第63話 戸惑い

 純子さんに千夏さんとのことを話すと、激怒した。

「なあに、その人! 実の娘に養育費を返せなんて、そんな話、聞いたことないわよ! もし、しつこく言ってくるようなら、弁護士に相談したほうがいいかもよ?」

「そういう斜め上の発想をする人って、いるもんだよねえ」

 信彦さんも呆れ果てている。


 純子さんたちとの食事会は、今は月に1回ぐらいになった。

「葵ちゃん、きっぱりと断ってエライ! そういう人は自分に近づけちゃダメよ。一回でも要求を飲んだら、次々にあれもやって、これもやってって言ってくるから」

「そうそう、そういうヤツって、何をどう話しても絶対に納得しないから。『話せば分かる』なんて嘘だから。強引に押し切ろうとするから、こっちも強引に突っぱねるしかないんだよね」


「有名になると、そういう輩が寄って来るから、気を付けないとね。私も写真集を出したばかりのころに、『本を買ったよ』って言ってくれた人がいるから喜んでたら、無料で何か作ってって言うんだもん。断ったら、『本を買ったのに』って怒るし。こっちが買ってくれって頼んだわけでもないのに。そういうハイエナみたいな人って、必ず寄って来るのよねえ」

 私には純子さんと信彦さんがいてくれて、ホントによかった。


「それにしても、今月も心ちゃんと会えなくて残念」

「心、バイト先でバイトリーダーになってパートの人たちも仕切る立場になったから、大変みたいなんです。土日は朝から晩までお店にいるし」

「あの心ちゃんがそこまで成長したのは、すごいことだけどね。最初は人とコミュニケーションを取るのを避けてるような感じだったのに。それがリーダー的な立場になるなんて、ものすごい成長だよ」

「そうねえ、責任感が強いからね、心ちゃんは。料理を作るのも楽しんでるみたいだし。心ちゃんが打ち込めるものができたのは、とても嬉しい。でも、たまには顔を見せて欲しいのよね」

 純子さんは軽くため息をつく。


「心に言っときます」

 あの時、心をこの家に連れてきてよかったって、つくづく思う。

 純子さんと信彦さんが心に優しくしてくれたから、きっと心を開いたんだろうし。市原さんたちも、心のことをちゃんと面倒見てくれてるみたいだし。心はいい人たちに巡り会えたんだね。

 もちろん、私もいい人たちに出会えたから、ここまでやって来れたんだけど。だから雑音レベルの人のことは、さっさと忘れよう。うん。


 純子さんに、圭さんに会ったことと、仕事を手伝ってほしいと言われたことを話した。

 純子さんは、なんだか微妙な表情になる。

「そうなの。この間の展示会でも、姿を見せなかったのよね。あの騒動の後、どうしてたのかしら。ミニチュアの業界では、あちこちでもめてたから、締め出されたような感じだったけど。復帰したいのなら、展示会に来てみんなに挨拶すればよかったのに」

「みんなに会いづらかったのかもしれないですね」

「そうね、確かに。まあ、とにかく、葵ちゃんも自分の仕事があるんだから、ムリしないようにね」

「はい」

 純子さんは何か言いたげな顔をしてるけど、当たり障りのないことしか言わない。

 自分の作品に集中しなきゃいけないのに、人のを手伝ってる場合じゃないでしょって言いたいのかな。

 写真集の作品もどんどん作らないとだし、確かに、そんなに手伝ってられないかも。



 圭さんの仕事場は、小田急線沿線の小さなマンションの一室にあった。

 人気があった時は、青山に仕事場があったのに。

 ワークショップの準備の手伝いで何回か行ったことがあるけど、ドラマに出てきそうなおしゃれなデザイナーズマンションだった。圭さんのミニチュアがたくさん飾ってあって、圭さんが熱っぽく説明してくれて。ホントにミニチュアが好きなんだなあって、キラキラした顔の圭さんを見てるのが好きだった。

 ここは築年数がかなり経っているみたいで、エレベーターがない。コンクリートの階段のあちこちにひびが入っていて、踊り場の蛍光灯が切れているのか、昼間なのに薄暗い。お世辞にも、キレイとは言えないマンション。今はこんなところを仕事場にしてるんだ……。


 3階の部屋のチャイムを鳴らす。

「ハーイ」

 圭さんの声がインターフォンから聞こえる。

「あ、あの、ごと、後藤です」

「あー、葵ちゃん、待ってたよ!」

 ややあって、ガチャリと鍵を開ける音が聞こえて、ドアが開いた。

「こここんにちは」

「こんにちはあ。どうぞ、どうぞ」

 圭さんは柔らかな笑顔で迎えてくれた。

 玄関でチェック柄のスリッパに履き替える。

「お邪魔します……」


 リビングの大きなテーブルの上に、作りかけのミニチュアハウスが置いてある。部屋の隅の木製の棚には、今までの作品が並んでる。この間の展示会で出してたイマイチな作品も、自分のオリジンだって言ってた、初めて作った作品も。

 でも、なんか、殺風景っていうか。「熱」が全然感じられない。

「狭くてビックリでしょ?」

「あ、いえ、そんな」

「お茶入れるから、ちょっとその辺を見てて」

 リビングの隣がキッチンみたいで、圭さんは姿を消した。


 私は、テーブルの上の作品を覗き込んだ。まだ家の外形ができたところで、始めたばっかみたい。二階建ての家で、壁を一面だけ開けてある。

 バリ島やタイの家の写真集が周囲に広げてあるのを見ると、アジアンテイストの家にチャレンジしようとしてるのかな。今までは欧米風の家ばかりだったから、違うことをやろうとしてるんだろうな。

 でも、なんか、この家、いびつな感じが……。全体的に歪んでる気がするんだけど。


「お待たせえ」

 圭さんがお盆にティーカップとお菓子をのせて現れた。窓のそばにある丸テーブルにお盆を置く。

「これ、アジアの家をつくろうとしてるんですか?」

「そうなんだ。今まで可愛い系の家ばっかだったから、大人っぽい路線にチャレンジしようかなって思って」

「そうなんですね」

 圭さんらしい、バラの絵柄が描いてある上品なティーカップ。角砂糖とミルクを入れて飲んだら、紅茶がかなり薄くて、「あれ? 出がらしじゃないよね?」って一瞬思った。お菓子はコンビニで売ってるチョコレート菓子だ。圭さん、前はめったに手に入らない、高いお菓子しか食べてなかった気がする。


「3か月後の日本クリエイター展に出品しようって思ってるんだけど、なんか、全然進まなくて。どうやって形にしたらいいのか、分かんないんだよね」

「そうなんですか」

「葵ちゃんは、いつも作る前にスケッチしてから作るんでしょ?」

「いきなり作り出しても、行き詰っちゃうって言うか。ちゃんとスケッチを描いてからのほうが、サイズとかイメージしやすいし」

「そっかあ。僕は今まで頭の中でイメージして、すぐに作っちゃってたからなあ。アイデアがビビビッて降りて来て、そしたらすぐに手を動かしたくなって」

「それであれだけ繊細なミニチュアを作れるなんて、すごすぎです」

「そんなことないよ。いっつもぶっつけ本番みたいなものだから、やり直しも多いし」


 あれ、紅茶を飲んでいる圭さんの手、なんか震えてる? この部屋、寒くないのに。

「それで、葵ちゃんにお願いしたいのは、スケッチを描いてもらいたいんだ。僕がこういう家っていうイメージを伝えるから、それをスケッチに起こしてくれないかな?」

「え、えーと」

 私は即答できなかった。

 それって、私のアイデアになっちゃわない? 圭さんが自分で書いたスケッチをもとに作るのなら、圭さんのアイデアだけど。てっきり、家具とかを作るのを手伝うのかと思ってたよ……。


「ざっとでいいよ。ざっとでいいから、イメージイラストを描いてもらえれば、僕も作りやすくなるって言うか。あ、もちろん、お金は払うよ」

「そうですか……」

 うーん。まあ、圭さんが「こういう感じにして」って言ったイメージを絵で起こせばいいんだから、それなら、私のアイデアってことはないかな? 教室で生徒さんにも同じことしてるし。

「ざ、ざっとでいいなら」

「ホントに? ありがとう。助かる~」

 と言いながら、あんまり表情が変わらない。なんか、当然って思ってるような気がするんだけど。。。


「じゃあ、さっそく、これにお願い」

 圭さんからスケッチブックを受け取る。

「この写真のように、吹き抜けになってて、天井でファンが回ってるような家がいいな」

 私の前に写真集を広げて、顔を寄せて来る。

「どう思う?」

 えっ。ちか、近い、顔、圭さんっ。

 でも、ドキドキする前に、圭さんの口からお酒臭い息が漏れて、私は思わず顔をそむけた。

 圭さん、昼間っからお酒飲んでるの? アル中になりかけてたころのお母さんみたいだ……。


「そ、そうですね、いかにもアジアンって感じで、素敵です」

「でしょ? でも、この写真とそっくりに作ったらパクったって言われそうだから、アレンジしてもらえないかな」

「え? アレンジ?」

「葵ちゃんの素敵な感性で、この家をもっとオリジナリティのある感じにしてほしいんだ」

 圭さんは顔を近づけたまま、こっちをじっと見ている。

 でも、私は直視できない。お酒の匂いが……。

 それに、アレンジをこっちで考えるって、話、違くない?

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