったら、嫌がってると思われるかもかもかも。

 でででも、なんて返せばいいんだろ? なんて返せば?


 頭が混乱して「ハイ」とだけ返した。

 すると、にっこり笑ったパンダのキャラクターのスタンプが送られてきた。

 私も「よろしくお願いします」のペンギンのスタンプを送る。

 うわ、どうしよ。流れでOKしちゃったけど。どうしよ。どうしよ。どうし

 そのとき、ピコンとメッセージが届いた。

「今日の青いワンピース、素敵でした」


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