異世界戦争最前線の野良犬たち

虚仮橋陣屋(こけばしじんや)

第一話 ヒーローとヒロインと、いじわるな策士

「ふっ――シッ!」

「うぐっ!?」


 それは3ラウンド目、序盤の出来事だった。


 咄嗟とっさり出した右のバック・スピン・キックが相手選手の下腹部の硬い感触を捕えた瞬間、ハルト・ラーレ・黒井くろい脳裡のうりに浮かんだのは、「やべ……っ! やっちまった……!」というあせりと後悔だ。


 これまで何人もマットに沈めてきた、相手選手の繰り出す身震いするほど速くて大振りな左フックをダッキングでかわしたまでは良かった。ハルトの持つ、ズバ抜けた反射神経の賜物たまものだ。だが、問題はその後だ。これもまた、ハルトの反射神経が良すぎるゆえだった。


「ハルト、コーナーに下がれステイ・ユア・コーナー!!」

「ちょ――待って待ってくれよ! 今のは故意じゃないって!」

「コーナーに下がれ! いいな?」

「……分かったオーケー


 これ以上、レフェリーに抗議しても無駄だ。頭の中のモヤモヤを追い払うように何度も振りながら、自陣のコーナーへ戻った。と、セコンドがすかさずペットボトルを突き出して怒鳴る。


「切り替えろ! 切り替えるんだ! いいな、ハルト?」

「……分かってる」

「相手もジャッジも、ワザとじゃないことくらい分かってくれるさ! ただ、減点はキツいな」


 お前に何が分かるってんだよ、くそ――セコンドとは言え、ハルトとさして歳は変わらない少年だ。おどけて肩をすくめてみせるポーズがテンプレすぎて、余計にハルトを苛立たせた。だが、言葉には出さない。差し出されたバケツの中に口に含んだ水とともに吐き捨てておく。


(おいおいおい……。そんなににらむなって。うひぃ、怖え……!)


 反対側のコーナーの様子をそろりとうかがうと、脂汗を浮かべた対戦相手が血走った目で、燃えるような憎悪と敵意を容赦なくぶつけてくる。ハルトは気まずさのあまり、視線をらした。


(でも……まあ、痛えよな……。いくらファールカップ付けてるからって、モロだったんだし)


 過去の試合や練習中にハルトも何度も経験している。男の子じゃないと分からない壮絶な痛みだ。


 学園都市最強を決めるこの試合で、こんな展開になるとはハルトだって予想していなかった。


 クリーンに、スマートに、ルールにのっとって試合を決める――それがいつだってハルトのファイト・スタイルだった。それがよりによってこの大事な大舞台で、ハルト自身が最も嫌っている「事故」が起こってしまった。そのことがなによりハルトを苛立たせている。


「故意」か「偶然」かは問題じゃない。

「起きた」か「起こらなかった」かだ。


(すでに起きてしまったことは、もうどうやっても元に戻すことはできない――だったっけ)


 自分が完璧主義者かと尋ねられたら、即座に首を横に振る。人間は、誰だって完璧からはほど遠い存在だ――特にハルト自身の自己評価はそうだった。大親友からも有難いことにさんざん言われ慣れている――考えすぎでお人好しすぎる筋肉バカ、と。たしかに――笑うしかない。


いけるかオーケイ? よしヘイ中央へセンター!」


 レフェリーの合図とともにマウスピースをねじこみ、ハルトは再び八角形オクタゴンのリング中央で相手選手と対峙する。正面に立った少年の鬼気迫る形相は、ハルトの謝罪の言葉を跳ねつけた。さっき思わず浮かべてしまった笑みを、自分に向けられた嘲笑だと誤解したのかもしれない。


「さあ、握手だシェイク・ハンドいいかねオーケイ? よしレディ――はじめファイト!」


 ばっっっん!――ハルトの差し出した赤いオープンフィンガー・グローブを、激しい怒りを秘めた相手の右手が無慈悲に吹き飛ばした。やれやれ……これが試合再開なかなおりの合図か。




 が、その直後、




「三〇秒――それが俺のやり方だ。ガードは上げない」

「――ッ!?」


 ハルトはリング中央に立ち尽くしたまま動かない。小さく呟いたかと思うと、ガードをすっかり解いてしまったではないか。驚きとともに、見る間に相手選手の顔色がドス黒く染まる。




 そして。


 学園都市「新東京区」最強を決める、MMAミドル級トーナメントの頂点に立ったのは、




「っ――しゃあぁあああああ!!」


 ハルト・ラーレ・黒井――。

 誕生日を迎えて十八歳となった少年は、宣言どおりガードを下げたまま三〇秒間相手の攻撃をスウェーとパリィだけでやり過ごし、その後、反撃に転じてK.O.ノック・アウトしてみせたのだった。




 ◇◇◇




『――以上が、昨日開催されたMMA大会のダイジェストです。優勝おめでとう、ハルト!』


 学園都市「新東京区」の上空に浮かぶ飛行船。


 その船体にけられた巨大スクリーンの中で満面の笑みを浮かべたハルトは、優勝トロフィーを高く掲げたまま凍りついたように動かない。それが少し滑稽に思えて、現実のハルトはまだれの残る目元を押さえて苦笑いする。


『ハルト・ラーレ・黒井選手は、これで三度目の王者となりました! 来シーズンでは、誰が彼を王座から引きずり落とすのか――早くも期待は高まっているようですが、十八歳を迎えたハルト選手の勝ち逃げは、すでに決定的となっています。ああ、残念ですね、本当に――!』


 スクリーンの中で肩をすくめて首を振ってみせたのは、公営放送局PBA所属のバーチャル配信者ストリーマー『ハニエラ=ローズマリー』だ。もはやお馴染みとなった美貌と美声が心地良い。その数、およそ五〇〇万人とも言われる登録者――「信徒」たちから「美の天使様」と崇拝される『ハニエラ』の人気は、この学園都市「新東京区」の中だけに留まらない。彼女の舞台は世界規模だ。


 逆に言えば。


「……ひっでぇ」


 彼女のひと言には、絶大なる影響力があるということで。


「かんっぜんに悪役扱いだろ、俺。いつ背中から刺されてもおかしくないんだが……」

「あ、あたしが考えたセリフじゃないんだよ?」


 隣で慌てて言い訳する弱々しい声は、『ハニエラ』にとても良く似ていた。

 サリィ・ミルドレッド・三国みくに、ハルトの幼馴染の女の子である。


 が。


「………………あー」


 そのやりとりがかえって周囲の注目を集めてしまい、揃って居心地悪そうに真っ赤な顔を伏せる羽目に。ますます不審極まりない行動だったが、お互い目をつけられても厄介だ。特に、『ハニエラ』の中の人・・・がここにいるサリィだということは、誰も知らない秘密だったりする。


 なのに、だ。


「いやあ! 実に誇らしい気分だねぇ! 島内きっての有名人ふたりを友人に持った僕は!」


 もうひとりの幼馴染、陽介・ミハイル・小鈴江こすずえは、ことさら大きな声でそう言うと、ふたりの肩を強引に抱き寄せるのだった。


「……ヨースケ、空気読めっつーの」

「や、やめてよ、もう。からかわないでってば!」

「からかう? そんなバカな!」


 今にも消え入りそうなサリィの制止を振り切り、陽介はさらに声のボリュームを上げた。


「なぜならば、だ! そのうちのひとりは、野蛮極まりない格闘技で三度王座についた史上最強の野蛮人バーバリアンだぞ? しかもだ! 無い知恵でなにを考えたのやら、大事な大事な最後の3ラウンド目で、三〇秒間の無抵抗ってハンディキャップを相手にくれてやって、それでも勝ってみせた特大のバカがつくほどの筋肉バカなんだからな!!」

「言いすぎだっつーの。……最後、バカがかぶってるし」

「はン! 僕は、そうは思わないね! それに、バカはバカだからだ!」


 陽介の露骨なまでの「口の悪さ」にはすっかり慣れっこのハルトは、さして怒ることなくモゴモゴとわずかばかりの無駄な抵抗をする。だが、陽介は容赦しない。


「どうせこれっぽっちも分かってないんだろうから教えてやろうか、ハルト?」


 首を、こきり、こきり、と鳴らし、こう続けた。


「あの三〇秒間が『せめてものおび』だなんて思ってないぞ、あいつは。『めプ』――タチの悪いあおりだとしか思ってない。つまりお前は、余計に相手を怒らせただけだ。下らない信念だとか義理人情だなんてものは放っておいて、さっさとケリをつければ良かったんだって!」

「――っ!? ………………驚いた」

「あン? 何がだよ?」

「ヨースケには、すっかりお見通しだった、ってことに驚いてる」

「……はぁ」


 素直に心のうちさらけ出したのに、陽介は、ナントカにつける薬はない、とでも言いたげに、するりと抜け出しつか止めた足を踏み出した。置き去りにされたハルトは慌てて後を追う。


「さすがは大センセイだな。……っと。待てってば」

「あのな……? もう、何年の付き合いだと思っているんだ? 十・一・年・間・だぞ!?」

「も、もうすぐ十二年だよね」




 しばしの沈黙。

 陽介は、深い溜息とともに再び足を止めた。




「……あのな、サリィ? いや、全男子たちの憧れの美少女、『ハニエラ=ローズマリー』?」

「そ、それ、やめてよぅ……!」

「いいや、やめないね、泣き虫電脳天使様」


 透き通るように白い頬をほのかに染め、わずかに垂れ下がった大きな瞳を潤ませるサリィに対しても、やはり陽介はひとつの手加減もなく、きっぱりとこう言い放つ。


「小さい頃からママに憧れて大女優を目指し、ついにはPBA専属の配信者の座を射止めたセンスと才能の塊のクセに、いつになったらその『話の腰を折る』悪いクセが治るんだ? ん?」

「う……っ」

「大体僕が気づかないとでも思っているのかね? しょく天使・ハニエルともあろう御方おかたが。ん?」


 あたしはハニエルじゃなくってハニエラ――とサリィが口に出しかけたところで、陽介の鋭い視線がそれをやすやすと封じ込めた。サリィは仕方なくしょんぼりと肩を落として傾聴する。


「大方、僕とハルトが喧嘩するのを止めさせたい、とでも思ってワザとやっているんだろうが……。そこがそもそもの間違いなのだと、いい加減気づいて欲しいんだがね? これは、喧嘩ではなく、説法、再教育、しつけのたぐいなんだぞ?」

「うっわ……思ったよりひどい言い草だな。……うぉっと!」


 危うくこちらに火の粉が舞い戻ってきそうだったので、ハルトは慌てて口をつぐむ。陽介はじろりと一瞥したが、再び隣を歩くサリィに視線を戻した。


「いいかい、サリィお嬢ちゃん? 君は君で、自分がたぐいまれなる才能の持ち主なんだと、その持てるセンスのほんのわずかでいいから誇るべきだ。見た目も悪くない、というか、かなり良い」


 ひゅぅ――と冗談交じりに口笛で合槌を打ってみたが、やはり余計だったらしい。ハルトは、陽介がこちらを振り返るより早く、再び知らないフリをしてそっぽを向く。


「バカなフリも、イケてないフリも、度を過ぎれば嫌味になる。実際、そういうアンチだっているってことを理解すべきだぞ? まあ、すべてが演技だとしたら、余計に嫌味な女だろうが」

「ち、違うよぅ!」

「……知ってる。だ・か・ら、困ってるんだよ!」


 陽介の押し殺した悲鳴を耳にしたサリィは、思わず首をすくめて今にも泣き出しそうな顔をした。それを見た陽介は、深々と溜息をつき歩き出した。慌ててハルトたちも追いかける。


「ったく……。人の気も知らないで……」


(口は悪いが、結局、面倒見の良いヤツなんだよな、ヨースケってヤツは)

(だよね! あたしたちのお兄ちゃんみたい!)


「……なんか言ったかね、自慢の幼馴染たち?」


 その問いに、ハルトとサリィが即座に口をつぐんで首を振ったのは言うまでもない。



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