第51話 どういうこと?
夏休みが終わり、海老原さんに注文されたミニチュアハウスを何とか仕上げた。
失礼なおっさん、もとい勝志さんから「そんなに時間がかかるの?」って言われたのが悔しかったっていうのもあるけど、やっぱり生活費が丸々なくなるのが不安で、「早く仕上げて、他の仕事をしよう」って気持ちが強くて。
お父さんの書斎の豆本づくりは心にも手伝ってもらった。
写真を見ている限りでは、家具も物もそんなに多くなくて、スッキリした家だから、思っていたより作業が少なかったのも助かった。
美由紀さんに連絡すると、「もうできたんですか? 早いですね!」とメッセージが届いた。
ワークショップの日に、美由紀さんたちに渡すことにした。
「こちらです」
ミニチュアがつぶれないように入れていた箱から作品を取り出すと、美由紀さんと勝志さんは同時に感嘆の声を上げた。
「すごい、すごいっ! よくここまで正確に再現できましたね」
「こまっけえなあ~。うわ、リビングのテーブルの上に新聞と親父の眼鏡がのってるよ。すげえなあ」
「ホラ、ここ見て! 冷蔵庫に学校のプリントが貼ってある。料理を作ってる途中にしてあって、ホントに人がいるみたい」
「オレの部屋の写真、美由紀が渡したんか? 机の上のプラモデルまであるよ。そうそう、こんなポスターも貼ってたことあったなあ」
二人は興奮しながら、ミニチュアを覗き込んでいる。
こんなに喜んでくれるなら、おじさんの失礼な態度も許してあげよう。ふぉっ、ふぉっ、ふぉっ。
私は内心ガッツポーズをとっていた。
「これ、さっそくお父さんに見せようよ。きっと大喜びするから!」
「そうだな」
「後藤さんも、一緒にどうぞ」
美由紀さんはそっとミニチュアを持ち上げ、大切そうに抱える。
「落とすなよ。絶対に落とすなよ」
「分かってるってば」
「この家、オレが小1の時から住んでたんだよな」
「私が幼稚園の時に引っ越したんだよね、覚えてる」
二人は明らかにテンションが高い。顔がほころんでいる。
ミニチュアハウスを見てこんなに喜んでいる姿を見られるのは、私にとって一番の尊い時間だ。どんなに作っている最中が大変だったとしても、それですべてが報われる気がする。
「お父さん、これ、見て見て!」
個室に入り、美由紀さんはベッドに寝ている男性に声をかける。
薄くなった白髪に、顔のあちこちに大きなシミができている男性は弱々しい声で、「え……?」と美由紀さんの顔を見る。
「これ、見て、家よ、我が家!」
勝志さんがリモコンを操作してベッドを起こした。
美由紀さんはお父さんの目の前にミニチュアハウスを掲げた。
「分かる? これ、我が家よ。昔の我が家。ホラ、ここにお父さんの書斎もあるでしょ?」
お父さんはいぶかしげな眼で、ミニチュアハウスを見ている。
「オレたちでお金を出し合って、作ってもらったんだよ。高かったんだぞ?」
勝志さんが誇らしげに言う。うん、まだお金をもらってないけどね。
「後藤さんっていうミニチュア作家さんに頼んで作ってもらったの。そっくりでしょ?」
「何、何のために」
お父さんはようやく聞き取れるようなしゃがれた声を出す。
「これで、家を壊しても寂しくないでしょ? これを見れば、我が家をいつでも思い出せるんだから」
お父さんはしばらく固まっていた。美由紀さんの話の内容を理解するまで、時間がかかっているようだ。
「今、何て言った?」
お父さんは美由紀さんを睨む。
「だから、このミニチュアハウスを見ていれば、家がなくなっても寂しくないでしょ?」
「オレは、家を壊していいなんて、言ってない」
「何言ってんだよ。もうあの家には誰も住めないんだから。あの家、近所迷惑になってるんだよ。まわりから片付けろ片付けろって言われて、こっちも大変なんだから。できれば年内に」
「そんなこと、オレは許可してないっ」
お父さんの顔がみるみる赤くなっていく。
「いや、でも、もう業者は頼んであるから」
「何、何で、そんなことを勝手にっ」
「だって、親父はもうこの施設から出られないんだからさ」
お父さんは叫びながら、ミニチュアハウスを勢いよく払い落した。
ミニチュアハウスは、近くのタンスにあたって床に落ちた。美由紀さんが短い悲鳴を上げる。
私も「っ」って息を飲んだ。
えっ、何、何が起きてるの?
美由紀さんたちが動かないから、私が駆け寄ってミニチュアを拾い上げた。
大きくゆがんで傾いているけど、折れたり割れたりしてないから、何とか直せそうだ。高校の時にお母さんに壊されてから、ミニチュアの強度を高めといてよかった……。
床に散らばってる家具や豆本を拾い集めてると、頭上で言い合いが始まった。
「そん、そんなのいらんっ。オレの前に出すなっ」
「ひどい、お父さんっ。せっかく、お父さんのために作ってもらったのに」
「そうだよ。これ、10万円もしたんだぞ?」
「そんなの知らん。そんなの、オレの家じゃない! オレは頼んでないだろうがっ」
騒ぎにスタッフさんが駆けつけて、間に入った。
お父さんはすっかり興奮して、「そんなの持って帰れっ」と喚き散らす。
仕方なく、私はミニチュアハウスを持って廊下に出た。
どうしよう。なんか、家族のトラブルみたいだけど。どうすればいいのかな。
ややあって、「もう二度と来ないからなっ」と捨て台詞を吐いて、勝志さんが出て来た。美由紀さんもオロオロしながら後をついて来る。
勝志さんは私を一瞥して、そのまま立ち去ろうとする。
「あ、あああのっ」
私は二人を呼び止めた。
「この作品は」
「え? いらないよ、そんなの。親父のあの反応、見てただろ?」
「え、え、そんな」
「オレはもらうつもりないし。美由紀、いるか?」
「えっ、これはお父さんのために作ってもらったものだから」
「そういうわけだからっ。あんたが持って帰って、捨てといてよっ」
「え、えと、えと、じゃあ、料金は」
「はあ? そんなの払うわけないだろ!? 親父が受け取らないんだからっ。いらなくなったものに金なんか払えんよ」
私は絶句した。
「海老原さん、それはいくらなんでも、ひどすぎませんか? 海老原さんに頼まれたから、後藤さんを紹介したんですよ」
見かねてスタッフさんが助け舟を出してくれた。
「そんなの知らんよ。オレが頼んだんじゃないから。美由紀が勝手にミニチュアを作ってもらったらいいんじゃないかって盛り上がってたんだから、美由紀が全部払えよ」
「そ、そんな、10万円なんて私も払えないし」
「知るかっ」
勝志さんは吐き捨てると、スリッパを踏み鳴らしながら、去っていった。
「あ、あの、ちょ」
美由紀さんは私と目を合わせようとしないまま、勝志さんの後を追って足早に去っていった。
えええええ~。ちょっと待ってよお。これ、お金をもらえないってこと??? そんなあああ。
私は壊れたミニチュアを持ったまま、呆然と立ちすくんでいた。
純子さんに相談すると、そりゃあもう、怒った怒った。こっちが引くぐらいに怒った。
信彦さんも「人に作らせといて代金を払わないなんて、訴訟もんだぞ!?」と怒り心頭で。すぐに施設に電話をして、二人で交互にスタッフさんに苦情を言っていた。まるで、保護者みたいに。でも、スタッフさんが悪いわけじゃないから、困ってるだろうけど。
純子さんは私のアカウントから、美由紀さんにすごい勢いでメッセージを送った。既読になっても、何も返ってこないけど。
ああ。私、何もできなかった。
美由紀さんたちに「お金を払ってください」ってちゃんと言わないといけなかったのに。これは自分の仕事だから、自分で伝えなきゃいけなかったのに。
ただオロオロしてるだけで、何もできなかった。
こんなんだから、優も「イヤなことはイヤってハッキリ言わないと」って言いたくなるんだろうな。
私は自分の情けなさ加減に一番ダメージを受けていた。
目の前には、倒れかけているミニチュアハウス。
でも、私、この作品を壊されたこと自体に、それほどショックを受けてない気がする。
どうして?
その答えは、自分が一番分かってる。
たぶん、全力で作ってないからだ。
私、心のどこかで、「これぐらいでいいや」って思ってた。勝志さんの失礼な態度を思い出すたびに、「あのおじさんの依頼なら、これぐらいでいいや」って、いつもより丁寧には作らなかった。
美由紀さんとのやりとりだって、他の依頼主さんより少なかったし。
お金のこともあって、「教室の生徒さんをもっと増やそうかな」とか、そういうことばっか考えてて。
そりゃ、あの勝志さんって人は失礼だけど、引き受けたからにはいつもと同じように全力でやらないといけなかったんだ。
純子さんも、「引き受けなければよかったって思う仕事もあるけど、作品には罪がないから、そこは100%の力で作らないとね。それがプロなのよね」って、日ごろ言ってるし。
もちろん、だからと言って、お金を全額払ってもらわないのは困るけど。
その後、スタッフさんが中継して、何とか美由紀さんには連絡がついたみたい。
結局、美由紀さんが6万円なら払えると、スタッフさん経由で言ってきた。でも、勝志さんとは連絡が取れないみたい。純子さんと信彦さんは、勝志さんの職場を調べて電話しようと息巻いていたけど、さすがにそれは止めた。
「葵ちゃん、これは大事なことなの。プロでやっていくならお金をきちんと払ってもらうのは、とても大事なことなの。『ミニチュアぐらいで』って思う人もいるけど、私達はそれを生業にしてるんだから。プロとして決められたお金を払ってもらうのは、当然のことなんだから」
確かに、その通りなんだけど……。
どうしても、気になるんだ。
あの時、あのお父さんは「これはオレの家じゃない」って言ってた。美由紀さんも「昔の我が家」って。
家を壊すって言ってたけど、私が作ったのは、何の家だったんだろう?
なんか、それを知らなきゃいけない気がする。
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