第56話 トゲトゲの言葉

「私と後藤さんはレポートを書くから、邪魔しないでもらえる?」

 先輩の冷たい一言に、鹿島さんは勢いよく立ち上がった。その反動で椅子が倒れても、起こそうとせずにズンズンと大股で去っていった。

「なんだかなあ、もう」

 先輩は呆れたように言う。

 私は椅子を起こした。ぐううう。オロオロするばかりで、何もできなかった……。

「あ、このジュース、どうします?」

 机の上には、鹿島さんが置いていったジュースが二つ。

「鹿島さんのレポートを書いてるわけじゃないし、もらう義理はないかも。もらったらもらったで、後でいろいろ言われそうだし」

「じゃあ、私、返してきます」

「ありがとう。よろしくね」


 私はジュースを両手に持って、図書室を出た。

 鹿島さんは靴箱の前にいた。

「鹿島さん」

 声をかけると、私の顔を見る。その目には涙があふれている。

「後藤さんだって、ミニチュアの仕事があるし。ずるいよ。将来が決まってる人は、勉強だけに打ち込めて」

「……」

「私だって、講義に出たいよ。でも、インターンシップでお金稼がないと、生活できないし。親からは学費以外は払えないって言われてて、交通費とか食費とか、自分で稼がないといけないし。インターンシップだって、自分がやりたい仕事じゃないけど、うちの大学じゃいい企業には入れないし。仕方なくやってるんだから」


「そうなんだ」

「それなのに、単位を落とすなんて……何のために大学通ってるのか分かんないのは、こっちのほうだよっ」

 鹿島さんは早口でまくしたてる。背後を、「何事か」という視線でじろじろ見ながら、みんなが通り過ぎてゆく。それでも鹿島さんは感情を抑えられないみたい。

 ああ。苦しんでるんだ。鹿島さんは鹿島さんなりに苦しんでるんだ。


「ねえ、後藤さん、お願い! 先生に謝りに行くの、一緒に来てくれない?」

「えっ、えっ、なんで?」

「だって、私一人で行ってもサボったって思われて、怒られるだけじゃない? 後藤さんが一緒に来てくれて、インターンシップでいつも大変で疲れてるみたいだとか、鹿島さんは家が大変そうだとか言ってくれたら、先生も大目に見てくれるかもしれないし」

「え? そ、それはないと思うよ」

「だからあ、それは言い方だって。後藤さんの言い方で、私の印象がよくなるんだから」

「そんなことはないと思うけど」

「だって、後藤さん、先生たちに媚びるのうまいじゃん?」

「えっ」

 血の気がざあっと音を立てて引いてくような感じがした。

 一瞬で同情心が消えた。

 何? 何? 私をそんな風に見てるの?


「いつも、講義が終わった後に先生にいろいろ質問したりして、先生に取り入ってるでしょ? だから、後藤さん、先生たちのウケがいいよね。後藤さんがフォローしてくれたら、先生もきっと」

「ごめん、できない」 

 私はキッパリと言ってから「ごめん」なんてつける必要なかったなと思い、もう一度「できない」と伝えた。


「え、何それ。冷たくない?」

「わ、わた、私、先生に媚びてないし。質問があるから聞いてるだけで。そ、そんな風に思うなんて、失礼だよ。わた、わた、そんな人に、協力できない」

 言った。言っちゃった。

 鹿島さんにジュースを「これ、いらないから」と突き返す。

 鹿島さんはみるみる怒りでいっぱいの顔になり、ジュースを床に投げつけた。

 グシャっという音と共に、いちごみるくが飛び散る。たまたまそばにいた人が悲鳴を上げた。

「ちょっと、スカートにかかったじゃない!」

「知らねえよっ」

 吠えるように返したその勢いに、抗議した人は気圧された。


「もういいっ。誰も私のことなんて、助けてくれないんだからっ」

 涙声で絶叫してから、鹿島さんはガラス戸を壊しそうな勢いで出て行った。

 私とスカートを汚された人は呆然と見送っていた。

 あー、先生のとこに行くなら、私の悪口、いろいろ言いそう……まあ、どうしようもないし、いっか。

「どうしたの?」

 いつまでも戻って来ない私を心配して、先輩が様子を見に来てくれた。

 玄関にぶちまけられたいちごみるくを見て、「えっ、何これ」と目を丸くしている。私はざっと経緯を説明した。


「あの、スカートは大丈夫ですか?」

「まあ、何とか……あの人の名前と連絡先、聞いといていいですか? もしシミができちゃったら、あの人にクリーニング代を請求するんで」

「ハ、ハイ」

 ちょうど清掃のおばさんが通りかかったので、いちごみるくは片付けてもらうことにした。


 

 きっと、鹿島さんは追いつめられているんだろう。

 そうは思っても、私をあんな風に思っていたことはショックだし、しかも本人に言っちゃうのはどうかと思う。協力してもらいたい相手に、あんな怒らせるようなこと言うかな?

「まあ、気にする必要ないと思う。鹿島さん、結構あちこちでやらかしてるって話だし」

 先輩は慰めてくれた。


「やらかしてる?」

「一緒に合コンに行ったら、『お財布忘れたから立て替えといて』って鹿島さんに頼まれて、代わりに出したら、全然返してくれないって困ってた人がいたよ。何度催促してもはぐらかされるって。後、鹿島さんと一緒にランチして、トイレで席外して戻って来たら、財布の中のお金が5000円なくなってた人もいるって。でも、鹿島さんに直接聞くわけにもいかないから、泣き寝入りしたんだって」

「はあ~、そんなことが」


「後藤さんがワークショップをやっているって知って、目をつけられたかもよ? 気を付けたほうがいいかも」

「そうですね。でも、そこまでお金に困ってるなんて」

「そういうわけでもないんじゃない? だって、よくSNSでは『新しいマニキュアを買いました』とか、ランチでどこそこに行ったとか、自慢してるよ。お金遣いが荒いだけなんじゃないかな」


 何というか……物事って、見方によって全然違うことが見えてくるんだな。お金に困ってるのかと思ったら、そうじゃないみたいだし。追いつめられてるのかと一瞬思ったけど、そうでもないのかも。


「お金が厳しいのは、みんな同じだよね。私だって、夏休みや春休みはバイトしてお金を稼がないと、教科書とか買えなかったし。自分だけ大変だって思い込んで、悲劇のヒロインぶってるところが、ウザいんだよね」

 どうやら、鹿島さんは敵が多そうだ。

 でも、どうなんだろう。私、鹿島さんのことよく知らないからなあ。決めつけて排除するのはどうだろうって、時田先生もこの間言ってたし。

 今日の発言は許せないけど、本心からの言葉なのかも分からないしなあ。


 私は図書室の中をぐるっと見回した。

 ここにいるみんな、それぞれ悩みを抱えているんだろうなあ。

 あそこに座って本を読んでる人も、スマホに夢中になってるあそこの人も。

 モヤモヤも、イライラも、退屈も不安も、死にたいぐらいに凹む日も、きっとあって。そんな一人一人の人生が、ここに凝縮されてるんだ。

 その瞬間、私の身体にビビビと電撃が走った。

 つくりたい。この光景、この瞬間。図書室をミニチュアでつくりたい。

 そうだ。この光景を、コンテストに出す作品にしよう!

 優にも連絡しよう。

 ちゃんと言いたいことを言えたよって。相手の言いなりにならなかったよ、って。

 優、どんな風に感じるかな。



 その日の夜、優にメッセージを送った。

 今日の出来事と、「相手は怒ってたけど、ちゃんとNOって言えたよ」と、ピースサインのスタンプも送った。

 翌朝、優からメッセージが届いていた。

「葵、すごい! 頑張ったね!」

 親指を立てたスタンプ。

 それに、豆本のアクセサリーの画像もある。


「豆本アクセサリーをお店に置いてもらってるんだ。でも、最初は全然売れなかった。。。何度も作り直して、いろんな人の意見を聞いて、こんな派手派手な豆本になっちゃった。まだちょっとしか売れてないんだけど。注文もらって作ってる葵は、ホントにすごいと思う。葵のようにミニチュア作家になるのはムリだけど、自分が作ったアクセサリーを誰かに買ってもらえるだけで嬉しい。こんな喜びを教えてくれたのは葵だよ。ありがとう」


 目頭が熱くなった。

 もう心が離れちゃったと思ったけど。

 遠いところにいても、これからもきっと、心でつながっていられるよね、優。

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