第57話 想い出の引き出し
「なんか、ごめん。コンテストに出す作品もあるのに」
心はすまなそうに背中を丸めている。
「いいよ、いいよ。まだそっちは構図を練ってる段階だし。始めるまで、もう少し時間がかかるから」
テーブルの上には、心の幼いころの写真。
お母さんと一緒に写っている写真が多い。
アパートの前や部屋で撮った写真もたくさんあるから、イメージがつかみやすくてありがたい。
心の記憶も頼りにしながら、部屋の様子をスケッチブックに起こしていった。
「じゃあ、キッチンは板の間で6畳。畳の部屋が6畳。後、お風呂とトイレって感じだね」
「そうそう。洗濯機置き場は玄関の外にあったな。一階に住んでたんだ。駅からはかなり離れてたから、家賃はそんなに高くなかったんだと思う。アパート、古かったし」
「窓は、キッチンは廊下側に一つ」
「うん、窓の外に柵があったよ」
「畳の部屋には大きな窓が1つ」
「そこに洗濯物を干してたんだ。そうだ、ちょっとした庭があって、鉢植えで何か育ててたなあ。チューリップとか、パンジーとか、ヒマワリとか。お母さん、花を育てるのが好きだったんだよね。季節ごとの花を育ててた」
「へええ。うち、庭があったけど、植木屋さんが年に何回か手入れしに来る程度だったよ。引っ越したばっかの頃は花壇に花を植えたりしてたけど、あっという間に何もしなくなっちゃって。お母さんもお父さんも、そういうの、興味なかったみたい。おばあちゃんがたまに花とか植えてくれたから、水やりしてたけど」
「ここの庭も、ちゃんと手入れされてたしね」
今、庭の花壇があったところは、心が野菜を育ててる。料理好きが高じて、自分でも野菜を育ててみたくなったって。そろそろ大根を収穫できるって言ってた。
そうか。それはお母さんの影響もあるのかな。
「キッチンの配置は、この写真によると、冷蔵庫がコンロのすぐ横で、食器棚が奥にあって、真ん中にテーブル?」
「そうそう。冷蔵庫と食器棚の間に、炊飯器とかレンジを置く台があったな」
「冷蔵庫は、そんなに大きくなさそう」
「そだね。二人暮らしだったし、冷蔵庫と冷凍庫の扉しかなくて、冷蔵庫を開けると、下に野菜室があった」
「あ~、昔の冷蔵庫ってそんなんだよね」
「で、流しの上には吊り棚があって。流しの下には米びつとか調味料が入ってた。吊り棚には鍋とかフライパンを置いてた」
「すごい、よく覚えてるね」
「うん。いつも食器を洗ってしまうのを手伝ってたから」
「そっか、そっか」
「テーブルの上には、一輪挿しがあって、いつもお花が生けてあった」
「この写真にもあるね。コスモス?」
「うん。お花が一輪でもあると、心が和むってよく言ってた。お母さん、いつも疲れてたから、それで元気をもらえてたのかも」
「そっかあ」
「お母さんが洗濯物を干してる姿を見るのが、好きだったな」
心は、今まで見たことのない表情になっていた。穏やかで、安らかで。想い出の引き出しを開けながら、きっと、お母さんと過ごした時間を思い返しているのだろう。もう戻って来ない、尊い時間を。
できるだけ、細部まで再現しよう。心の大切な想い出をずっと残せるように。
その日は、井島さんたちの教室があった。
みんな、作品はかなり形になってきている。二軒目に突入した人もいれば、一軒目をじっくり時間をかけて作ってる人もいる。井島さんは実家の自分の部屋を忠実に再現するために、昔貼っていたアイドルのポスターまで作っている。
みんな、作りながらどんどん上達していっているのが分かる。
「今度、うちの娘の学校のバザーにミニチュアフードを出そうと思ってて」
「へえ、いいじゃない」
「ショートケーキを作ったら、娘が褒めてくれて、自分でも作りたいって言いだして」
「いいわねえ。親子でミニチュア作るなんて、ねえ、葵さん」
「ホントですよ。娘さんもミニチュア好きになってくれたら、嬉しいです」
そんな風にみんなでワイワイと作ってると、学校でイヤなことがあっても吹き飛んでしまう。私にはこの居場所があってよかった。
お茶の時間に、私はみんなに思いきって話を切り出した。
「豆本?」
井島さんたちは、お菓子を頬張りながら顔を見合わせた。
「そうなんです。コンテストに出す作品で図書室を作りたくて、大量の本が必要になるんです」
「そりゃそうよね、図書室だし」
「それを全部私が作ってたら、締め切りに間に合わなさそうで……心も手伝ってくれてるんだけど、それでも間に合いそうもなくて。少し手伝っていただけると助かります」
「全部で何冊ぐらい作るの?」
「えーと、500冊ぐらいです」
「500冊!? そりゃ大変」
「何冊ずつぐらい作ればいい? 10人だから、一人10冊で100冊。あ、なんか余裕じゃない?」
「だったら、一人50冊作ってもよくない? それか、菊池さんたちにも応援を頼むとか」
「そうだね。そうしたら、葵さんは他の作業に専念できるしね」
井島さんたちはあっという間に話をまとめてくれる。
「え、え、いいんですか?」
「もちろん! いつも私たちの作品でお世話になってるし」
「豆本なら、私も自分のミニチュアで作ったし。任せて!」
「ありがとうございますううう」
お言葉に甘えて、豆本作りは井島さんたちに任せることにした。
豆本の材料を持って帰ってもらって、次に来る時に持って来てもらう。
「そんなスケジュールで大丈夫? できたら送ってもいいけど」
「え、でも、そんなわけには」
「でも、早く作品が仕上がったほうがいいでしょ? ねえ」
「私は不器用だから、時間がかかるかも……次の教室の時でも構わない?」
「もちろんです!」
「じゃあ、早く仕上がった人は、葵さんのところに送る、と。500冊きっかり作るより、少し多めに作っておいたほうがいいんじゃない? 私、60冊か70冊作るよ」
「井島さん……神です!」
「そんな、おおげさな」
井島さんは照れくさそうに笑った。
「じゃ、私も60冊作る」
「林さんも神です!」
「ホラ、葵さんの神になりたい人は、多めに作ろう」
豆本のカバーや中のページをみんなに渡して、作り方をレクチャーする。
「今、作ってみてもいい?」と、林さんは紙を切り始めた。
「いいですけど、焼き菓子屋のほうは大丈夫ですか?」
「うん。焼き菓子でだいぶ埋まって来たし」
「みっちゃん、焼き菓子をここまでそろえたの、すごいよね」
「ねえ。マドレーヌとかフィナンシェとか、『なんでこんなの選んじゃったんだろ』ってぼやきながら作ってたのに」
「それは、茶色一色になっちゃったから、作っててつらくなっちゃっただけで。葵さんに『もっといろんな色で作ってもいいのでは?』ってアドバイスしてもらってからは、楽しくなったし」
「確かに、ピンクのフィナンシェとか抹茶色のマドレーヌとか、かわいいよね~」
「私はマイハウスの続きやろっと」
この感じ。高校の時の文化祭みたいだ。
「コンテストに出すんだから、雑に作っちゃダメだよ。本棚に入れれば見えないからいいやなんて、思っちゃダメだからね」
井島さんがピシッと言ってくれる。ううう。ホントに、ありがたい。
「その代わり、作品ができあがったら見せてね」
「もちろんです!」
井島さんに頼むことは、心が考えてくれたんだ。
「え、教室に教わりに来てるのに、お願いするのはどうなんだろ」
私が難色を示しても、
「家でミニチュアを作ってる人もいるんでしょ? みんな作るのは好きだから、大丈夫じゃない?」
と、何でもないよって感じで言ってくれて。
「でも、みんな家事とか仕事とかで忙しいのに」
「余裕がなかったらムリだって断られるかもしれないけど。ダメもとで頼んでみたら? ダメだったら、純子さんたちに頼もうよ」
「そうだね」
心は本当に頼もしい。優といい、心といい、おばあちゃんといい。私にはいつもアドバイスをしてくれる人が、そばについててくれる。だから、やっていけるんだ。私はラッキーだな、ホントに。
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