第2話
辺りを見回すと、薄暗い景色の中に川が見えた。自分が今座っているここはその土手に当たる。草の匂いと感触が懐かしさを感じさせる。
眼下に広がる河川敷には辛うじてグランドのようなものがあった形跡がある。普段使われているのかいないのか、ずいぶんとさびた、ネットのないサッカーゴールがうち捨てられているように存在していた。
だからと言って、特段何か変わった所があるわけでもない。どこにでもあるといえば、どこにでもある風景だ。特に場所を特定できるようなものはない。
今の僕にわかるのは、それらの風景が自分の記憶の中にはないということだ。忘れているだけかもしれないけれど、少なくとも忘れるようなものに過ぎないということになる。風景を見ても特定できないなら、その程度の記憶なのだ。毎日見ている風景だったのなら、見ただけでどこなのかピンと来るはずだと思う。
どうしてそんなところにいるのか、自分でも全くわからない。どこをどうしてここにたどり着いたのかも全く覚えていない。自分で歩いたという覚えすらなかった。
僕は改めて自分の所持品を確かめた。そこにヒントがあるんじゃないかと思ったのだ。少しくたびれた手入れの行き届いていないスーツ。革靴を履いているけれど、これもやはり少し汚れていて、ちゃんと手入れはしていないようだった。生来ずぼらな性格な自覚はあるからその辺は仕方がない。ポケットにはガムの残り、財布、の、中にお金。一万円と、千円札が数枚。小銭もいくらかはある。近くを見たが鞄のようなものは落ちていなかった。スマホもない。つまり、今見つけたそれが、今の僕の全財産ということになる。
僕は男だけれど、小さくても鞄は持つ。全てをポケットに突っ込んで手ぶらででかけるということはほとんど無かった。ただでさえ、知らない所にいるのに、この手荷物は自分でも違和感だらけだった。しかし、現実は無情だ。今、僕に分かるのはただ一つ。身一つで知らないところに放り込まれたという事実だけだ。
さて、どうするか。
考えている時間を、現実はあまりくれそうになかった。空にどんどん闇が広がっている。辺りもどんどん暗くなる。とりあえず、今夜寝るところを確保しなければと思った。さすがに野宿はしたくない。どこか分からない所でなんてなおさらだ。
自分の家、は、ありそうにない。そう思うのは、周りの景色が知らないところだから。知らない所に居て、そこから自宅へ帰る道など分かるはずもない。せめてスマホがあればよかったのにと思う。
知らないところ。
自分でそう思って、ふと、思い当たることがあった。ここが知らない所だとは思う。しかし、それなら、どこなら知っているというのだろう。
自分の家はどんなだったろう。思い出せない。一軒家だっただろうか。それとも、団地とか、アパートのような集合住宅だっただろうか。分からない、ということに、今初めて気が付いた。僕の全身から嫌な汗がどっと拭きだした。心臓がどきどきと早鐘を打つ。
そうして、考えを巡らせて数秒、僕の心臓はもっと大きく鳴った。
そもそも、名前、は、
僕は、自分の名前を自分が覚えていないことに気が付いた。
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