第4章 からっぽの家

第34話 永遠の別れ

「葵、あーおーい~」

 お母さんの声が階下から聞こえる。

「ハーイ」

「ちょっと降りて来なさいよお」

「ハーイ」

 と言いつつ、私は手を止めない。

 子供部屋のおもちゃ箱に入れるロボットが、もう少しでできそうなんだ。これが終わるまでは……。

「あ~、まーた高い材料を使ってるう」

 背後から声がする。振り向くと、お母さんが腕組みをして、私の手元を覗き込んでる。


「えっ、そ、そんなに高くないよ」

「ウソウソウソ。このベッドカバーに使ってる布、高そうじゃない」

「う、うーん、でも、他の作品にも使えるし」

「あのね、一つの作品ごとの原価ってものを考えなさいよ。このタンスの中の洋服とかも、チラッとしか見えないのに高いの使ってるんでしょ?」

「それは、注文くれた人に喜んでもらうために」

「お客さんは布の値段まで分かんないんだから。もうちょっとグレード落としなさい」

「……」

 そんなこと言っても、作品のクオリティを上げるためには、上質な材料を使うのも大事なんだよ。圭さんもそう言ってるもん。


「それで、何?」

「また注文が入ったの。幼稚園の先生にプレゼントするために、幼稚園の教室を作ってくださいって。先生が結婚して辞めちゃうんだって」

「えっ、幼稚園の教室、面白そう!」

 私が食いつくと、お母さんは苦笑する。

「そう言うと思った。で、1か月ぐらいで作ってもらいたいみたいだけど、間に合う? そっちの作品も、まだ完成してないんでしょ?」

「これは今週中には終わらせる予定だから、来月末までなら、何とかなるかも。もうすぐ夏休みだし」

「ふーん。なら、先方にそう伝えてみる」

「うん、よろしく」


 ふと、お母さんの背後の時計が11時を指しているのに気づいた。

「やばっ。午後からの講義に遅れちゃう」

「あー、そうだっけ。お昼はどうすんの?」

「時間ないから、コンビニで買って、電車の中で食べる」

「まあ、この時間帯の高崎線はすいてるからね」

 私はバタバタと出かける用意をして、一階の和室の仏壇の前に座った。

 そこには、若いおじいちゃんの写真と、おばあちゃんの写真が並んでいる。

 鐘を小さく鳴らして、手を合わせる。

 おばあちゃん、おじいちゃん、行ってきます。今日もこの家をお守りください。

 目を開けると、写真のおばあちゃんと目が合う。見ているこちらも笑顔になるような、優しい笑み。


 おばあちゃんは1年前に亡くなった。

 肺がんのステージ4と診断されてから、あっという間だった。分かった時には既にあちこちに転移していて、「手遅れです」とお医者さんから言われた。

 それから、私とお母さんは、おばあちゃんが残りの人生を楽しく過ごせるようにって、いろんなことをした。3人で旅行にも行ったし、花火大会を観に行ったり、おいしいものを食べに行ったりした。

 私とお母さんのバトルも停戦となった。お母さんがミニチュアハウスを壊してから、話す気にもなれなかったけど、いつの間にか普通に話せるようになった。おばあちゃんの病気のお陰で歩み寄れたようなものだよね。

 それにしても、お母さんがおばあちゃんから料理を教わったことは、奇跡だと思う、ホントに。

 お母さんが包丁で切る時の手つきを見て、「そこから教えないといけないなんてねえ」とおばあちゃんは呆れながらも、なんだか嬉しそうだった。今まで持てなかった親子の時間を、やっと持てたって感じなのかな。お母さんは半年で、かなり料理の腕は上達した。


 自宅で最期を迎えることを選んだおばあちゃん。この和室にベッドを置いた。庭を眺めて過ごしたいっていうおばあちゃんのリクエストで。

 私は何度も何度も泣いて、おばあちゃんを困らせた。

「泣かないで、葵ちゃん。葵ちゃんには、これからの人生があるでしょ。自分の好きなように生きなさい。自分のやりたいことをやりなさい」

「葵ちゃんと過ごせて、幸せだった。ありがとね」

 おばあちゃんは布団に泣き伏している私の頭を優しくなでてくれた。その手は、ずいぶんやせてしまっていた。

 私も。私もおばあちゃんにどれだけ救われてきたか。


「おば、おばあちゃんがいなくなったら、私、どうすれば……」

「大丈夫よ。理沙がいるから、一人ぼっちにはならない。優ちゃんも、アメリカに行っちゃったけど、いつでも話せるでしょ? 理沙は親としては未熟で、頼りにならないかもしれないけど、二人で支えあいながら生きていけばいいの。時間はかかるかもしれないけど、二人は親子だから、きっと分かり合える時が来る。おばあちゃんも、葵ちゃんのこと、ずっとそばで見守ってるからね」

 か細い声で、震える声で、おばあちゃんはゆっくりと話す。その言葉を、お母さんもふすまの向こうで聞いていた。お母さんの押し殺した嗚咽が、かすかに聞こえた。


 桜が散るころに、おばあちゃんは静かに逝った。最期は呼吸が段々小さくなっていって、いつ逝ったのか分からないぐらいだった。


 私はちゃんと、おばあちゃんに今までのお礼を言えただろうか。

 どんなに大好きなのか、伝えられただろうか。


 お寺の庭で池を彩っている桜の花びらをボーッと見てると、お父さんがやって来て、隣に座った。

 お父さんは私が高2の時に会社を辞めて、副業としてやってた仕事を本業にすることになった。

 お年寄り向きの、ブラウン管テレビっぽい液晶テレビはネットやテレビで話題になった。お年寄りは認知症が進むとリモコンを使いこなせなくなるから、液晶画面の横にダイヤル式のつまみをつけて操作できるようにしたら、大ヒット商品になったんだ。

 新しい会社でどんな商品を開発してるのか、たまに会う時に嬉しそうに話してくれる。


「葵、大丈夫か?」

 私は何も答えられない。

「お義母さんには、オレもお世話になりっぱなしで、何も恩返ししてあげられなかったな」

「……」

「これから、理沙と二人きりになるけど、大丈夫か?」

「……分かんない」

「そうだよな。今は、それどころじゃないよな。もし辛くなったら、いつでも相談しに来なよ」

 そんなこと言って、結局、何もしてくれないんでしょ? 私と一緒に暮らそうとか、全然考えてないじゃん。他人事じゃん。

 いつだって私のことを真剣に考えてくれていたのは、おばあちゃんだけだった。

 そう思うと、涙が止まらなくなった。

 おばあちゃん。

 私を一人にしないで。私を一人にしないで。



 ダメだ。おばあちゃんのことを思い出すと、今でも泣けてきてしまう。

 ハンカチで涙を拭う。昼間の高崎線の上りはガラガラで、私は一人でボックス席を占領していた。

 鼻をすすりながら、コンビニで買ったサンドイッチを頬張る。

 私は県内の女子大に合格した。都内の女子大にも受かったけど、毎日人の多い東京まで通うことを考えると、どうしても行く気になれなかった。お母さんは東京の学校に行けとしつこく言ってたけど、さっさと入学手続きを済ませてしまった。

「まあ、就職しないでミニチュア作家を続けるんなら、大学はどこでもいいかもしれないけどね」

 お母さんも最後には折れた。

 私はずいぶん、お母さんにきちんと意見を言えるようになった。


 お母さんは再就職先を探して、何度も面接に行ってた。

 でも、なかなか決まらなかった。面接で好感触でも、その会社が前の会社に問い合わせてお母さんの評判を聞いたら、「今回は見送らせてほしい」ってなるんだって、おばあちゃんは言ってた。

 ようやく採用が決まっても、数か月で辞めてしまった。そんなことが続いて、おばあちゃんは最期までお母さんのことを心配してた。


 今、お母さんは私の秘書的な仕事をしてる。

 手作り作品コンテストで大賞を取ってから、「ミニチュアハウスを作ってほしい」という依頼が何件もあった。そこで、お母さんが「あおい工房」のホームページを作って、注文を受けられるようにしたんだ。

 注文してくれたお客様とやりとりしたり、作った作品を発送したり、事務的な仕事は苦手だから、代わりにやってくれて助かるけど。

 作品のコストを削れってしょっちゅう言われるのは、マジウザい。

 お金のためだけにミニチュアハウスを作ってるんじゃないって言っても、「何甘いこと言ってんのよ。プロだって食べていけなきゃやっていけないでしょ? ビジネスなんだから、コストを考えるのは当たり前」って撥ねつける。

 ミニチュアにはずっと興味なかったくせに。ううん、今だって興味はないだろうな。お金になるからやってるだけだろうし。


 その時、圭さんからピロン♪とメッセージが届いた。

「今度のホビーショーのワークショップ、よろしくね。人数は各回10人ずつで午前1回、午後2回×二日間。ちょっと大変だけど、一緒にガンバろー(^^)」

 圭さんのワークショップの助手をするようになって、2年が過ぎた。

 普通にしゃべれるようになるまで時間がかかったけど。。。

 圭さんのスキルや知識を間近で学べるのは、ホントにラッキー。トルソーだけじゃなくて、いろんなミニチュアのつくり方をアドバイスしてもらった。どんな材料を使えばいいとか、どうすればリアルに近づけられるのか、とか。

 佐倉さんからは「気を付けて」と言われたけど、とくに何も起こらない。佐倉さんが目を光らせてるからかもしれないけど。 


 圭さんはモデルさんとか、アイドルとつきあっては別れるのを繰り返してるみたい。っていっても、圭さんから聞いたんじゃなくて、ネットで週刊誌の記事を読んで得た情報だけど。

 そんなキレイでスタイルもいい人と付き合ってるなら、私なんか相手にしなくて当たり前。私は空気のような存在なんじゃないかなって思う。

 いつまでできるか分からないけど、もうしばらくは助手を続けたいな。

 圭さんのそばにいられるだけで、あの笑顔をそばで見てるだけで、私は幸せなんだ。

 



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