第32話 悲鳴

 コンテストの締め切りまで、後一週間になった。

 30日にはミニチュアハウスを事務局に送らなければならないから、実質6日間しか残されてない。

 毎日、睡眠時間もできる限り削って(その分、授業中に居眠りしちゃってるけど)、何とか三階分のミニチュアはできあがった。

 後は、最後の最後まで、細かいところに手を加えてこう。望月さんの作品のように、「こんなところまで作ってあるんだ」って、見た人が驚くように。


 そんな時、望月さんからDMが届いた。

「3月のワークショップの手伝いをしませんか?」ってメッセージ。そのころは春休みに入ってるから、手伝わせてくださいって返事した。

 望月さんは、「コンテストの作品、審査員として葵ちゃんのミニチュアを見られるのを楽しみにしてるよ」とも言ってくれた。

 だから、頑張ろう。望月さんが驚いて、「ここまでしたんだ、すごいね」って褒めたくなるような作品を作ろう。


 優には犬小屋を作ってもらった。おばあちゃんにはクッションや座布団、カーテンなど縫物系をお願いした。

 みんなでミニチュアハウスを作るのは楽しい。この一か月は、ずっと心穏やかに過ごせた。次は、もっと大作をみんなで作ると面白いかも。明日花ちゃんたちも招いて、みんなで一つの作品をワイワイと作るんだ。

 そんな妄想が膨らんだ。

 私は今、一人じゃない。そう思うだけで胸がじんわりと温かくなる。



 その日も学校から帰って来て、リビングで作業をしていた。

 一階のブラウン管テレビに電源コードをつけて、壁のコンセントに差し込みたい。

 でも、ミリ単位の小さい小さいコンセントは、なかなかうまく作れない。穴が小さすぎたり、大きすぎたり。

 私は1時間ぐらい、コンセントと格闘していた。

「ちょっと」

 突然、背後で大きい声がして飛び上がりそうになった。

 振り向くと、ジャージ姿のお母さんが見下ろしていた。久しぶりに近くで見ると、ちょっと……ううん、だいぶ太ったみたいだ。顔のあちこちにニキビができてる。たぶん、不摂生してるからだろうな。


「食べるもの、何もないんだけど」

 お母さんは冷蔵庫を指す。

「え?」

「残り物でも食べようって思ったら、何もないじゃん。あんた、何か作ってよ」

「えっ……と」

 話すたびに、お母さんからお酒臭い息が降りかかる。酔っ払ってるみたいだ。


「おばあちゃんがもうすぐ帰って来るから、待ってればいいんじゃないかな」

「そんなの待てないって。私は今すぐ、何かを食べたいの」

「そう言われても……」

「あんた、おばあちゃんから料理を教わってんでしょ? 何か作ってよ」

「そ、そんなこと言われても」

 私は戸惑いながらも、お母さんにちゃんと自分の気持ちを言おうと決めた。


「私、ミニチュアを作ってるんだ。後6日でこの作品をコンテストに出さなきゃいけないから。だから、おばあちゃんが帰って来るまで待っててもらっていい?」

「はあ?」

 お母さんの眉が吊り上がる。

「あんたの都合なんて知ったこっちゃないから。私が作れって言ってんの。早く作んなさいよ」

「うん、だから、私はこっちの作業を」

「そんなの後でやればいいでしょ? 遊んでるだけなのに」

「遊びじゃなくて、真剣だよ? コンテストに出すんだから」

「あ~、うるさい、うるさい、うるさい! さっさと作れっての!」


 お母さんは怒鳴ると、こぶしをミニチュアハウスに叩きつけた。

 それはきっと、一瞬の出来事だった。

 でも、その光景が、私にはスローモーションで見えた。

 ミニチュアハウスが、屋根から叩きつぶされていく。ベキベキ、メキッという音とともに。


 あまりのことに、声を上げられなかった。

 めちゃくちゃ。

 一か月かけて作ってきたミニチュアハウスが、めちゃくちゃに。

 それぞれの階の床は真っ二つに割れ、ベッドやソファも、コタツもつぶされてしまった。苦心して作ったスマホも。優が作ってくれた豆本も。ぐちゃぐちゃ。おばあちゃんが作ってくれたクッションや座布団が芝生に散乱している。

 私はしばらく呆然とその惨状を見つめていた。息が荒くなる。心臓の音がやけに大きく聞こえる。


「いったあ~」

 お母さんはこぶしを見て顔をしかめてる。

「こんなの、邪魔だっての。早く片してよ」

 イライラと、ミニチュアハウスを床に落とそうとする。


「っあああああ~!」

 私はお母さんを突き飛ばした。お母さんはソファに倒れこみ、反動で床に転がり落ちる。

「いったあ、ちょっ、何を」

「なん、なんてことをっ」

 テーブルの上に広げていた粘土とか、カッターマットとか、いろんなものをお母さんに向かって投げる。

「ひ、ひどいっ。し、締め切りまで時間がないのに! こんな……めちゃくちゃに!」 

「ちょ、やめて、やめてってば! 危ないって」

「みん、みんなで作ったのに!」

「何、何よ、そんなに壊れやすいものを作ってるほうが悪いんじゃ」

「はあああ!?」

「待って待って、それは投げないで!」

 私はいつの間にか、デザインカッターを握りしめてた。お母さんの顔が怯えている。

「あんたなんか、死んじゃえばいい!!」

 お母さんの足元に向かって投げる。デザインカッターは床に刺さった。

 うわあああんと、私は床に泣き崩れた。


 もう、おしまいだ。望月さんに見てもらいたかったのに。楽しみにしてるって言ってくれたのに。もう、どうしようもない。めちゃくちゃだ。バラバラだ。

 ふいにお母さんが私の髪をつかんだ。

「あんた、親に向かってナイフを投げるなんてっ」

 お母さんの目はメラメラと燃えてる。私はその手を思いっきりひっかく。お母さんが悲鳴をあげて離すと、すかさず腕にかみついた。

「痛い痛い痛い、やめてって、ちょっと、やめてってばあ」


「何何何、どうしたの? 何してるの、二人とも!」

 帰って来たおばあちゃんは私たちの姿を見て、驚いて買い物袋を落とした。

「何、何が起きたの? どうしたの?」

 私が口をパカッと開けると、お母さんは部屋の隅まで逃げて行った。

 ミニチュアハウスを指し、嗚咽を漏らしながら「おか、お母さんが、壊した」と言うと、おばあちゃんは絶句する。

 お母さんは腕をさすりながら、「葵が悪いんでしょ! ご飯を作ってくれないから」と吠えている。


 おばあちゃんが、お母さんの頭を叩いた。

「あんたっ、自分の娘が懸命に作ったものを壊すなんて、正気じゃないよっ!」

 おばあちゃんの剣幕に、お母さんはひるむ。

「もう、出ていきなさい! この家から出て行って!」

「なによ、なによ、みんなで私を悪者にしてっ」

 お母さんは顔を真っ赤にして、リビングを飛び出した。階段をバタバタと駆け上がる振動が家中に響いた。


 ああ。終わった。私のチャレンジは終わった。優とおばあちゃんが手伝ってくれたのに。優に何て言おう。ひどい。ひどいよ。こんなの、あんまりだよ。

 私は床に突っ伏して泣いた。まるで子供のように。

「ごめんなさいね、葵ちゃん。私が悪いの。理沙をあんな風に育てちゃった私が悪いの。恨むなら、私を恨んで」

 おばあちゃんは優しく背中をなでてくれる。

 おばあちゃんを恨むことなんて、できないよ。そう言葉にしたくても、出てこない。

 どんなに泣いても、時間を巻き戻すことなんてできないのに。

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