第3話 冷たいカレーライスと冷めた会話
「ただいまあ」
7時過ぎにお母さんが帰って来た。
ちょうどお父さんとご飯を食べようと、昨日作ったカレーを温め直しているところだ。マカロニサラダは、お弁当屋で買ってきたもの。ツナが入っているのが、私的には好き。これに市販のオニオンスープをつけて出すのが、うちの週末の鉄板メニューだ。
「またカレーかあ。たまにはシチューとか、ハヤシライスとか作ったら? 市販のルーで同じように作れるでしょ」
食卓に並んだ料理を見て、お母さんは軽く眉をしかめる。
「あ、一応、チーズカレーなんだけど」
「カレーはカレーでしょ」
「そんなこと言うなら、自分で作りなよ。葵も学校と部活とバイトで忙しいのに、作ってくれたんだから」
お父さんが注意すると、お母さんはムッとした表情になり、「それぐらい、分かってるって。ただ、せっかく作るのなら、毎週同じメニューじゃなくて、違うメニューにチャレンジしたほうがいいんじゃないの? って話。そのほうが葵の成長につながるでしょ?」と言い返した。
「また成長、成長って。成長教に入ってるんじゃないの?」
お父さんの嫌味に、お母さんは「あなただって、葵にばっか任せてるじゃない。自分で作ったら?」とトゲトゲした口調で言う。
「僕はたまに作ってるじゃん。忘れた? 先々週はパスタを作ったでしょ?」
お母さんは不機嫌な表情を隠しもせず、「着替えて来る」と二階に上がってしまった。
「ええと、お母さんが来るまで待つ?」
「いいよいいよ、先に食べよう」
二人で向かい合って座って、「いただきます」とスプーンを手に取った。
二階からお母さんの話し声が聞こえる。きっと、仕事の電話に出ているのだろう。
一応、カレーでも毎週材料を変えてるんだよ、お母さん。
そんなこと言っても、真剣に聞いてくれないだろうな……。シチューだとご飯のおかずって感じじゃないから、もう一品必要になるんだもん。それに、前、ハヤシライスを作ったら「私、カレーのほうが好き。ハヤシライスってビーフストロガノフとカレーの中間って言うか、なんか中途半端な料理だよね」って言ったのは、お母さんじゃん。
そう言い返せたら、いいんだけど。
黙々とカレーを食べていたら、
「さっき、何作ってたんだ?」
ふいに、お父さんが聞いてきた。
「ああ、焼きそば。お弁当屋さんで売ってる焼きそばを作ってたの」
お父さんがミニチュアのことを聞くなんて珍しいな。いつも、何も聞かないし。ってか、お父さんもお母さんも、私の趣味には基本、無関心だし。
「へえ~、弁当屋?」
「うん、お弁当屋さんのミニチュアハウスを作ったから、そこに並べるお弁当を、一つずつ作っていってるんだ」
「へええ、すごいねえ。バイトの経験をすぐに活かしてるんだ」
「そう、そうなの!」
私はお父さんが理解してくれたのが嬉しくて、つい身を乗り出した。
「お弁当屋でバイトしてて、ここをミニチュアで作ったら面白そうって思って。それで、お店の写真を撮って、再現」
「なんだ、まだミニチュアなんか作ってんの?」
スウェットに着替えたお母さんが、ダイニングに入るなり、言った。
「バイトを始めて、もうやめたのかと思った。あんなの、たくさん作って何になるの?」
「ちょっと、そんな言い方、ひどすぎるだろ」
「まあ、高1の間はいいけど。高校受験が終わったばっかだし。高2になったら大学受験の勉強に本腰入れるんでしょ? そしたらバイトもしてられなくなるし、夏休みに留学行くなら、英語の勉強もしないといけないし」
お母さんは冷蔵庫からビールを出して、私の横に座った。カレーはすっかり冷めちゃってる。
「留学?」
私は首を傾げる。
「だから、何度も話したでしょ? 私は高校の時にアメリカに留学して、人生変わったって。葵も絶対、行ったほうがいいって。自分の意見、言えないんだから。外国でもまれたら、自分の意見を自分の言葉で主張できるようになるから。そういう、人生を変える経験が必要なんだってば。今年の新入社員も、葵のように自分の意見を言えない子ばっかりで、どこかで聞いたことがあるような受け売りしか言えないんだよね。だから、話していてイライラするっていうか」
コップにビールを注ぐと、お母さんはグイッとあおった。
「葵の学校は留学に力入れてて、ホストファミリーも学校が手配してくれるんだから。留学しないなんてもったいないでしょ」
あー。お母さんの話を聞いてると、いつも心が冷えていく。
「私、留学なんて行きたくない」
か細い声で何とか反対意見を伝えると、
「は? じゃあ、どうすんの、大学受験。ホントは東京の進学校に通えたのに、満員電車に乗りたくないって理由で、うちから近いK女を選んだんでしょ? せめて留学でもして箔をつけないと、推薦に受からないじゃない」
って、倍になって返ってきた。お母さんは冷めたカレーを口に運ぶ。「温め直す?」なんて聞く気はなくなっちゃった。
自分の意見を言っても、受け入れてもらえない。私の今までの経験では、99%の意見が却下されてる。残り1%はなんだろう。えーと、参考書を買う時とか、通学用の自転車を買い替えたいって言った時とか? あの時も、ビクビクしながらお願いした気が
「葵は留学する気ないって、自分の意見を言ってるじゃないか。推薦で受からなきゃいけないってわけでもないし。無理やり押しつけるのはどうかと思うけど」
お父さんは眉をひそめている。
「私は葵の将来のために言ってんの」
お母さんはお父さんと視線を合わせようともしない。スマホをテーブルに置いて、食べながら操作し始めた。
その横顔は、キレイだ。
お母さんはキレイ。美人。目鼻立ちがクッキリしてる、宝塚にいそうな派手系の美人。大学時代はミスコンに出て、芸能プロダクションからスカウトされたこともあるって聞いた。お母さんの昔の写真を見ると、友達の中でダントツに美人だし、イケメンと写ってる写真も何枚かあった。昔の彼氏かもしれない。少女漫画のようなキラキラ女子だったみたいだ。
私はお父さん似。お父さんは地味系の、あっさり顔をしてる。
お母さんとお父さんは、大学のサークル仲間だったって聞いたことがある。
なんで、こんなに美人なお母さんと薄味のお父さんが一緒になったのか、不思議で、小学生の時、「なんでパパと結婚したの?」と無邪気に聞いたことがある。
お母さんはマジメな顔で、「手堅い学部に通ってたから。研究職は収入も安定してるだろうから、将来性があるなって思って」と答えた。
子供心にも、「なんか、思ってた答えと違う……」って感じた。
「優しいところが好き」とか、「愛してるから」とか、答えるよね、普通は。
「そういうの、やめなよ」
お父さんはうんざりした口調で言った。
「僕が真剣に話してるのに、スマホを見るなって。理沙は話をしている最中に部下がスマホを見たら、激怒するんじゃなかったっけ?」
お父さんの嫌味に、お母さんはまたムッとした顔になると、スマホを裏返した。
お・重い。たちまち、食卓をどよよんとした空気が包み込む。
「僕は、葵には好きなことをしてもらいたいって思うよ。僕らが押しつけるんじゃなくて」
「押しつけてなんてないけど。留学したほうがいいんじゃないかって一つの案を言ってるだけ。今の大学受験は苛烈だからね。葵のためを思って言ってるの。あなたは葵の将来のことを考えてるの?」
「葵のためって言うよりかさ」
「何?」
お母さんは目を吊り上げる。
「いや、いい」
お父さんは軽くため息をついた。
そう、お母さんは絶対に自分の意見を曲げない。これ以上、議論をしてもムダだって思ったんだろうな。
「あのさ、僕、独立しようと思う」
スプーンを置くと、おもむろに、お父さんは言った。
「え、独立って? この家から出るってこと?」
「そうじゃなくて、仕事。会社のこと。起業しようと思ってるんだ」
「は? 起業?」
お母さんはポカンとした顔になる。
「何、どうしたの、急に」
「ずっと前から考えてたんだけど。僕、やっぱり開発したいんだ。管理職になったら部下の指導がメインになって、開発はほとんどできなくなっちゃったから。学生時代の友達と一緒に、家電の会社をつくろうって話になってて」
「家電の会社って……そんな簡単に家電を作れるもんなの?」
「だからさ、友達が家電のアイデアをいくつか持ってて、面白そうなんだよっ」
お父さんの顔がパアッと明るくなる。こんなお父さんの顔、久しぶりに見たかも。
「って言っても、急に会社を辞めるんじゃなくて、まずは週末だけそっちの仕事をして、製品を作って売ってみようかと思って」
「ああ、週末起業ってやつね」
お母さんは興味なさそうに冷めたカレーを食べてる。たぶん、温めるタイミングを逃しちゃって、食べづらくても食べるしかないんだろうな。
「2、3か月前から、土日はその打ち合わせでみんなと会ってたんだけど、本格的に事業を立ち上げることにしたから。だから、これから土日は忙しくなる」
「お金はどうするの?」
「試作品が出来たら、クラウドファンディングで資金を募ろうと思ってる。それまでは、みんなでお金を出し合ってやるしかないんだけど」
「ふうん。まあ、自分の貯金でやるならいいけど」
お母さんはビールを飲む。
「会社を続けながらなら、いいんじゃない?」
「まあ、いつかは独立するつもりだけど」
「うまくいったらの話でしょ? 千三つって言葉、あるじゃない。知ってるでしょ? ベンチャー企業は1000社のうち、3社ぐらいしかうまくいかないって話。そうなるのがオチだってこと、あなたも分かってるんでしょ?」
みるみるお父さんの表情が暗くなる。そう。お母さんは、人をイヤ~な気持ちにさせることにかけては、天才的なんだ。
「葵はどう思う?」
急にお父さんに話を振られて、私は一瞬固まってしまった。
こんな大事な話、子供に意見を求める?
「わ、私は、いいと思う。お父さん、昔から、モノを作るの好きだし」
「そうか、そうだよな」
お父さんは嬉しそうに何度もうなずいた。そっか。さっきから好きなことをするのはいいとか何とか私に言ってたのは、自分が好きなことをしたいからか。
お母さんは興味なさそうにテレビをつけた。それが、「この話はここまで」っていう合図だ。
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